1974年、23歳の時に、「文学座研究所」を卒業すると、その後は、アルバイトで生計を立てる中、演出家の蜷川幸雄さんに直談判して舞台に出演するほか、日活ロマンポルノにも出演すると、
その後、1980年、29歳の時には、今度は、野田秀樹さんに直談判して、野田秀樹さん主宰の劇団「夢の遊眠社」に入り、1992年に解散するまで、主要メンバーとして活躍した、田山涼成(たやま りょうせい)さん。
今回は、そんな田山涼成さんの、若い頃(下積時代)の活動や経歴を、「文学座研究所」卒業から「夢の遊眠社」解散まで、時系列でご紹介します。

「田山涼成の生い立ちは?幼少期は子役!大学中退し文学座研究所に入所していた!」からの続き
田山涼成は26歳の時に蜷川幸雄に直談判して舞台「三文オペラ」に出演していた
1973年、22歳の時、「文学座研究所」の試験を受け、見事、難関を突破して合格した田山涼成さんは、1974年、23歳の時、「文学座研究所」を卒業したそうですが、残念ながら「文学座」には入れなかったそうで、
その後は、生活の為に続けていたアルバイト(レストランの皿洗い、縁日のおもちゃ屋、缶詰工場で不良品のチェックなど)を続けながら、「日生劇場」の裏方のアルバイトも始めたそうですが、
1976年、25歳の時には、蜷川幸雄さん演出の舞台「オイティップス王」が連日公演されていたそうで、大道具の仕事をしながら、毎日、お芝居を観ることができて嬉しかったそうです。
ただ、その一方で、自分と同じくらいの演技力の人が舞台に出演しているのを観て、どうしたらこういうお芝居に出られるようになるのだろうと、考えるようになり、
毎日すれ違うも一度も話したことがなかった蜷川幸雄さんに、ある時、思いきって、「すいません」と声をかけ、
私はこういうもので・・・文学座で・・・・舞台に出たいんですけど・・・オーディションとか受けないと・・・・
と、一方的にワーワーと話をすると、
なんと、蜷川幸雄さんは、
我が家に遊びにおいでよ
と、言ってくれたそうで、
すぐに遊びに行くと、蜷川幸雄さんの次の舞台「三文オペラ」(1977年、田山涼成さん26歳)に出演することができたのだそうです。
ちなみに、この舞台「三文オペラ」では、田山涼成さんのセリフは3つあったそうですが、非常に多くの出演者がおり、田山涼成さんはその中の一人に過ぎなかったそうで、
舞台を観に来てくれた弟さんからは、
兄貴がどこに出てるか分からない
と言われ、田山涼成さんはショックを受けたそうです。
田山涼成は28歳から日活ロマンポルノに出演していた
また、田山涼成さんは、1979年、28歳の時には、日活ロマンポルノの「ひと夏の秘密」に出演すると、以降、日活ロマンポルノに10本以上出演し、日活ロマンポルノに欠かせない俳優となっているのですが、
そんな中、日活ロマンポルノに出演していることが、両親に知られてしまったといいます。
ただ、役者になることに反対だったお父さんが、なんと、
あれは面白いじゃないか。今度いつ出るんだ。
と、応援してくれるようになったそうで、
それから何年か経った後も、
あの映画面白かったな。もうやらないのか。
とまで言ってくれるようになったのだそうです。
田山涼成は29歳の時に野田秀樹の劇団「夢の遊眠社」に入団
さておき、蜷川幸雄さんの舞台への出演が叶ったとはいえ、いつも蜷川幸雄さんの舞台に出演できる訳でもないことから、田山涼成さんは次の舞台について考えていたそうですが、
ある時、東京大学の学食を食べに行くと、
(貧乏だったため大学の学食でご飯を食べていたそうです)
東京大学の隣の「駒場小劇場」で、お芝居をやっている人たちの姿が目に留まったそうで、
はじめは、東京大学のアマチュアサークルだったため、軽い気持ちでふんぞり返ってそのお芝居を観ていたそうですが、
観ているうちに、今まで自分がやってきた劇を全て否定されているような、お芝居の中に哲学が流れているかのような、そんな気がしてきたそうで、
チラシを大切に持って帰り、家に着くとすぐにそこに載っていた電話番号に電話をかけたそうです。
すると、男性が出たそうで、
田山涼成さんが、
私は29歳で役者をやってまして・・・もうできあがっててそんな役者は使わないって・・・東大生でもないんで劇団に入れてもらえないかもしれないですけど・・とにかく野田氏(主宰の野田秀樹さん)に会いたくて・・・
と、言うと、
その男性には、
いや、今、野田はいませんから
と、断られたそうですが、
それでも、田山涼成さんが、
そこを何とか・・・
と、食らいつき、(蜷川幸雄さんの時のように)一方的にワーワーと話すと、
その男性は、面倒くさくなったのか、その情熱に打たれたのか、
すみません、僕が野田です
と、自身が野田秀樹さんであることを明かしたそうで、
今夜会いませんか
ということになり、
田山涼成さんが、野田秀樹さんのアパートに会いに行くと、すぐに、
やりませんか
と、言ってもらえたそうで、
田山涼成さんは、1980年、29歳の時、野田秀樹さん主宰の劇団「夢の遊眠社」に入団することになったのだそうです。
ちなみに、田山涼成さんは、当時を振り返り、
高校1年のときに、テネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車」を見て、すごく感動して思ったことがあるんです。「いまよりも一歩進んだ、新しいものを見つけるようにしよう」と。
その気持ちは、いまも変わらないですね。実は「夢の遊眠社」に入団したのも、「文学座」を卒業後に公演を見て、それまでにない新しさを感じたからなんです。
と、明かしています。

「半神」より。田山涼成さんと山下容莉枝さん。
田山涼成が41歳の時に「夢の遊眠社」は解散
以降、田山涼成さんは、長年、「夢の遊眠社」で主要メンバーとして活躍したのですが、
1992年(田山涼成さん41歳)には、「夢の遊眠社」は惜しまれつつ解散しています。
ちなみに、田山涼成さんは、さぞ残念だっただろうと思いきや、
劇団が解散したときは、実はうれしかったですね。それまでは野田さんの台本を劇団員が独り占めしていたので、それが外に広がることは良いことだと思ったからです。野田さん個人はともあれ、彼の台本は愛していますからね(笑)
と、語っています。
「【画像】田山涼成の若い頃から現在までの出演舞台ドラマ映画ほか経歴は?」に続く
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