1979年7月21日にリリースした「セクシャルバイオレットNo.1」が累計売上60万枚を超える大ヒットを記録し、ブレイクを果たすと、その後も多くのファンに愛され、他界された際には、「御堂筋桑名パレード」が実施され、5000人以上の人々に見送られた、桑名正博(くわな まさひろ)さん。
そんな桑名正博さんは、プライベートでは、結婚を2回、離婚を1回しています。
今回は、桑名正博さんの前妻(最初の妻)アン・ルイスさんとの、馴れ初め、離婚理由、離婚後の関係についてご紹介します。

「桑名正博の死因は?104日間意識不明!葬儀後は御堂筋桑名パレードも!」からの続き
桑名正博の前妻(最初の妻)アン・ルイスとの馴れ初めは?
桑名正博さんは、1980年3月5日、26際の時、歌手のアン・ルイスさん(23歳)と結婚しています。
桑名正博さんとアン・ルイスさんは、音楽業界のパーティーで知り合い、お互いの音楽性に惹かれ合ったと言われているのですが、
実際、桑名正博さんは、アン・ルイスさんが1979年にリリースした山下達郎さんプロデュースによるアルバム「PINK POUSSY CAT(ピンク・キャット)」の制作に参加しているほか、
アン・ルイスさんとの結婚を前に、リポーターの武藤まき子さんに、
フィーリングがメチャクチャ合うねん。すきゃねん
と、語っています。
また、アン・ルイスさんも、
ずっと一緒にいたい。だから結婚するの
と、喜びいっぱいで語っていたといいます。
桑名正博は前妻(最初の妻)アン・ルイスに突然プロポーズをしていた
ちなみに、桑名正博さんは、アン・ルイスさんと婚約中、ロサンゼルスで落ち合った際、
突然、
オレ、明日結婚するよ
と、言ったそうで、
当初、アン・ルイスさんは、ドレスや指輪、両親はどうするのかと困惑したそうですが、最終的には、
2人っきりでパーッとやっちゃうのも楽しいね
と、この突然のプロポーズを快諾したといいます。
桑名正博と前妻(最初の妻)アン・ルイスはロサンゼルスの友人の家を借りて結婚式を挙げていた
そして、1980年3月5日には、ロサンゼルスの友人の家を借りて結婚式を挙げたそうで、参列者は数名というアットホームな結婚式となったそうですが、
1980年5月8日には、東京プリンスホテルで結婚披露宴も行うと、媒酌人の原田芳雄さんをはじめ、内田裕也さん 島田紳助さん、安岡力也さん、ジョニー大倉さん、葛城ユキさん、りりィさん、石田えりさんなど、多くの芸能人が出席し、とても華やかな結婚披露宴となったそうです。
桑名正博は結婚にあたりアン・ルイスと4つの約束を交わしていた
また、桑名正博さんは、アン・ルイスさんとの結婚にあたり、
- 酒を飲んでも午前2時までに帰る
- 嘘をつかない
- 地方公演に行ったら家に電話をかける
- 浮気してもいいけど、バレないようにする
という4つの約束を交わしていたといいます。
桑名正博は度重なる逮捕で前妻(最初の妻)アン・ルイスに子供を連れて家を出ていかれていた
そんな桑名正博さんとアン・ルイスさんの間には、翌年1981年には、長男の美勇士さんが誕生するなど、幸せな日々を送っているかと思われていたのですが・・・
桑名正博さんは、同年(1981年)9月には、19歳のファンの女性への強制わいせつ致死容疑で逮捕されると(示談が成立し不起訴)、
さらに、同年12月には、同年9月に大阪の実家で大麻パーティーを開いたとして、大麻取締法違反とコカイン所持などで逮捕されており、
この度重なる不祥事で、アン・ルイスさんとの間に口論が絶えなくなったそうで、
1983年3月には、アン・ルイスさんが置き手紙を残し、幼い美勇士さんを連れて家を出て行ったのだそうです。
桑名正博とアン・ルイスは4年で離婚していた
そんな桑名正博さんとアン・ルイスさんは、その後、復縁と破局を繰り返していたそうですが、ついには、結婚から4年後の1984年、正式に離婚したことを発表し、
桑名正博さんは、
長く持った方だ
俺たちは似すぎていた、合わなかったんだ
と、語っています。
(マスコミには「泥沼離婚」と報じられました)
桑名正博とアン・ルイスの離婚理由は?
そこで、気になる離婚理由ですが、考えられる主な理由をご紹介します。
桑名正博の逮捕や子育て不参加
桑名正博さんは、日頃から、しょっちゅう飲み歩き、女性関係も派手だったそうですが、そんな中、女性関係でのトラブルで逮捕、大麻パーティーで逮捕と続き、アン・ルイスさんの堪忍袋の緒が切れたと言われています。
また、桑名正博さんは、子育てに全く参加しなかったそうで、アン・ルイスさんは、桑名正博さんが、事件を起こして謹慎中だったにもかかわらず、子育てに協力しないことに対し不満を抱き、周囲に愚痴っていたといいます。
桑名正博の母親とアン・ルイス(嫁姑)の確執
さらに、結婚当初から、アン・ルイスさんと桑名正博さんの実家の折り合いが悪かったそうで、特に、桑名正博さんの母親(アン・ルイスさんにとっては姑)は、アン・ルイスさんの破天荒な子育てを快く思っておらず、”満足に子育てもできない夜遊び好きの女”と思っていたといいます。
実際、桑名正博さんは、「週刊女性」(1988年7月19日発売)の取材で、
桑名家14代目の女房として、アンは不つりあいな女だったんです
と、語っており、
アン・ルイスさんが桑名正博さんの実家とうまく行っていなかったことが分かります。
ちなみに、アン・ルイスさんは、まだ幼かった長男の美勇士さんを自宅マンションに一人で残したまま、年下のミュージシャンとデートに行くほか、
美勇士さんが小学生の時にはタトゥーを勧め、中学生の時にはタバコを勧めていたそうで、かなり破天荒な子育てだったことは間違いないようです。
桑名正博のDV(家庭内暴力)
また、アン・ルイスさんは、「週刊女性」(1988年7月19日発売)の取材に対し、
彼は短気。カーッとしたら、灰皿は飛ぶし血を見ることもあった。でもお互い、どっちもどっちなのね
と、語っており、
お互い様とはいえ、桑名正博さんのDV(家庭内暴力)もあったようです。
桑名正博は長男が中学生の時にアン・ルイスから親権を譲渡されていた
さておき、離婚後、一人息子・美勇士さんの親権はアン・ルイスさんが取っているのですが、1994年、美勇士さんが中学に進学するタイミングで、親権は桑名正博さんに譲渡されたそうで、
(アン・ルイスさんが親権獲得後、桑名正博さんの母親とアン・ルイスさんの嫁姑関係はさらに悪化していたそうです)
その理由は、
- アン・ルイスさんが、思春期を迎える息子の教育に自信を持てなくなった
- 桑名正博さんの母親が(アン・ルイスさんに育てられた孫を不憫に思い)「孫を取り戻したい」と強い意向を示した
と、言われています。
桑名正博の葬儀・告別式に前妻(最初の妻)アン・ルイスは参列しなかった
それでも、桑名正博さんは、離婚から28年が経過した2012年、美勇士さんの呼びかけにより、美勇士さん、アン・ルイスさんと家族3人でCD「One」を制作しており(発売は2013年10月23日)、
長い年月を経て、アン・ルイスさんとの関係も、穏やかなものになったかと思われたのですが・・・

(左から)桑名正博さん、美勇士さん、アン・ルイスさん。
桑名正博さんは、2012年7月15日未明、大阪市内の自宅で倒れてしまいます。
(桑名正博さんは、倒れる2ヶ月前に大サビの作詞を手掛けていたそうです)
そして、それ以来、意識不明の状態が続き、美勇士さんが危篤の連絡をすると、アン・ルイスさんは、号泣したそうですが、見舞いにも葬儀・告別式にも参列しなかったといいます。
(アン・ルイスさんは、美勇士さんの親権を桑名正博さんに譲渡して以降、桑名家とは距離を置いていたそうで、自身の心の平穏や、自身の存在が桑名家の人々に与える影響を考え、葬儀・告別式には参加せず、自分のやり方で桑名正博さんと最後のお別れをしたかったのかもしれません)
「桑名正博の再婚相手(2番目の妻)は?結婚後の関係が凄い!現在は寿司屋の女将?」に続く
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