デビュー40周年を記念して全国でお祝いライブを開催するほか、翌年の還暦までに100本のライブを行うことを目標に掲げるなど、精力的に音楽活動を展開していた、桑名正博(くわな まさひろ)さんですが、
ツアー中だった2012年7月15日、突然、倒れたといいます。
今回は、桑名正博さんが、2012年7月15日に倒れてから10月26日に他界されるまでの経緯や死因についてご紹介します。

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桑名正博は還暦までに100箇所コンサートを達成しようと精力的に全国ツアーを行っていた
桑名正博さんの長男・美勇士さんによると、桑名正博さんは、心臓のあたりがモヤモヤするため、近々、検査を受けると言っていたほか、普段から血圧が高めで、片頭痛の持病があったそうですが、
2012年には、デビュー40周年を記念して全国でお祝いライブを開催するほか、翌年の誕生日(還暦)までに100本のライブを行うことを目標に掲げるなど、精力的に音楽活動を展開していたといいます。
そして同年7月11日には、トーク番組「ライオンのごきげんよう」の収録で(放送は7月20日)、自身の耳あかを話題にした軽快なトークを繰り広げるなど、元気な姿を見せていました。
桑名正博は59歳の時に激しい頭痛に襲われ緊急搬送中に意識不明になっていた
しかし、全国ツアーの最中の2012年7月14日、香川県小豆島でのライブを終えて、大阪の自宅マンションで明け方まで打ち合わせをしていると、7月15日未明、激しい頭痛に見舞われたそうで、
救急車で大阪市住之江区の友愛会病院に緊急搬送されると、搬送中に、血圧が260まで上昇し、呼吸が停止したそうで、呼吸は、人工呼吸器で戻るも、以降、意識不明の状態が続いたのだそうです(脳幹出血)。
桑名正博の入院中の病室には芸能人のほか多くの飲み仲間が見舞いにきていた
そんな中、桑名正博さんの病室には、次々と友人たちが見舞いに訪れたそうで、
7月17日には、内田裕也さんが見舞いに訪れ、
君の元気なステージでの姿をイメージしています。頑張って下さい。スタンドアップ、桑名!
と、激励すると、
その後、取材に対し、桑名正博さんの様子を、
もうちょっとヤバイかなと思っていた。顔はピンク色で、呼吸器を着けていたけど、ちゃんと呼吸もしていた。だれかが『月のあかり』(桑名正博さんのスタンダード・ナンバー)を演奏すると、心拍数が上がったんだよ。スタンド・アップ、桑名!
と、語っています。
また、芸能人の友人だけではなく、多くの飲み仲間も見舞いに駆けつけたそうで、
大阪のミナミのママは、
普段のマサやんは、テキーラ一気飲みしたりする酒飲みで、酔っ払いで、女好きで、不良やけど、とってもシャイで、ナイーブな少年みたいな人やった。
だから、彼が倒れたとき、芸能人だけやなく、彼と遊んでいた街場のちょい悪親父たちや、私たちネオン街の女たちも病院に駆けつけて、「まさひろ!」「マサやん!」って、病室で彼の体をさすり、声をかけて彼の回復を願っていたんです
と、語っています。
桑名正博は医師の余命宣告を超える生命力を発揮していた
ただ、桑名正博さんは、依然として意識が戻らず、2012年8月2日には、長期的な闘病生活に備えるため、呼吸器のチューブをのどから通して体への負担を軽減する気管切開手術を受けたといいます。
ちなみに、桑名正博さんは、倒れた当初、医師に「余命12時間」と宣告されていたそうで、
倒れてから1ヶ月が経過した8月15日には、医師に、
2週間以上持った人は見た事ない
と、言われるなど、強い生命力を発揮していたそうで、
長男の美勇士さんが呼びかけたり、仲間が音楽を奏でたりすると、桑名正博さんの体の一部がかすかに反応したそうですが、目を覚ますことはなく、一喜一憂する状態が続いたそうです。
桑名正博の死因は?
それでも、桑名正博さんは、徐々に体重が減り、心臓が衰弱していったそうで、入院104日目となる2012年10月26日の朝には、医師から、桑名正博さんの奥さんに、
血圧が急に下がった。覚悟をしてほしい
と、連絡があり、
それから数時間後の午前11時44分、桑名正博さんは、脳幹出血による心不全のため、大阪市住之江区の友愛会病院で、59歳で他界されたのでした。
ちなみに、美勇士さんは、
ここ最近は高額医療で、家族としてはいつまで(治療が)続くか分からなくて不安でした。おやじも分かっていたんでしょう
と、率直な思いを明かしています。
桑名正博の葬儀・告別式には約700人が参列し、会場前には600人ものファンが集まっていた
桑名正博さんの遺体は、10月26日の午後、桑名家の檀家(だんか)である大阪市港区内の寺へ運ばれると、親族や幼馴染が集まり、密葬が行われたそうで、
お通夜は10月29日、葬儀・告別式は10月30日に大阪市阿倍野区の「やすらぎ天空館」で営まれたそうです。
(告別式には、谷村新司さん、「B’z」のギタリスト・松本孝弘さん、原田喧太さん、内田裕也さん、デューク更家さん、もんたよしのりさん、上田正樹さん、ぼんちおさむさんら、約700人の参列者に加え、会場前には600人ものファンが集まったそうです)
桑名正博は葬儀後「御堂筋桑名パレード」が行われ5000人以上の市民に見送られていた
そして、告別式後(出棺後)は、「御堂筋桑名パレード」として、桑名正博さんを乗せた霊きゅう車が、桑名正博さんが生まれ育ち愛した大阪の街を斎場まで走行したそうですが、
15時前、平日の昼間にもかかわらず、大阪・淀屋橋近辺から難波まで全長約4キロの御堂筋の沿道には5000人以上の市民が詰め掛けたそうで、「まさや~ん!」という声援、拍手、手を合わせるファンに見送られて、桑名正博さんは旅立ったのだそうです。

出棺の際、桑名正博さんの遺影を掲げる、長男の美勇士さん。
ちなみに、この「御堂筋桑名パレード」の出発点となった大阪市役所前では、橋下徹市長が見送ったそうですが、葬儀委員長を務めた内田裕也さんが、御堂筋でのパレードが決まった後、大阪市に電話し、橋下市長の秘書に「5分でもいいから出てきて見送って」と自ら頼んで実現したのだそうです。
桑名正博は自身の死を予期していた?
ちなみに、桑名正博さんは、2011年~2012年頃には、親交のあった原田芳雄さんや安岡力也さんが他界し、落ち込んでいたそうで、
お酒が入ると、涙を浮かべながら、
人生長くない。生きてるうちにやりたいこと、やらな損や
と、言うほか、
(前妻の)アン(・ルイスさん)を愛していた
と、漏らすようになり、
他人がカラオケでアン・ルイスさんの曲を歌うと、怒って帰ってしまうこともあったといいます。
また、美勇士さんによると、桑名正博さんは、仲の悪かった人に、わざわざ20年ぶりぐらいに電話し、
仲直りしてライブやろうぜ
とも、言っていたそうで、
自身の死を予期していたのかもしれません。
「桑名正博の前妻(最初の妻)アン・ルイスとの馴れ初めは?離婚理由は?」に続く
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