ドイツ文学者で昔話研究者の小澤俊夫(おざわ としお)さんは、幼い頃、顔に重度の火傷を負ったそうで、そのやけどの痕のせいで、幼少期からずっとイジメに苦しんでいたといいます。
今回は、小澤俊夫さんの顔のやけどについて、NHKの番組「ファミリーヒストリー」や、小澤俊夫さんや家族の証言を交えてご紹介します。

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小澤俊夫の顔の傷は1歳の時に負った火傷が原因だった
小澤俊夫さん一家は、太平洋戦争前、満州で暮らしていたそうですが、小澤俊夫さんは、1歳の時、「不幸な事故」があり、顔に大火傷を負ってしまったそうです。
ちなみに、小澤俊夫さんが火傷を負った具体的な状況は公表されておらず、詳細は不明ですが、
小澤俊夫さんのお母さんが、NHKの番組「ファミリーヒストリー」(2019年8月12日放送、弟・小澤征悦さんの回)で、
子育ての最中、不慮の事故で子供の顔に傷を残してしまった
と、語っており、
家庭内の日常的な出来事(火元に近づいた、調理中の火傷など)と考えられています。
また、小澤俊夫さん本人は、後年、この事故について、
母を傷つけたくない
との思いから、お母さんが90歳になるまで詳細を聞かなかったといいます。
(お母さんは自責の念に苦しみ、家庭内でこの話はタブー視されていたそうです)
小澤俊夫は幼少期から顔の火傷が原因でイジメに遭っていた
とはいえ、小澤俊夫さんは、この事故により、顔半分(特に頬から顎にかけて)に深い火傷の痕が残ってしまい、
幼い頃は、火傷の痕が原因で、学校や近所で、友達から避けられたり、容姿をからかわれたり、悪口を言われたりと、激しいイジメを受けたといいます。
それでも、弟の小澤征爾さんら兄弟や家族の支えがあり、特に、お母さんの愛情は深かったそうで、小澤俊夫さんは、お母さんを悲しませたくないという思いから、いつも明るく振る舞うことを心がけていたそうで、
小澤俊夫さんは、「人生のみちしるべ 心を励ます声~昔話と我が人生」で、
2歳にならない頃に顔に火傷をして、おっぱいも飲めなくなって死にそうだった。母親は23歳ごろで大変だったと思います。
生き延びて、からかわれたりしたことも沢山ありましたが、家では守られていました。耐えるという事は小さいときから自然にせざるを得なかった。
みんなからからかわれること、笑われること、に耐える事。でもその視線は今でも変わらないよ。弱い者の立場はよくわかります。昔話に惹かれるのもそれがあるからという気がするね。
と、語っています。
小澤俊夫はドイツ留学時代から少しずつ顔の火傷の痕を受け入れられるようになっていた
そんな中、小澤俊夫さんは、ドイツに留学していた際、ドクター・ヘックという教授と親しくなり、チロルという田舎町に2人で調査に行ったことがあったそうですが、その帰り、
ドクター・ヘックに、
君は民族学が向いているよ、君は人から愛される人間だから
と、言われ、
小澤俊夫さんは、この言葉にとても驚いたそうです。
というのも、容姿のせいで、人に近づくことが嫌で、特に初対面の人が苦手だったからなのですが、
ドクター・ヘックの言葉で、
知らない人に会っても大丈夫なんだ
と思えるようになり、それがとてもありがたかったそうで、
ドイツから帰って来てからは、昔話の調査が本格的にできるようになったそうで、
小澤俊夫さんは、2023年2月、NHKラジオ番組「深夜の声」で、
火傷の痕は辛かったが、人に覚えられやすく、好かれるきっかけにもなった。恐れを乗り越える意味で良かった
と、前向きに語っており、
お母さんが他界後、ようやく、この不幸な事故を家族史として記録することができたといいます。
「小澤俊夫の妻は?家系図は?子供は息子が2人で次男は小沢健二!孫は?」に続く
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日本と世界の昔話の研究を続け、1992年からは、全国各地で「昔ばなし大学」を開講すると、視覚重視の現代において、昔話の素晴らしさと語りの普及に努めている、小澤俊夫(おざわ としお)さん。 そんな小澤俊夫さんのプライベート …







