1971年、17歳の時、「Funny Company(ファニー・カンパニー)」として、シングル「スウィートホーム大阪」でレコードデビューすると、関西を中心に活動した後、ロックバンド「CAROL(キャロル)」と共に、「東のキャロル、西のファニカン」として売り出された、桑名正博(くわな まさひろ)さんですが、
「Funny Company(ファニー・カンパニー)」は、2枚のアルバムをリリースした後、結成から僅か3年で解散しています。
今回は、桑名正博さんの若い頃(ファニー・カンパニー時代)の活動や経歴を時系列でご紹介します。

「桑名正博は実家が金持ち!生い立ちは?中学退学で高校も中退しアメリカ移住!」からの続き
桑名正博は17歳の時「Funny Company(ファニー・カンパニー)」を結成し音楽活動を開始していた
1971年、17歳の時、船でアメリカ・サンフランシスコに渡ると、その後、ロサンゼルスに移り住み、障子張りの仕事をして生計を立てていたという桑名正博さんですが、
そんな桑名正博さんのもとに友人たちが訪ねて来たことがあったそうで、これをきっかけに、桑名正博さんは、その友人たちとバンドを結成しようと思い立ったそうで、
同年(1971年)帰国すると、5月には、横井康和さん(ギター)、栄孝志さん(もう一人のボーカル)と共に、「Funny Company(ファニー・カンパニー)」を結成し(7月には、古宇田優さん(キーボード)も加わったそうです)、ライブを中心に音楽活動を展開したのだそうです。
ただ、当時の日本では、ロックはまだまだマイナーな存在だったことから、ほとんどメディアで紹介されることもなく、ましてや、関西を拠点として活動していたため、全国的な知名度はほとんどなかったそうです。

「Funny Company(ファニー・カンパニー)」
桑名正博は「Funny Company(ファニー・カンパニー)」としてシングル「スウィートホーム大阪」でレコードデビューするも売り上げはパッとしなかった
そんな中、桑名正博さんらメンバーは、帝塚山にある桑名正博さんの家の倉庫で寝泊まりして、ファーストアルバム「Funny Company(ファニー・カンパニー)」の制作を開始すると、
その途中の1972年秋には、シングル「スウィートホーム大阪」(作詞:横井康和さん、作曲:桑名正博さん)でレコードデビューを果たしたのですが・・・
大阪弁のロックンロールということで、関西圏を中心に話題となるも、売り上げはパッとしなかったのでした。
(「大阪弁でロックを歌う変なバンドがいる」と東京の一部の音楽ファンに知られる程度だったそうです)

「スウィートホーム大阪」
ただ、プロデューサーの寺本幸司さんは、桑名正博さんとの出会いを、
桑名と出会ったのは、1972年の2月だった。六本木の隣同士の事務所にいたワーナーパイオニアのプロデューサー栗山章から、大阪に凄いロックをやるグループがいると、「Funny Company(ファニー・カンパニー)」のテープを聴かせてもらった。
リズム&ブルースを基調としたロックバンドだったが、リードボーカルの桑名の歌に、ぶっとんだ。ノリと歯切れがいいから、日本語曲を歌っても、ロックスピリット満載でこちらの耳というより全身に迫って来る。
こちらは、寺山修司と組みして世に出した浅川マキが、ようやく全国を回るツアーを開始したところだったし、りりィのファーストアルバム「たまねぎ」がリリース寸前だったりして、とても新しいロックバンドのプロデュースやらマネージメントをやる余裕などなかったのだが、前後も考えず大阪に飛んだ。
その頃、ファニカン(ファニー・カンパニー)は、ヤングジャパンに席を置いていた。で、大阪なんばのラブ・ホテル街にあったヤングジャパンに行って、その後長い付きあいになる細川健と交渉した。
ちょうど、ばんばん(ビリー・バンバン)やアリスがブレイクする風の吹いている頃で、手いっぱいなこともあり、桑名に未練のあった細川も「よろしく」ということになって、ファニカンをやることになった。
と、語っています。
桑名正博は19歳の時に1stアルバム「Funny Company(ファニー・カンパニー)」をリリース
その後、桑名正博さんは、1973年1月、19歳の時、ファーストアルバム「Funny Company(ファニー・カンパニー)」が完成し、リリースしたそうですが・・・
このアルバムもヒットとはならなかったのでした。
(収録曲は10曲全て桑名正博さんらメンバーが手掛け、アレンジもメンバーで行われていたそうで、桑名正博さんたちがやりたい音楽がストレートに反映されたアルバムだったそうです)
桑名正博は19歳の時に「東のキャロル、西のファニカン」として売り出されていた
そんな中、東京では、ロックバンド「CAROL(キャロル)」が「ルイジアンナ」(1972年)で衝撃的なデビューをし、大きな話題となっていたことから、
内田裕也さんが、これをきっかけに、当時、フォーク一色だった音楽業界をひっくり返し、注目度の低かったロックバンドをなんとか売り出そうと、
東西の有力なロックバンド「CAROL(キャロル)」と「Funny Company(ファニー・カンパニー)」をセットで売り出し、ロックの時代を強引に切り開こうと、「日本ロックンロール振興会」などの組織を結成したそうで、
桑名正博さんら「Funny Company(ファニー・カンパニー)」は、「CAROL(キャロル)」と一緒に、渋谷公会堂、野音ほか様々なイベントに出演すると、意図せず、全国区で話題のバンドとなったのだそうです。
(これにより、「東のキャロル、西のファニカン」などと言われたそうですが、自然に呼ばれるようになったというよりは、宣伝文句に近かったそうで、プロデューサーの寺本幸司さんも、「巻き込まれた」と表現していることから、本意ではなかったようです)
桑名正博が21歳の時に「Funny Company(ファニー・カンパニー)」は解散
そんな「Funny Company(ファニー・カンパニー)」は2枚目のアルバム制作にも取り掛かるほか、内田裕也さん主催によるロックンロール全国ツアーに参加し、精力的に活動していたのですが、
音楽による”成り上がり”を本気で目指していた「CAROL(キャロル)」の人気は凄まじく(会場に「スバル360」で乗りつけるなどハングリー精神剥き出しだったそうです)、
いつの間にか、「Funny Company(ファニー・カンパニー)」は、「CAROL(キャロル)」の引き立て役のような存在になっていき、

スバル360(当時、一般大衆に広く歓迎された軽自動車)。
次第に、栄孝志さんら「Funny Company(ファニー・カンパニー)」のメンバーの熱は覚め、「(ファニー・カンパニーの活動のために休学していた)大学に戻る」と言い出すようになったそうで、
その後、1973年には、シングル「ハイウェイ・ドライブ」、

「ハイウェイ・ドライブ」
1974年初めには、2枚目のアルバム「Fanny Farm」をリリースするも、

「Fanny Farm」
やはり、ヒットさせることは出来ず、同年(1974年)、解散したのでした。
桑名正博ら「Funny Company(ファニー・カンパニー)」は「ぼんぼんロックバンド」と揶揄されるも能力は高かった
とはいえ、「Funny Company(ファニー・カンパニー)」は、今更ながら、桑名正博さんの圧倒的な歌唱力、存在感、バンド全体としてのステージでのパフォーマンスが、音楽関係者の間で高く評価されており、
決して、音楽性、パフォーマンスにおいて、「CAROL(キャロル)」に劣っていた訳ではなかったといいます。
ただ、当時、ロックファンは、ロックに”泥臭い反逆児”という幻想を求めており、どれほど演奏が素晴らしくても、”余裕のある人たちがやっている格好いい音楽”より、”今日を生きるのに必死な奴らが命を削ってやっている音楽”の方が、「本物(リアル)」に見ていたそうで、
「Funny Company(ファニー・カンパニー)」と「CAROL(キャロル)」が一緒にライブをした際、
実家が「桑名興業」を経営する桑名正博さん、実家が「栄総合病院」を経営する栄孝志さん、父親が宝石商の横井康和さん、父親が銀行の頭取の古宇田勝さん、とメンバー全員お金持ちの「Funny Company(ファニー・カンパニー)」が、ライブにポルシェで乗り付けたのに対し、
「CAROL(キャロル)」が、大衆車の軽自動車「スバル360」に4人で乗車してライブに乗り付けたのを見て、
多くの観客が、「Funny Company(ファニー・カンパニー)」に対して「ぼんぼんロックバンド」と陰口を叩き、「CAROL(キャロル)」に熱狂したのだそうです。
ちなみに、プロデューサーの寺本幸司さんは、「ロック」について、
貧乏人がブルースをやって、金持ちがバートバカラックを聴くというのも変なもので、日大理学部に受かっていた栄や同志社に通っていた横井や学習院の古宇田が、学校を休学してまで、桑名とロックをやろうという心意気が、これこそロックスピリットそのものじゃないか、と嬉しかった。
当時、ロックンロール振興会を作るようになり、渋谷の野音でやったりしてキャロルと一緒にやったりする。向こうはスバル360で4人で来るけど、こっちは真っ赤なポルシェですよ(笑)。
でも、僕は、肝心なのはアウトローがロックをやるっていうのがいいわけじゃなくて、自分の中の魂がどれだけアウトローの物差しを持っているかが大事で、個々がそういうエネルギーをロックに変えていくっていうのが基本(だと思っている)。
などと、語っており、
桑名正博さんたちのスマート過ぎる「良家の子息が鳴らす質の高いロック」は、理解されるには、時代がまだ追いついていなかったようです。
「【画像】桑名正博の若い頃は?ヒット曲は?大麻や女性トラブルで逮捕は3度!」に続く
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