1955年、25歳の時、三木鶏郎さんに誘われ、「冗談工房」に入所すると、5年間で、野坂昭如さんとコンビを組んだ「伊東に行くならハトヤ」をはじめ、500曲近くのCMソングを手掛け、
その後、永六輔さんに誘われ、初のミュージカル「見上げてごらん夜の星を」の劇中主題歌を作曲すると、大ヒットを記録した、いずみたくさん。
今回は、いずみたくさんの若い頃(作曲家デビュー~CMソング作曲時代)の経歴を時系列でご紹介します。

「いずみたくの生い立ちは?高校時代から劇団を設立して全国で公演していた!」からの続き
いずみたくは25歳頃、作曲家の芥川也寸志に弟子入りし作曲を学んでいた
作曲家になろうと決意し、劇団を辞めたいずみたくさんは、トラックの運転手として働くかたわら、1955年頃には、ワルシャワ青年平和祭の作曲コンクールに応募すると、日本の国内予選に入選したそうですが、
その際、審査員だった作曲家の芥川也寸志さんに、
いずみたくは、メロディを作る才能がある
と、評価されたそうで、
いずみたくさんは、弟子をとらないという芥川也寸志さんに懇願して弟子入し、作曲を学んだそうです。
いずみたくは25歳の時、三木鶏郎に誘われ「冗談工房」に入所していた
そして、1955年、25歳の時には、朝日放送(ABC)のホームソングコンクールに「ぶどう」という曲を応募すると、見事、入賞し、
審査員の一人だった、放送作家で作詞・作曲家の三木鶏郎さんに誘われて、三木鶏郎さん主宰の音楽・放送制作集団「冗談工房」に入所し、主に音楽の仕事に携わったそうです。
いずみたくは25歳の時に「チョコレートは明治」「伊東に行くならハトヤ」などのCMソングを制作
そんないずみたくさんは、「冗談工房」では、ラジオ番組「トリローサンドイッチ」の音楽制作を中心に、CMソングや放送音楽を作曲したそうで、明治製菓のCM「♫チョコレートは明治♫」などを手掛けているのですが、
同年(1955年)には、同じく三木鶏郎さんの門下生だった作詞家の野坂昭如さんと知り合い、ハトヤのCM「♫伊東に行くならハトヤ♫」など、野坂昭如さんとのコンビで数多くのCMソングを制作するほか、
放送作家の永六輔さんとも知り合い、永六輔さんのユーモアを活かした音楽も数多く制作しています。
ハトヤのCM「伊東に行くならハトヤ」
いずみたくは29歳~34歳の時に野坂昭如とのコンビで500曲ものCMソングを作曲していた
ただ、やがて、いずみたくさんは、野坂昭如さんと共に、三木鶏郎さんに内緒でCMソングのアルバイトを始めるようになったそうで、1959年5月頃には、そのことが、三木鶏郎さんの知るところとなると、2人そろって解雇されたそうで、
同年、いずみたくさんは、野坂昭如さんと共に制作会社「国際芸術協会」を設立すると、以降、野坂昭如さんと組んでCMソングを手掛けたそうで、解散するまでの5年間で500曲近いCMソングを作り上げたのだそうです。
(また、その後、野坂昭如さんとのコンビで、テレビ、映画、歌謡曲、ミュージカル音楽へと展開していったそうです)
いずみたくは30歳の時に永六輔に誘われ手掛けた初のミュージカル「見上げてごらん夜の星を」が大ヒット
こうして、一躍、売れっ子の作曲家となったいずみたくさんですが・・・
CM曲がヒットする度に、自分が小さくなっていくように感じ、
いつしか、
やっぱり演劇をやりたい
という思いが強くなっていったといいます。
そんな中、音楽鑑賞団体の舞台監督だった永六輔さんから、突然、
たくちゃん、ミュージカルを作ろう! 他には絶対ないやつを!
と、声をかけられたそうで、
(当時、日本では、ミュージカルはまだ馴染みが薄かったそうです)
初のミュージカル「見上げてごらん夜の星を」(作詞は永六輔さん)の作曲を担当することになり、それまで受けてきたCMの仕事を全て断り、このミュージカルに全ての力を注ぐと、
1960年7月、大阪フェスティバルホールで初演が行われた、この(夜間学校に通う高校生たちの様々な青春を描いた)「見上げてごらん夜の星を」は、スター俳優が一人も出演していないにもかかわらず、大ヒット。
また、いずみたくさんは、上演が終わった後に席を立つ観客が歌を歌いながら帰る姿を見て感動したそうで、この時、日本のオリジナルミュージカル作りに生涯を捧げる決意をしたのだそうです。
(いずみたくさんは、このミュージカルで、舞台美術担当のやなせたかしさん(「アンパンマン」の原作者)を紹介されたそうですが、以降、長きに渡ってやなせたかしさんと仕事を続けています)
いずみたくは33歳の時に「見上げてごらん夜の星を」でレコード大賞作曲賞を受賞
その後、いずみたくさんは、1962年、32歳の時、個人事務所「いずみたくミュージックオフィス」を開設し、1963年には、「株式会社オールスタッフプロダクション」を設立しているのですが、
同年(1963年)5月1日、坂本九さんが、ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」の劇中主題歌「見上げてごらん夜の星を」をシングルとしてリリースすると、1964年時点で15万枚を売り上げる大ヒットを記録し、いずみたくさんは、「第5回日本レコード大賞作曲賞」を受賞しています。
また、同年11月には、坂本九さん主演で映画化されると、こちらも大ヒットとなっています。
「【画像】いずみたくの若い頃から死去までのヒット曲ほか経歴は?」に続く

「見上げてごらん夜の星を」
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1960年代後半、永六輔さん、「デューク・エイセス」と共に「にほんのうた」シリーズでご当地ソングを手掛けるかたわら、「世界は二人のために」「恋の季節」「夜明けのスキャット」などをヒットさせ、1969年には、「いいじゃない …


