1967年「世界は二人のために」でレコードデビューされると、たちまち大ヒットを記録し、一躍人気歌手となられた、佐良直美(さがら なおみ)さん。1969年にリリースした8枚目のシングル「いいじゃないの幸せならば」も大ヒットとなると、以降、歌手活動と並行して、女優、タレントとしても活躍されていたのですが・・・

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年齢は?出身は?本名は?

佐良さんは、1945年1月10日生まれ、
東京都のご出身、

本名は、
山口納堡子(やまぐち なほこ)、

学歴は、
日本大学藝術学部卒業、

ちなみに、佐良さんは、明治時代の漢学者、
川田甕江(かわた/かわだ おうこう)さんの玄孫(やしゃご)で、
住友財閥・常務理事の川田順さん(甕江さんの三男)の
従曾孫(いとこのひ孫)にあたるそうです。

また、佐良さんの母方の大伯父である山口彰夫さんの奥さんと、
吉永小百合さんのお母さんは姉妹だそうです。

歌手デビュー曲「世界は二人のために!」が大ヒット

佐良さんは、フジテレビの音楽番組のディレクターを目指し、
日本大学芸術学部に進学されると、

大学在学中には、番組で使われる身を経験しようと、
ホテル「日航ミュージックサロン」などで歌を歌っていたのですが、

作曲家のいずみたくさんと「ビクター」の小沢ディレクターにスカウトされ、
大学卒業後の1967年5月、「世界は二人のために」でレコードデビューされると、
たちまち120万枚のレコードを売り上げる大ヒットを記録。


「世界は二人のために」

この年には、「第9回日本レコード大賞新人賞」を受賞するほか、
「第18回NHK紅白歌合戦」にも出場し、一躍人気歌手となられます。

(デビューから半年間は休みなしで、睡眠時間は1日2~3時間。
 レコード大賞を受賞された頃には1ヶ月に仕事が80本という忙しさだったそうです)

そして、その後も、

1967年12月「私の好きなもの」
1968年2月「星になりたい」
     5月「恋はオールデー・オールナイト」
     7月「すてきなファーニー」
     12月「愛の結晶」
1969年3月「ギターのような女の子」


と、立て続けにシングルをリリースすると、

1969年7月にリリースした8枚目のシングル「いいじゃないの幸せならば」では、
「第11回日本レコード大賞」を受賞し、橋幸夫さんに続く、
史上二人目の2冠(新人賞・大賞)となられています。(女性歌手としては、史上初)


「いいじゃないの幸せならば」

「肝っ玉かあさん」「ありがとう」ほか女優としても

また、佐良さんは、歌手として活躍される一方で、
1968年には、「若草物語」でテレビドラマデビューされると、

以降、

1968~1972年「肝っ玉かあさん」(テーマ曲も担当)
1970~1975年「ありがとう」(テーマ曲も担当)
1971年「女と味噌汁」
1975年「明日がござる」
1977年「家族」
1981年「出逢い」
1982年「おはよう24時間」


「ありがとう」より。長谷川哲夫さんと佐良さん。


「明日がござる」より。荻島真一さんと佐良さん。

など、話題のテレビドラマにも次々と出演されるほか、

タレントとしてバラエティ番組に出演されたり、
テレビ番組の司会を担当されたりと、多方面で活躍されていたのですが・・・

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キャッシーとのレズ(同性愛)騒動

人気絶頂だった1980年5月19日、突如、タレントのキャッシーさんが、
ワイドショー「アフタヌーンショー」で、

「キャッシー涙の告白!! 佐良直美との愛の破局」

と題して、佐良さんとのレズ生活を赤裸々に告白し、
佐良さんの親族から別れさせられたと、涙ながらに語る姿が映し出されます。

実は、佐良さんに「捨てられた」と主張するキャッシーさんが、
芸能レポーターで「アフタヌーンショー」のレギュラーだった梨元勝さんに訴え、
梨本さんのお膳立てで出演されたものなのですが、

その後も、同番組や週刊誌などで、佐良さんとは3年半ほど前から、
「ナオ」「おまえ」と呼び合う「夫と妻の間柄」であり、

1979年9月頃から佐良さんの家で同居を始めるも、
佐良さんの親族から嫌がらせをされて仲を引き裂かれ、
家を飛び出したと告白されるほか、

佐良さんからもらったという、

世界中の誰よりも直は幸せだぞ。一生離さんからな。おぼえとけ。

早く帰ってきて欲しい。会いたい。あなたのnaoより。

という手紙などを公開されたのです。

(梨本さんも、2人の官能の日々を「週刊現代」誌上に綴られています)


当時のキャッシーさん

しかし、佐良さんはというと、
事実関係を全面否定したうえに、手紙も偽物と反論。

ただ、同性愛について過剰に反応し、「気持ち悪い」
と感情的なコメントをしたため、佐良さんはすっかり悪者にされてしまい、

法律的には認められなくてもそういう関係はあるの

と訴えたキャッシーさんに同情が集まります。

最終的には、佐良さんが訴訟を起こして、
同年5月末キャッシーさんが謝罪、と騒動は収まったのですが、

佐良さんのイメージダウンは免れず、その年の紅白歌合戦には落選。
その後もテレビ出演が激減して表舞台から姿を消すと、
1987年、ひっそりと芸能界から引退されたのでした。

(ちなみに、キャッシーさんはというと、1984年、
 芸能界を追放される形で引退されています)

「佐良直美の引退理由は?レズ騒動の真相は?犬のしつけ教室?」に続く

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