1973年、20歳の時、弟の玉置浩二さんが結成した「安全地帯」に、ドラマーとして加入していたという玉置一芳さん。

今回は、玉置一芳さんの若い頃(「安全地帯」加入&脱退)から現在までの経歴をご紹介します。

玉置一芳

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玉置一芳のプロフィール

玉置一芳さんは、1953年7月27日生まれ、
北海道旭川市出身、

ちなみに、「玉置一芳」は、本名です。

玉置一芳は20歳の時に弟・玉置浩二のバンド「安全地帯」にドラマーとして加入していた

玉置一芳さんは、1973年11月、20歳の時、弟の玉置浩二さんが結成した「安全地帯」に、ベースの宮下隆宏さんと共にドラマーとして加入すると、

(玉置一芳さんは、この時、ドラム未経験だったそうですが、「安全地帯」加入後、猛練習したそうです)

この頃、玉置一芳さんが「レッド・ツェッペリン」に憧れていたことから、フォークバンドだった「安全地帯」は、ロックバンドへと変化していったそうです。

(メンバーは、玉置一芳さん(ドラム)、玉置浩二さん(ボーカル)、武沢豊さん(ギター)、武沢俊也さん(ギター、キーボード)、宮下隆宏さん(ベース))

玉置一芳

ちなみに、弟の玉置浩二さんは、兄・玉置一芳さんについて、

ツェッペリンの『ブラック・ドッグ』やブラック・サバスの曲なんかをやっていたんだよね。兄貴に“おまえ、ロバート・プラント(ツェッペリンのヴォーカル)みたいに高い声出せなきゃだめだぞ”とか言われて、よく練習していたな

と、語っています。

玉置一芳は20歳の時から「安全地帯」として「ヤマハポピュラーソングコンテスト」に出場していた

そして、この頃から、「安全地帯」は、「ヤマハポピュラーソングコンテスト」に出場し始めると、第11回を除いて、第6回から第13回まで連続出場したそうですが、

(※「ヤマハポピュラーソングコンテスト」は、当時、プロを目指すアマチュアミュージシャンの登竜門だったそうです)

第12回で、「昔にみたもの」で北海道代表となり、初めて全国大会に出場するも、何も賞を獲ることができなかったこともあり、

「ヤマハポピュラーソングコンテスト」への参加は、第13回への出場を最後に一区切りつけたのだそうです。

玉置一芳が「安全地帯」を脱退した理由とは?

そんな「安全地帯」は、”自分たちの音楽を目指そう” ”東京から旭川にファンを呼び込むことができるバンドになろう”という明確な目標を定めたそうですが・・・

玉置一芳さんは、1977年6月、「安全地帯」を脱退したといいます。

実は、1977年頃、「安全地帯」は活動がマンネリ化しており、玉置一芳さんは、なかなか練習に身が入っていなかったそうで、プロになる決意を固めていた弟の玉置浩二さんにより、真っ先に脱退させられたのだそうです。

(玉置一芳さん脱退後は、ドラム未経験の大平市治さんが加入しています)

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玉置一芳の「安全地帯」脱退後は?現在は?

その後、玉置一芳さんは、故郷の北海道旭川市で、タクシー運転手をしていた時期もあったそうで、「安全地帯」のファン相手に、「安全地帯」の聖地巡りをすることもあったと言われています。

また、

  • 2008年には、ドラムを再開し、妻で歌手の玉置美記子さんとバンドを結成するほか、玉置美記子さんのプロデュース
  • 2022年には、「玊兄バンド」結成し、アマチュア時代の「安全地帯」の楽曲を演奏
  • 2024年現在は、ミュージックハウス「メロディー」を経営

と、現在も、地元・北海道旭川市を拠点に、音楽活動を継続しているといいます。

(ちなみに、弟の玉置浩二さんとの仲は良好だそうです)

「玉置一芳は妻・玉置美記子を歌手デビューさせていた!子供は?孫は?」に続く

「玊兄バンド」

お読みいただきありがとうございました

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