1979年、「セクシャルバイオレットNo.1」がオリコンチャート1位となる大ヒットを記録すると、ハスキーで艶のあるボーカルと、ロックテイストの中にも歌謡曲の要素を取り入れた”ロック歌謡”で、たちまち人気を博した、桑名正博(くわな まさひろ)さん。

そんな桑名正博さんは、江戸時代から続く廻船(かいせん)問屋「桑文」の7代目跡取り息子として誕生すると、幼い頃は裕福な環境で、何不自由なく育ったそうですが、

中学2年生の時に引きこもりになり、中学を退学となると、その後、与論島に行って日本人ヒッピーたちのコミュニティに潜り込み、以降、放浪生活を送るようになったといいます。

今回は、桑名正博さんの生い立ちを、幼少期から時系列でご紹介します。

桑名正博

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桑名正博のプロフィール

桑名正博さんは、1953年8月7日生まれ、
大阪府大阪市天王寺区の出身、

学歴は、
勝山幼稚園
⇒大阪市立住吉小学校
⇒甲南中学校
⇒大阪市立阪南中学校(転校)
⇒甲南高等学校中退

趣味は、ゲーム、料理、パソコン、

ちなみに、「桑名正博」は本名で、「桑名将大」「桒名正博」「𥸮名正博」名義で活動していたこともあったそうです。

また、妹の桑名晴子さんも歌手です。

桑名正博の父親(実家)は帝塚山の大金持ちだった

桑名正博さんは、江戸時代(1830年)から廻船(かいせん)問屋「桑文」(後に桑名興業に改称)を営んでいた旧家の7代目跡取り息子として、2人きょうだい(妹1人)の長男として誕生したそうで、

幼い頃は、700坪の邸宅に、お手伝いさん2人、書生、運転手がいる、とても裕福な家庭で何不自由なく育ったそうです。

ちなみに、プロデューサーの寺本幸司さんは、ラジオ番組「J-POP LEGEND FORUM」に出演した際、

(桑名正博さんは)「桑文」という廻船問屋の7代目で、彼と知り合った頃は大阪港の埋立地に7万坪の土地を持っているという話で、いまユニバーサルスタジオジャパンがある土地も持っていたというくらいの大変大きな老舗・桑名興業という会社の長男でした。

と、語っています。

(桑名正博さんのお父さんは、貸倉庫業やゴルフ場経営なども手掛けていたそうです)

桑名正博の実家の跡地
桑名正博さんの実家があった土地は、現在はグランドメゾン晴明丘という高級マンションが建っています。
桑名正博の実家の跡地
グランドメゾン晴明丘の邸内にある日本庭園(雪見灯篭、春日灯篭、五重の石塔は桑名正博さんの実家の邸宅から移設したものだそうです)。
桑名正博の実家の跡地
桑名正博さんの実家にあった門(塀があまりに立派でそのまま残したようです)。

桑名正博は小学3年生の時に薬師寺の僧侶にギターを教えてもらい音楽に目覚めていた

そんな中、桑名正博さんは、(理由は不明ですが)幼い頃、奈良の薬師寺で修行をしたことがあったそうで、

小学3年生の時には、薬師寺の僧侶・橋本凝胤さんにギターを教えてもらったことがきっかけとなり、音楽に目覚めたそうです。

桑名正博は中学時代、引きこもりで退学となりその後ヒッチハイクで全国を旅していた

ただ、桑名正博さんは、小学校卒業後は、私立の一貫校である甲南中学校に進学するも、中学2年生の時に引きこもりになってしまい、義務教育にもかかわらず落第し、留年したそうで、その後、退学処分となってしまったそうです。

(桑名正博さんが引きこもりになった理由は不明ですが、中学時代、毎日のように時計やお金をカツアゲされていたという話があることから、これが原因の一つかもしれません)

そして、その後は、与論島に行き、そこにいた日本人ヒッピーたちのコミュニティに潜り込んだそうで、ヒッチハイクで全国を旅する放浪生活を送るようになったといいます。

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桑名正博は高校を入学式の翌日に辞め、その後、米サンフランシスコに渡りロサンゼルスに移り住んでいた

それでも、その間、公立の大阪市立阪南中学校に転校し、卒業すると、再び、私立の一貫校である甲南高校に進学したそうですが、(自身の家柄に反発し)入学式の翌日に辞めてしまったそうで、

その後、大阪万博(1970年3月~9月)でアルバイトをしたことがきっかけで、1971年、17歳の時には、船でアメリカ・サンフランシスコに渡り、そこから、ロサンゼルスに移り住んで、障子張りの仕事をして生計を立てたのだそうです。

(この頃、まだデビューしたてのアリス・クーパーさんやデヴィッド・ボウイさんを見たといいます)

「【画像】桑名正博の若い頃(ファニーカンパニー時代)はキャロルと対バンも!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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