1960年代後半、永六輔さん、「デューク・エイセス」と共に「にほんのうた」シリーズでご当地ソングを手掛けるかたわら、「世界は二人のために」「恋の季節」「夜明けのスキャット」などをヒットさせ、1969年には、「いいじゃないの幸せならば」で日本レコード大賞を受賞すると、

その後は、ミュージカル創作に情熱を注ぎ、120本以上のミュージカル作品を生み出した、いずみたくさん。

今回は、そんないずみたくさんの若い頃(歌謡曲・ミュージカル作曲時代)から他界されるまでのヒット曲ほか経歴を時系列でご紹介します。

いずみたく

「いずみたくの若い頃はCMソングを作曲!野坂昭如とのコンビで500曲も!」からの続き

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いずみたくは35歳~39歳の時に永六輔、デューク・エイセスと共に「にほんのうた」シリーズに携わっていた

いずみたくさんは、1965年、永六輔さん(作詞)、「デューク・エイセス」(歌)と共に日本全国各地のご当地ソングを作る企画「にほんのうた」シリーズで作曲を担当しているのですが、

永六輔さんと共に、実際に各都道府県を旅しながら、名所にちなんだ曲を作ったそうで、「いい湯だな」(群馬県)、「女ひとり」(京都府)、「フェニックス・ハネムーン」(宮崎県)などのヒット曲を生み出しています。

(「にほんのうた」シリーズは、1969年に終了するまで、4年間でアルバム4枚をリリースしています)

「いい湯だな」(デューク・エイセス)

いずみたくは37歳~39歳の時に「世界は二人のために」「恋の季節」「夜明けのスキャット」「いいじゃないの幸せならば」が大ヒット

また、いずみたくさんは、そのかたわら、岩谷時子さんや山上路夫さんら気鋭の作詞家たちとコンビを組むと、

  • 1967年「世界は二人のために」(佐良直美さん)
    「世界は二人のために」
    「世界は二人のために」
  • 1968年「恋の季節」(ピンキーとキラーズ)
    「恋の季節」
    「恋の季節」
  • 1969年「夜明けのスキャット」(由紀さおり
    「夜明けのスキャット」
    「夜明けのスキャット」

など次々とヒットを飛ばし、

1969年には、佐良直美さんが歌唱した「いいじゃないの幸せならば」が「第11回日本レコード大賞」を受賞しています。

「いいじゃないの幸せならば」
「いいじゃないの幸せならば」

いずみたくは45歳の時に俳優養成学校「いずみたくミュージックアカデミー」を設立

その後、いずみたくさんは、1975年、45歳の時には、念願だった俳優養成学校「いずみたくミュージックアカデミー」を設立すると、

翌年の1976年には、六本木の自社ビルの地下に客席数100席の劇場「アトリエフォンテーヌ」をオープンし、そこを拠点に数々の実験的な公演を開催しています。

いずみたくは47歳の時に「劇団フォーリーズ」を旗揚げ

そして、1977年には、「いずみたくミュージックアカデミー」で育てたメンバーを中心に、ミュージカルを専門に上演する劇団「いずみたくフォーリーズ」を旗揚げしています。

(いずみたくさんは、「歌はドラマである」をモットーにミュージカルに情熱を注ぎ、「洪水の前」「おれたちは天使じゃない」「歌麿」「船長」「死神」「聖スブやん(小説『エロ事師たち』の舞台化)」など、120本あまりのミュージカルの作曲を手がけています)

いずみたくは59歳の時に参議院議員に繰り上げ当選していた

そんないずみたくさんは、1986年、56歳の時には、第二院クラブから参議院比例区に出馬するも落選しているのですが、

1989年、59歳の時には、友人の青島幸男氏の議員辞職により、繰り上げ当選となり、

任期中は、

日本は世界第2位の経済大国であるのに、国の文化・芸術関連への予算配分が少なすぎる

と、文教関係予算の増額に努めたそうです。

いずみたくの死因は?

その後も、いずみたくさんは、参議院議員と作曲家の活動を並行して行い、1992年には、「すすめ!アンパンマン号」(ミュージカル「アンパンマンと勇気の花」の挿入歌)の作曲を手掛けていたのですが、

(いずみたくさんは、やなせたかしさん原作の「それいけ!アンパンマン」のアニメ化作品の音楽を担当していました)

肝臓の病気が進行し、1992年春頃には、鉛筆を持つ力さえ失われ、作曲作業を奥さんに口述筆記してもらうようになると、

参議院議員任期途中(病のため政治活動は中断していました)の1992年5月11日、肝不全により、東京都港区の済生会中央病院で、62歳で他界されたのでした。

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いずみたくの主な作曲・編曲作品

それでは、最後に、いずみたくさんの主な作曲・編曲作品をご紹介しましょう。

  • 1963年「見上げてごらん夜の星を」(坂本九)
    「見上げてごらん夜の星を」
    「見上げてごらん夜の星を」
  • 1963年「オカリナの丘」(中尾ミエ
  • 1964年「友情の歌」(九重佑三子、東京放送児童合唱団)
  • 1964年「夜明けのうた」(岸洋子)
  • 1965年「若い明日」(布施明※「青春とはなんだ」主題歌
  • 1965年「貴様と俺」(布施明)※「青春とはなんだ」挿入歌
  • 1966年「これが青春だ」(布施明)※「これが青春だ」主題歌
    「これが青春だ」
    「これが青春だ」
  • 1966年「五匹のかえる」(天地総子、ボニージャックス)
  • 1967年「世界は二人のために」(佐良直美)
  • 1967年「街」(伊東ゆかり、ひばり児童合唱団)
  • 1968年「恋の季節」(ピンキーとキラーズ)
  • 1968年「行列のうた」(ひばり児童合唱団)
  • 1968年「どこかがちがう」(東京放送児童合唱団)
  • 1968年「星になりたい」(佐良直美)
    「星になりたい」
    「星になりたい」
  • 1969年「夜明けのスキャット」(由紀さおり)
  • 1969年「あそぼうよ」(ピンキーとキラーズ)
  • 1970年「希望」(岸洋子)
  • 1970年「ぼくの海」(佐良直美)
  • 1972年「太陽がくれた季節」(青い三角定規)
    「太陽がくれた季節」
    「太陽がくれた季節」
  • 1972年「ひとつをみんなで」(青い三角定規)

ほか、数多くの作品を手掛けています。

「いずみたくとやなせたかしの出会いは?手のひらを太陽にほか共作は240曲!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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