2015年、25歳の時、演歌歌手の吉幾三さんに弟子入りし、2016年4月、26歳の時、ファーストシングル「れい子」で演歌歌手デビューすると、ハスキーな歌声で人気を博し、2018年にリリースした3枚目のシングル「酔いのブルース」がロングヒットとなった、真田ナオキ(さなだ なおき)さん。
そんな真田ナオキさんは、小中学生の時は、少年野球で日本代表に選ばれ、プロ野球選手になることを夢見るも、中学生の時に右肘をケガして野球を断念したそうで、
その後、2011年、21歳の時、東日本大震災が起こり、たまたま、テレビで、小学生の臼澤みさきさんが被災地の民謡クラブで歌っている姿を見て、歌の持つ力に感動し、歌手になる決意をしたといいます。
今回は、真田ナオキさんの生い立ち(小中学生時代~歌手になるために喉を潰すトレーニングに励んでいた時代)をご紹介します。

真田ナオキのプロフィール
真田ナオキさんは、1989年12月22日生まれ、
埼玉県さいたま市の出身、
血液型はО型、
学歴は、
さいたま市立大谷場中学校卒業、
趣味は、野球、競走馬観覧、
(ヤクルトスワローズの大ファンで、2022年には神宮球場で始球式を務めたそうです)
特技は、空手(初段※極真空手道連盟極真会館)、
ちなみに、本名は「松谷大介(まつたに だいすけ)」で、
お父さんは、演歌歌手の桂竜士(かつら りゅうじ)さんです。
真田ナオキは小中学生の時に少年野球で日本代表に選ばれたことがあった
真田ナオキさんは、演歌歌手のお父さん・桂竜士さんのもと2人きょうだい(姉が1人)の末っ子として誕生すると、
小学1年生の時に野球を始めて以来、野球に熱中し、小中学生の頃は、日本代表選抜メンバーの1番センターとして世界大会に出場したこともあったそうです。
真田ナオキは中学時代は暴走族の総長を務めていたこともあった
そんな真田ナオキさんは、プロ野球選手になることを夢見ていたそうですが・・・
小学6年生の時、大会で右肘をケガし、野球を断念せざるを得なくなってしまったそうで、
目標を見失って自暴自棄になり、学校にもほとんど行かなくなってしまうと、中学生の時には、髪型をリーゼントにし、地元の暴走族の総長を務めるなど、荒れた時期を送っていたこともあったといいます。
(ただ、「弱いものいじめはしない」「仲間は大切にする」「盗みやクスリはやらない」「女性には手を出さない」という自分なりに筋を通すルールを作り、仲間や後輩たちに厳しく言い渡していたそうです)
真田ナオキは中学卒業後の2年間、広島で一人暮らしをしていた
そして、中学卒業後は、実家が経営する水道屋で働くことになっていたそうですが、
その前に、
一人になったほうが男としても大きくなれるかな
という思いから、約2年間、広島で一人暮らしをしながら、建築現場の作業員、バーテンダーなど様々な仕事をしたそうで、
真田ナオキさんは、
もともと、一人旅とか、ひとりでブラッとどっか行ったりするのが好きだったんです。小中学生の頃から、自転車で新潟に行ったりもしてました。そんなつもりで広島に行ったんですけどね
と、語っています。
真田ナオキは21歳の時に歌手の道に進む決意をしていた
その後、真田ナオキさんは、広島から埼玉に戻り、実家の水道屋で働き始めたそうですが(営業職に就き、ウォーターサーバーを販売していたという話も)、
2011年3月、21歳の時、東日本大震災が起こり、たまたま、テレビで、一人の少女(臼澤みさきさん)が被災地の民謡クラブで歌っている姿を見ると、涙が止まらなくなるほど感動したそうで、
歌一つで勇気や元気を与えることのできる歌手の道に進みたいと思うようになったのだそうです。
(実は、真田ナオキさんは、19歳頃から、家族から歌手になることを強く勧められていたそうですが、ずっと拒んでいたのだそうです)
真田ナオキは21歳の時に歌を習い始めるも「才能がない」と言われ続けていた
こうして、歌手の道に進む決意をした真田ナオキさんは、臼澤みさきさんが民謡を歌っていたことから、まず、民謡の先生のところに習いに行ったそうですが、
真田ナオキさんの中性的でか細い声は、民謡には向いておらず、
歌は才能がないから三味線をやりなさい
と、言われたそうで、
また別の歌の先生のところに通い始めたそうですが、
ここでも、
才能がない
と、言われたのだそうです。
真田ナオキは個性的な声になろうと”声を潰す”ために叫び続けていた
そんな真田ナオキさんは、それまで、スポーツでは才能がないと言われたことがなかったこともあり、歌で才能がないと言われたことが悔しくて悔しくて仕方がなく、
いろいろな人にどうしたら歌手になれるか聞いて回ると、歌は単にうまいだけではなく、個性が必要だということに気づいたそうで、
ラジオから聴こえてきた時に「あの人の声だ」と分かるような声だったらいけるのではと思い、”声を潰(つぶ)す”ことを思いついたのだそうです。
そこで、歌手の村田英雄さんが、”海辺で歌って潮風で声を作った”という話を聞き、それをやろうと思い立ち、カラオケボックスで何時間も叫んだり、週末は湘南まで行き何時間も叫ぶなど、それこそ、喉(のど)から血が出るまで叫んだそうで、
真田ナオキさんは、その時のことを、
血が出るまでやりました。始めは、ちょっとつぶしたくらいじゃ戻っちゃうんで、これはトコトンやらなきゃって思いましたね。痛かったですし、辛かったです。
お水でもしみるし、塩っぽい物食べたら激痛ですし、毎朝、血痰が出るし、でも血が出ても叫ぶんです。痛くなったら、また叫ぶ、声が出なくなっても、また叫ぶ、それをずーっと続けると血が出るんです
あとは、”のどに悪い”って聞くと、なんでもやりました。唐辛子を食べたりとか、日本酒でうがいしたりとか・・・。でも、今、もう1回やれって言われたら、絶対やりたくないですね
と、明かしています。
「【画像】真田ナオキの若い頃(デビュー)から現在までのシングルほか経歴は?」に続く
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2015年、食事会で吉幾三さんを紹介してもらうと、その後、スナックで歌った歌声を吉幾三さんに気に入られ、即日、弟子入りを勧められたという、真田ナオキ(さなだ なおき)さんは、 翌年には、吉幾三さんプロデュースで歌手デビュ …






