大学2年生の時、グリム童話が創作ではなく昔話だと知って衝撃を受け、以来、日本の昔話を研究するようになると、1992年には「昔ばなし大学」を開講するなど、昔話本来の姿を伝えている、小澤俊夫(おざわ としお)さん。
そんな小澤俊夫さんは、戦争中だった幼い頃、国を深く憂うあまり、臆することなく軍部を批判し続けたお父さんの信念を貫く生き様に大きな影響を受けたそうですが、
敗戦後、お父さんは、子供たちには好きなことをやるよう言ってくれたことから、小澤俊夫さんは大好きだった文学に没頭したそうで、特に心酔していたシュヴァイツァーに関する書物を原書で読みたいと思い、ドイツ語を学ぶため、高校卒業後は、ドイツ文学者の関泰祐先生がいる茨城大学に進学したといいます。

小澤俊夫のプロフィール
小澤俊夫さんは、1930年4月16日生まれ、
中国・満州の出身、
学歴は、
東京府立第二中学校(現・東京都立立川高等学校)
⇒神奈川県立小田原高等学校
⇒茨城大学文理学部
⇒3年次に東北大学文学部へ編入
⇒東北大学大学院文学研究科修士課程を修了
ちなみに、「小澤俊夫」は本名で、
父親は、政治活動家で満州青年連盟長春支部長の小澤開作氏
息子(次男)は、ミュージシャンの小沢健二さん、
弟は、指揮者の小澤征爾さんのほか、
という、著名人一族です。

小澤俊夫の家系図
小澤俊夫は1歳の時に顔に大火傷を負っていた
小澤俊夫さんは、歯科医をしていたお父さんの小澤開作さんとクリスチャンだったお母さんのもと、満州で誕生したそうですが、
1歳の時に、顔に大火傷を負い、その傷痕のせいで、激しいイジメに遭っていたそうです。
ドイツ文学者で昔話研究者の小澤俊夫(おざわ としお)さんは、幼い頃、顔に重度の火傷を負ったそうで、そのやけどの痕のせいで、幼少期からずっとイジメに苦しんでいたといいます。 今回は、小澤俊夫さんの顔のやけどについて、NHK …
小澤俊夫が幼い頃は父親が政治的な活動をしていたため憲兵が毎日自宅を監視しに来ていた
そんな中、小澤俊夫さんは、小学校5年生まで北京で過ごしていたそうですが、
お父さんが、1940年頃、「この戦争は勝てない」と言って政治評論集を作り、軍部批判をし始めたことから、軍部から睨まれるようになったそうで、憲兵が、毎日、自宅に監視に来るようになったそうです。
小澤俊夫は小5の時に帰国するもここでも特別高等警察が毎日自宅に来て不安な日々を過ごしていた
そして、1941年には、お父さんを残して家族(小澤俊夫さんを含む)で日本に帰国し、2年後の1943年には、お父さんも帰国し、家族で東京の立川で生活を始めたそうですが、
お父さんは、国を深く憂うあまり、臆することなく軍部を批判し続けたため、今度は、特高(特別高等警察)が、毎日のように来るようになったそうで、
小澤俊夫さんら家族は、お父さんがいつ逮捕されるかと、日々、不安な気持ちで過ごしたそうです。
小澤俊夫は少年時代に父親の生き様に大きな影響を受けていた
最終的には、お父さんは捕らえられず、終戦を迎えたそうで、
お父さんは、
この敗戦は日本にとっていいことだ。日本は日清戦争以来、負けていないから涙を忘れてしまった。これで涙を知るのはいいことだ
と、言ったそうですが、
小澤俊夫さんは、この言葉が今でも忘れられないといいます。
また、お父さんは、小澤俊夫さんら子供たちには、
お前たち、好きなことをやれ
と、言ってくれたといいます。
ちなみに、お父さんが他界した時、生前、お父さんを監視していた特高(特別高等警察)の人から、心のこもったお悔やみの手紙が届き、小澤俊夫さんは驚いたそうですが、
小澤俊夫さんは、国を思うお父さんが信念を貫く姿に、その人も内心では敬意を抱いてくれたのでは、と思ったそうで、小澤俊夫さん自身も、そんなお父さんの生き様に大きな影響を受けたのだそうです。
小澤俊夫は少年時代、貧しい暮らしの中、父親にピアノを買ってもらっていた
また、小澤俊夫さんは、クリスチャンだったお母さんと一緒に教会の日曜学校に通い、讃美歌を習ったことがきっかけで、音楽が大好きになると、
お父さんは、戦後でまだ貧しかったにもかかわらず、小澤俊夫さんら子供たちにピアノを買ってくれたといいます。
そんな中、お父さんは、親戚からは批判されたそうですが、
おれの自由教育が正しかったかどうかを証明するのはお前たちだ
と言い、小澤俊夫さんら子供たちを信頼してくれたそうで、
小澤俊夫さんは、その時、
証明できないはずはない
と、思ったといいます。
小澤俊夫はドイツ語を学ぶため茨城大学に進学していた
さておき、小澤俊夫さんは、音楽と同じくらい文学が好きだったそうで、特に、医師で、神学者、音楽家でもあるシュヴァイツァーに心酔し、シュヴァイツァーに関する書物をたくさん読んだそうですが、
やがて、原書で読みたくなり、ドイツ語を学ぼうと、高校卒業後は、ドイツ文学者の関泰祐(せきたいすけ)先生が在職していた茨城大学に進学したそうです。
小澤俊夫は大学2年生の時に「昔話」を研究のテーマに決めていた
すると、大学2年生の時、2人の先生が、教材として「ふしぎなオルガン」と「グリム童話」を取り上げたそうですが、
小澤俊夫さんが、その2つが同じドイツのメルヘンでありながら、作風に明らかな違いがあることに気がつき、先生にその理由を尋ねたところ、
グリム童話は創作ではなく、古くから伝わる昔話を集めたものだから
という説明を受けたそうで、
それまで、「グリム童話」はグリム兄弟の創作だと信じていた小澤俊夫さんは大変驚き、
昔話には、その民族の価値観や風習が読み取れるのではないか
と、そこから強い興味を抱いたそうで、
これを自身の研究テーマとすることを決めたのだそうです。
小澤俊夫は「グリム童話」を大学の卒論のテーマに決めていた
そんな小澤俊夫さんは、その後、大学の図書館からグリム童話の原書を借り、辞書を引きながら読み始めると、とてもおもしろかったそうですが、
何より、日本の昔話と同じ話を2つ(「たいこたたき」⇒「天の羽衣」、「さるかに合戦」⇒「コベルスさん」)見つけた時に、衝撃を受けたそうで、
なぜこのようなことが起きるのかを研究したくなり、この時、グリム童話を卒論のテーマにしようと決めたのだそうです。
「小澤俊夫の若い頃から現在までの著書や経歴は?柳田國男との出会いが始まりだった!」に続く
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東北大学大学院で修士論文を執筆中、日本民俗学の父・柳田國男氏と出会い、その際にかけられた言葉により、日本の昔話の研究を始めたという、小澤俊夫(おざわ としお)さん。 今回は、そんな小澤俊夫さんの、若い頃から現在までの活動 …







