1960年代には、「渡り鳥」シリーズや「旋風児」シリーズなど、数々の「日活」映画で主演を務めて、映画を大ヒットさせ、日本映画の黄金時代を築いた、小林旭(こばやし あきら)さん。

そんな小林旭さんは、文化映画の照明技師だったお父さんの影響で、幼い頃から映画に興味を持ち、4歳の時には、劇団に所属して子役として活動を開始すると、15歳の時には、お父さんの友達の日活のプロデューサー・茂木了次さんに声をかけられて、「日活」のエキストラをするようになり、

高校在学中の17歳の時には、茂木了次さんに正式にスカウトされて、「日活第3期ニューフェイス」のオーディションを受けると、見事、合格したといいます。

今回は、小林旭さんの、生い立ち(幼少期から日活大部屋時代まで)をご紹介します。

小林旭

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小林旭のプロフィール

小林旭さんは、1938年11月3日生まれ、
東京都世田谷区の出身、

身長180センチ、
体重98キロ、

血液型はAB型、

学歴は、
世田谷区立玉川小学校
⇒世田谷区立玉川中学校
⇒私立目黒高校(現・目黒学院高校)
⇒明治大学文学部中退

趣味は、ゴルフ、

特技は、柔道(五段)だそうです。

小林旭は4歳の時から劇団「東童」に所属していた

小林旭さんは、「東宝」「新東宝」で、文化映画の照明技師をしていたお父さんと、小唄・端唄の師匠だったお母さんのもと誕生すると、お父さんの影響で、幼い頃から映画に興味を持ち、4歳の時には、劇団「東童」に所属したそうです。

小林旭の両親
小林旭さんの両親と小林旭さん。

小林旭は小学1年生の時に「青い鳥」のチルチル役(子役)で初舞台

また、小林旭さんは、小学1年生の時には、三越劇場の劇団公演「青い鳥」のチルチル役で初舞台を踏むと、しばしば、映画のエキストラとしても出演するなど、子役として活動していたそうです。

小林旭は15歳の時に「日活」にエキストラとして出演

そして、1954年、15歳の時には、お父さんの友達で「日活」のプロデューサーだった茂木了次さんに声をかけられ、「日活」のエキストラとしても出演するようになったそうです。

小林旭は17歳の時に「日活第3期ニューフェイス」に合格

そんな小林旭さんは、1956年、目黒高校在学中の17歳の時には、茂木了次さんに正式にスカウトされて、「日活第3期ニューフェイス」に応募すると、見事合格し、同年、「日活第3期ニューフェイス」として、「日活」に入社しています。

ちなみに、小林旭さんは、茂木了次さんにスカウトされた際、お父さんに、

役者なんかになれっこねぇ

と、言われたそうで、

この言葉に発奮して「日活第3期ニューフェイス」に応募したのだそうです。

小林旭

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小林旭は10代後半(新人)の頃は「日活」の大部屋で凄まじいイジメに遭っていた

こうして、小林旭さんは、17歳の時、晴れて「日活」に入社したのですが・・・

入社、早々、「日活」の撮影所にあった大部屋に放り込まれると、そこには、100~200人もの役者がエキストラをしながら、明日のスターを夢見てうごめいていたそうで、

(「日活」には、入社して最初の3年は、新人契約で大部屋俳優になる決まりがあったそうで、通行人などの端役をしながら、自分自身で学ぶという教育方針だったそうです)

1930年代に入って来たと大いばりしてあぐらをかいている者や、軍隊帰りなどで新人をいびることで自分の人生の恨みを吐き出すような連中が大勢おり、脇役とはいえ、早々に役をもらい、物怖じせず堂々として目立っていた小林さんは、かっこうの標的になったそうで、

  • 映画の撮影(演技)にもかかわらず本気で殴られ、しかも、わざと何度もNGを出し、何度もやり直しで殴られ続けた
  • 鏡をのぞき込むために座っていたお尻を浮かした際、椅子をわざと蹴飛ばされ、硬いコンクリートの上に転ばされた
  • 転ばされたうえに、鼻の頭を鉛筆でつつかれた

などの、壮絶なイジメに遭ったといいます。

そんな体験をした小林旭さんは、先輩というだけで偉そうな人間に我慢ならなかったそうで、それによる反骨精神から、新人の頃は、

前からカミソリが歩いて来る

と、言われるほど、トゲトゲしていたといいます。

「【画像】小林旭の若い頃は?デビューから現在までの経歴を時系列まとめ!」に続く

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