「機動戦士ガンダム」のシャア・アズナブル役のほか、「名探偵コナン」の赤井秀一役、「ONE PIECE」のシャンクス役など、クールなイケメンキャラの声を数多く演じ、人気を博している、池田秀一(いけだ しゅういち)さん。

そんな池田秀一さんは、8歳の時、近所の友だちに誘われて、劇団「こまどり」に入団すると、以降、子役として活動し、中学2年生の時には、NHKのテレビドラマ「次郎物語」の主演に抜擢され、”天才子役”と称されていたといいます。

今回は、池田秀一さんの生い立ち(幼少期から子役時代まで)をご紹介します。

池田秀一

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池田秀一のプロフィール

池田秀一さんは、1949年12月2日生まれ、
東京都中野区野方の出身、

身長162センチ、
体重60キロ、

血液型はO型、

学歴は、
中野区立緑野中学校
⇒東海大学付属高輪台高等学校
⇒日本大学芸術学部映画学科中退

趣味は、草野球、ゴルフ、

ちなみに、「池田秀一」は本名です。

池田秀一は小学校入学後に両親が離婚し母親と暮らすようになっていた

池田秀一さんは、3人きょうだい(兄1人、妹1人)の次男として誕生したそうですが、

小学校に入学後、両親が離婚したことから、お兄さんと妹さんと共に、お母さんのもとで暮らすようになったそうです。

池田秀一は8歳の時に児童劇団「こまどり」に入団していた

そんな中、池田秀一さんは、1958年10月、8歳の時、児童劇団「こまどり」に所属していた近所の友達に、

今度その劇団で募集しているから君も受けてみない?

と誘われ、軽い気持ちで行ってみたところ、見事、合格したそうで、

池田秀一さんは、その時のことを、

俳優になりたいとも特に思っていなくて、映画を見てチャンバラごっこをして遊んでいるという、その延長くらいの感覚ですよね。それに受かったといっても、落ちる人はあまりいなかったんじゃないかと思いますよ(笑)。

と、語っています。

ちなみに、池田秀一さんのお母さんは、池田秀一さんが劇団に入団することについて、

(池田秀一さんの健やかな成長のためには)劇団に入って伸び伸びと過ごすことがいいのでは

と思い、許してくれたそうです。

池田秀一は8歳から子役としてテレビドラマに出演していた

すると、その翌月(1958年11月)には、もう、テレビドラマに呼ばれたそうで、長屋で子供が泣いているシーンだったそうですが、その時は、何が悲しいのか分からなくて、全然泣けずにいたそうですが、

ディレクターに、

泣けないか。じゃあ、泣かなくていいや。横で遊んでいて

と、言われ、(それほど重要な役でもなかったのか)あっさりとシーンを変えてもらったそうで、

その後も、池田秀一さんは、子役として、

  • 1959年「東京0時刻」第32回
  • 1960~1961年「ママと私たち」
  • 1960年「戦争」
  • 1960~1963年「少年探偵団」
  • 1960年「この光は消えず」
  • 1962年「おかあさん」 第139回
  • 1963年「がしんたれ」

などのテレビドラマに出演しています。

池田秀一は中学2年生の時に「次郎物語」の主演に抜擢され”天才子役”と脚光を浴びていた

そんな池田秀一さんは、1963年、中学2年生の時には、NHKのテレビドラマ「次郎物語」の主人公・本田次郎役に抜擢されると、このドラマでの演技が高く評価され、たちまち、”天才子役”と脚光を浴びています。

「次郎物語」の池田秀一
「次郎物語」より。

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池田秀一は15歳の時に「路傍の石」で映画デビュー(主演)もしていた

また、池田秀一さんは、翌年の1964年には、「路傍の石」で主人公・愛川吾一役に抜擢されて映画デビューも果たしているのですが、

この頃あたりから、本格的に俳優をやってみたいと思い始め、自分なりに仕事の面白さを感じ始めるようになった時期でもあったそうで、

池田秀一さんは、

『次郎物語』の次郎を演じていると、「次郎ちゃん大変ね」みたいな手紙が来るわけですよ。ドラマの中で苦労していると「学費が足りないのなら」といって現金が送られてきたりする。

そういうことがあると、僕たちの仕事というか、演じるということは影響力があるものなんだって、ガキなりに何か感じるようになるんですよね。それで生意気にも「この仕事はバカにしちゃいけないぞ」「もっとちゃんとやらないと」と思うようになりました。

映画も面白かったですね。うちの劇団は基本的に学校を休んで仕事をするのがダメだったので、『路傍の石』は「夏休みの間に撮りますから」ということで撮影が始まったんです。

まあ、だいたい1カ月ですよね。夏休みだから。でも結局、2カ月半くらいかかったんですよ。約束が違う(笑)。撮影の間は、僕は映画が初めてなものですから、とにかく「すごいなあ」と感心してばかりでした。職人の世界ですよね。

当時の映画界の人たちは「テレビは紙芝居だ」と言っていましたが、それもわかるなというくらい、皆さんがこだわりをもっていて。

また、スタジオの何ともいえない静寂の中に響きわたる「カチン!」というカチンコの音もよくて、あれはちょっとやみつきになりそうでした。

そんななかで、僕が主役だったから、皆が待ってくれるんですよね。僕のアップ、ワンショットを撮るのに、気持ちができるまで監督も待ってくれる。でも、僕は中学生だから気持ちの作り方なんてわからないし、作ろうともしていない(笑)。

今思えば、周りの大人を見て「やっているフリしなきゃなあ」なんて思っていたんでしょうね。

と、語っています。

「池田秀一の若い頃は俳優と洋画吹替を兼業!声優転向のきっかけは?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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