舞台を中心に数多くのテレビドラマや映画にも出演する中、2003年、52歳の時、テレビドラマ「特命係長 只野仁」の佐川和男課長役を演じると、たちまち知名度が上がり、その後は、ユニークなキャラクターでお茶の間の人気を博している、田山涼成(たやま りょうせい)さん。

そんな田山涼成さんは、1962年、10歳の時、日本放送協会名古屋局の放送児童劇団に入団し、子役として活動を始めると、愛知大学中退後の1973年、22歳の時には、難関を突破して「文学座」の研究所に入所したといいます。

今回は、田山涼成さんの、生い立ち(幼少期から「文学座研究所」に入所するまで)をご紹介します。

田山涼成

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田山涼成のプロフィール

田山涼成さんは、1951年8月9日生まれ、
愛知県名古屋市緑区の出身、

身長171センチ、

靴のサイズは26センチ、

血液型はA型、

本名・旧芸名は、「高山良一」、

学歴は、
名古屋市立鳴海小学校
⇒名古屋市立鳴海中学校
⇒愛知大学中退

趣味は、料理、サッカー、水泳、

ちなみに、お父さんの影響で、幼い頃から中日ドラゴンズのファンだそうです。

田山涼成は10歳の時に日本放送協会放送児童劇団(NHK児童劇団)に入団していた

田山涼成さんは、5人きょうだい(兄、姉、弟、妹)の第3子として誕生すると、小学校時代は、病弱で内気な少年だったそうですが、

そんな田山涼成さんを心配したお母さんの勧めにより、1962年、10歳の時には、日本放送協会名古屋局の放送児童劇団(NHK児童劇団)に入団したそうです。

田山涼成は11歳の時に子役としてNHKドラマ「中学生次郎」で主役を演じていた

そして、1962年、11歳の時には、NHKドラマ「中学生次郎」(「中学生日記」のルーツとなる番組)で主人公を演じ(「高山良一」名義)、お芝居に目覚めると、

「中学生次郎」出演時の田山涼成
「中学生次郎」より。中央が田山涼成(当時は高山良一)さん。

1967年、18歳の時には、「われら高校生」でも主演を務めたそうで(「高山良一」名義)、

「われら高校生」出演時の田山涼成
「われら高校生」より。左から2人目が田山涼成(当時は高山良一)さん。

田山涼成さんは、

10歳のとき、NHKの児童劇団で子役として活動を始めたんですが、そのときに朗読や発音なんかを教えてくれる先生から、『普段、お父さん見ていて、どんなことを感じる?』とか、『お母さんの癖を知ってる?』とか、身近にいるいろんな人のことを質問されたんです。

その先生の言葉が、自分の中に深く刻まれてしまった。上京してからも、街中で女性と男性が喧嘩してて、女性が車を蹴ったのを見たときに、『ああ、女の人は怒ると車を蹴ったりするんだ』とか(笑)。

電車の連結部分で、若い男女がキスしてるのを見て、『羞恥心はないのかなぁ』と思ったり。周りのいろんな印象的な出来事を、記憶に残す癖がついちゃった。演じるときは、その『原体験』とか『原風景』を広げていくようになって」

と、語っています。

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田山涼成は22歳の時に「文学座」研究所に第15期生として入所していた

その後の経緯は不明ですが、田山涼成さんは、愛知大学中退後の1973年、22歳の時、お父さんの反対を押し切って、「文学座」の試験を受けると、難関を突破して合格したそうで、

「文学座」の研究所に第15期生として入所したのだそうです。

「田山涼成の若い頃(下積時代)は日活ロマンポルノや夢の遊眠社(野田秀樹)!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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