1971年4月、17歳の時、「大都会のやさぐれ女」で歌手デビューするも、鳴かず飛ばずで、日本全国を営業周りしていたという、研ナオコ(けん なおこ)さんですが、
元・「ザ・スパイダース」のリーダーで「田辺エージェンシー」の社長・田邊昭知さんにスカウトされると、たちまち、女優やタレント活動で人気を博したといいます。

「研ナオコのデビュー当時はパッとせず地方営業の日々だった!」からの続き
研ナオコは19歳の時に「京都の女の子」がオリコン52位となるヒット
1971年4月、17歳の時、「東宝レコード」から、シングル「大都会のやさぐれ女」で歌手デビューするも、セカンドシングル「屋根の上の子守唄」(1971年10月リリース)と共に全く売れなかったという研ナオコさんは、
その後も、
- 1972年3月「二人で見る夢」

「二人で見る夢」 - 1972年7月「京都の女の子」

「京都の女の子」 - 1972年11月「こんにちわ男の子」

「こんにちわ男の子」
と、立て続けにシングルを発表したそうですが、
「京都の女の子」がオリコンシングルチャートに初ランクインし、最高52位で、4.2万枚のヒットとなったものの、大ヒットとはならなかったそうです。
研ナオコは田邊昭知にスカウトされると、「時間ですよ」や「ミノルタカメラ」のCMでタレントとして人気を博していた
しかし、1973年、元「ザ・スパイダース」のリーダーで、「田辺エージェンシー」を設立したばかりの田邊昭知さんにスカウトされ、「田辺エージェンシー」の第1号タレントとして売り出されると、
同年、ゲスト出演した人気ドラマ「時間ですよ」では、大口を開けて笑う個性的なキャラクターが、お茶の間で人気を博して、レギュラーに抜擢され、
1974年には、「ミノルタカメラ」のCMに、愛川欽也さんと共演すると、
美人しか撮らない、だから撮らない
のセリフと共に、カメラを研ナオコさんからそらすというシーンで、大口を開けて笑う姿が好評を博すなど、
あれよあれよと、研ナオコさんの人気はうなぎのぼりとなったのでした。

ミノルタカメラ」のCMより。愛川欽也さんと研ナオコさん。
ちなみに、田邊昭知さんによると、1972年頃、あるオーディション会場のビルの中で、大きな荷物を持ってウロウロしていた研ナオコさんを、偶然、見かけ、
なんか面白そうなヤツがいるな
この子なら女版『堺正章』になれる
と、直感したといいます。
(田邊昭知さんは、既に出来上がっている女性たちには興味がなく、これから育てていく素材として研ナオコさんに興味を持ったのだそうです)
研ナオコは「カックラキン大放送」の「ナオコばぁちゃん」で大人気となっていた
そんな研ナオコさんは、その後も明るいキャラクターがバラエティ番組で人気を博し、1975年、23歳の時には、「カックラキン大放送」での「ナオコばぁちゃん」のキャラクターで、大人気となっているのですが、
(研ナオコさんは、デビュー当初、全国のキャバレーを巡り、東京に戻ってやっと風呂に入るという生活を送っていたそうですが、この頃は、風呂つきの部屋を借りることができなかったため、朝一番で銭湯に通っていたそうで、その時の銭湯のおばあちゃんたちの行動から学んだのが、この「ナオコばぁちゃん」だったそうです)
一方、本業の歌手の方では、
- 1973年10月「うわさの男」

「うわさの男」 - 1974年6月「第三の女」

「第三の女」
と、シングルをリリースするも、セールスは振るわなかったといいます。
「研ナオコが若い頃は「愚図」「あばよ」が大ヒットしていた!」に続く

「カックラキン大放送」より。
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元・「ザ・スパイダース」のリーダーで「田辺エージェンシー」の社長・田邊昭知さんにスカウトされると、タレント業では人気を博すようになるも、本業の歌手では、なかなかヒットに恵まれなかったという、研ナオコ(けん なおこ)さんですが、 1975年には、ついに、歌手としても、「愚図」が大ヒットとなると、その後、「あばよ」も大ヒットなり、以降、ヒット曲を連発します。













