新聞記者だったお父さんの影響で、幼い頃からラジオの選挙速報と本を読むことが好きだった、冨士眞奈美(ふじ まなみ)さんですが、中学生の時、オペラに出会うと、たちまち夢中になります。

「冨士眞奈美の生い立ちは?幼少期はお転婆な文学少女だった?」からの続き

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中2でオペラに魅了される

毎日、夢中で本を読むほど、読書が好きだった冨士さんですが、中学2年生の時、授業中、東京から来た音楽の先生に蓄音機(ちくおんき)でオペラを聴かせられると、

それまで、音楽といえば、NHKのラジオ歌謡曲しか聴いたことがなかった冨士さんは、たちまちオペラに魅了されたそうで、

中でも、冨士さんは、プッチーニの「トスカ」のアリアで、主役のカヴァラドッシが、処刑される未明に、恋人のトスカのことを思い、アリア「星は光りぬ」を歌う場面に衝撃を受けられたそうです。


プッチーニ:トスカ

(ちなみに、この先生は、テノール歌手として将来を期待されるも挫折し、伊豆半島の小さな村に流れて来たと、もっぱらの噂だったそうで、朝からお酒の匂いをプンプンさせて学校に来ており、授業でオペラを聴かせてくれたのも、完全に先生の趣味によるものだったそうです。)

オペラを夢中で練習

その後、冨士さんは、高校に進学し、音楽部に入部すると、芸術大学出身のソプラノ専科だった音楽の先生は、オペラ好きの冨士さんをとてもかわいがってくれ、音楽部の生徒たちに、オペラのアリア「蝶々夫人」「椿姫」の譜面を貸してくれたそうで、

冨士さんは、その譜面を見ながら、歌詞によみがなをふったり、イラストを添えるなどして、自分だけの譜面を作っては、その曲を一生懸命覚えると、家の裏の畑で練習し、文化祭の舞台でオペラを披露されたのだそうです。

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舞台「アンネの日記」のオーディションを受ける

そんな冨士さんですが、高校3年生の時、「アンネの日記」を読むと、

こんなに悲惨なことってあるかしら?

と、とても感動したそうです。

そして、ちょうどその頃、朝日新聞で、

アンネの日記を劇団民藝が公演するので、主演を募集している

と、主人公・アンネ役の募集の記事を見つけたそうで、

冨士さんは、お芝居に関しては何も知らなかったのですが、子どもの頃から体が弱く、ガリガリに痩せていたため、アンネ役ならできるかもしれない、とお姉さんに相談すると、

お姉さんが、「劇団民藝」に冨士さんの書類を応募してくれたそうで、「アンネの日記」のオーディションを受けることに。

すると、全国から応募が集まったにもかかわらず、冨士さんは最後の6人にまで残ったのでした。

ただ、その6人で、1週間東京に泊まり込み、最終オーディションのため、「劇団民藝」の滝沢修さんに指導してもらうも、

結局そのときは、鎌倉のお嬢さんがアンネ役に決まったんですよ。憧れるぐらいキレイなあか抜けたお嬢さんでね、私なんかファンレターを書いちゃったくらいなんだから(笑)。だからそんな女優に自分がなれるという期待はしてなかったわね。

と、残念ながら、最後の一人にはなれなかったのでした。

(ちなみに、「アンネの日記」とは、ユダヤ人の少女アンネ・フランクが、第二次世界大戦中のドイツによる占領下のオランダ・アムステルダムを舞台に、ユダヤ人狩りのホロコーストを避けるため移り住んだ隠れ家で、ナチス・ドイツのゲシュタポに捕まるまで、咳もできないほど息を潜めて暮らした、約2年に及んだ隠れ家生活について綴ったもので、アンネは収容所で死去するのですが、戦後、生き残った父親のオットー・フランクによって出版され、世界的な大ベストセラーとなった物語)

「冨士眞奈美は昔は記者を目指していた!」に続く


アンネの日記

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