高校3年生の時、「アンネの日記」を読んで感動し、「劇団 民藝」が公募したアンネ役のオーディションを受けるも不合格となった、冨士眞奈美(ふじ まなみ)さんですが、その後、以外な形で女優への道が開くことになります。

「冨士眞奈美の少女時代はオペラに夢中だった!」からの続き

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記者を目指していた

「劇団 民藝」公募のアンネ役のオーディションでは、惜しくも落選した冨士さんですが、それから半年後、高校を卒業すると、ミニコミ誌を東京・藤沢で出版していたお父さんの友人に、

何もすることがないんだったら、記者になりなさい

と言われ、記者を目指すことに。

そして、その、お父さんの友人の家に住み込み、朝の5時からご飯を炊いたり、お味噌汁を作ったりすることを教わりながら、

原稿を書いているおじさんに一緒について回ったり、冨士さんが書いた原稿をおじさんに赤を入れて直してもらい、原稿を書くことを覚えていったそうです。

(また、おじさん夫婦には子どもがいなかったことから、冨士さんは一人っ子のような扱いを受けたそうで、それもまた嬉しかったそうです。)

「劇団民藝」から推薦を受ける

こうして、ミニコミ誌に携わり、文章を書く楽しさを覚えた冨士さんは、てっきり、自分は物書きになるものだと思っていたそうですが、そんな中、NHKから一枚のハガキが届きます。

そのハガキには、当時、大ヒットしていた劇作家・内村直也氏の連続ラジオ劇「えり子とともに」のテレビ版を製作するにあたり、主役を新人にして作りたい、と書かれていたそうですが、

冨士さんが、「アンネの日記」のオーディションを受けた際、「劇団民藝」の方が、印象に残ったからと、冨士さんをNHKに推薦してくれていたのです。

カメラテストでのオペラでNHKドラマの主役に抜擢

そこで、冨士さんは、カメラテストを受けることになり、その時、セリフを言わされたそうですが、

冨士さんのプロフィールに、「趣味/オペラ」と書いてあったのを目にした審査員の内村氏に、

君、オペラを歌えるの?

と、聞かれ、

演技の経験が全くなかった冨士さんは、やけっぱちで、「蝶々夫人」「ある晴れた日に」を原語で歌ったところ、

面白い、自分がこの子にかけてみたい

と、内村氏が、NHKの偉い人達の反対を押し切って、このドラマの主役に抜擢してくれたそうで、

冨士さんは、1956年、18歳の時、NHKドラマ「この瞳」の主演で、女優デビューされたのでした。

NHK専属女優第一号も演技経験ゼロからのスタート

そして、翌年の1957年には、NHKの専属女優第一号となった冨士さんでしたが、女優といっても、演技経験がなかった冨士さんは、「本読み」と言われても何のことか分からず、どうしたらいいか途方に暮れていると、

最初にハガキをくれたNHKの職員の方が、新婚にもかかわらず、自分の家に泊めてくれ、

朝ごはんを奥さんが作ってくださって、たらこの焼いたのが出てきたのよ。今も忘れないけど、白いご飯でたらこの焼いたのが出てきたらもう感動しちゃってね(笑)。「いいなぁ、こういう生活がしたいな」って思った。

と、そのことが、ドラマに出たことよりも嬉しかったそうです。

(もちろん、セリフの言い方や作法など、女優として学ぶべきこともすべて教えてくれたそうです)

生放送で居眠りしていた

ただ、その頃はドラマはすべて生放送で、冨士さんは眠くなると、本番中にも寝てしまい、足をつつかれて起こされるほか、寝ぼけてセリフを5ページも読み飛ばしてしまったこともあったそうで、

結果、プロデューサーが始末書を書くはめになるなど、スタッフや共演者に散々迷惑をかけてしまったそうですが、それでも、みんなに可愛がられ、なんとか女優生活を続けていくことができたそうです。

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デビュー当初は大山のぶ代とルームシェアしていた

そんな中、冨士さんは、このドラマ「この瞳」に出演していた、「俳優座」の研究生だった大山のぶ代さんと知り合われると、

大山さんは、田舎の少女だった冨士さんを、「素直でいい子」だと気に入り、自分の下宿に連れて行ってくれ、ルームシェアすることになったそうです。

とはいえ、その部屋は、六畳一間の電話もお風呂もない狭い部屋で、雨が降ると雨漏りし、洗面器をおいて置かなければ水たまりができてしまうほか、トイレは用心して入らないと床が抜けてしまうような、ひどい部屋。

しかも、冨士さんは、デビューから3年半の間、お給料はたったの1万5000円だったそうで、家賃8000円を支払うと、残ったお金の中でのやりくりはかなり苦しく、着る服も毎日同じという生活だったそうですが、

それでも、大山さんと一緒に銭湯に通うなど、共同生活はとても楽しかったそうです。

「冨士眞奈美の若い頃はNHK三人娘で清純派女優だった!」に続く

冨士さん(左)と大山のぶ代さん(右)。

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