1958年、19歳の時、ロカビリーブームに乗る形で、カントリー歌手からロカビリー歌手に転向し、「ワゴンマスター」「サンダーバード」「キャノンボール」のゲストボーカルとして、「日劇ウェスタンカーニバル」に出演した、かまやつひろしさんは、
1960年2月、20歳の時には、外国映画の主題歌「殺し屋のテーマ/皆殺しの歌」でレコードデビューを果たすのですが、周りの仲間が次々と売れていく中、1人だけ売れず、取り残されていたといいます。
今回は、かまやつひろしさんの若い頃(ロカビリー歌手時代)をご紹介します。

「かまやつひろしの生い立ちは?中3にして米軍キャンプで音楽活動をスタート!」からの続き
かまやつひろしは19歳頃、カントリー歌手からロカビリー歌手に転向していた
かまやつひろしさんは、もともと、カントリーが好きで、高校時代、カントリー歌手として活動を開始したそうですが、
1958年、19歳の時には、ロカビリーがブームとなったことから、その波に乗る形でロカビリー歌手に転向し、「ワゴンマスター」「サンダーバード」「キャノンボール」のゲストボーカルとして、「日劇ウェスタンカーニバル」に出演したそうです。
ただ、かまやつひろしさんは、(エルヴィス・プレスリーの登場には衝撃を受けたものの)当初からロカビリーがあまり好きではなかったそうで、
日劇ウェスタンカーニバルには、初年度の12月公演から僕も出演するようになった。だが、ロカビリーはどうも好きになれなかった。
何かホテルのショーのような感じがして、エルヴィスみたいなフラッシュな格好はしたくなかった。ロカビリーのシャウトも苦手だった。
と、語っています。
(かまやつひろしさんは、1959年夏に公開された、ロカビリーのスターが総出演した映画「青春をかけろ」「檻の中の野郎たち」にも端役で出演しています)
かまやつひろしは19歳頃、”三人ひろし”として売り出されるも1人だけ売れず取り残されていた
そんな中、かまやつひろしさんは、守屋浩さん、井上ひろしさんと共に、”三人ひろし”として売り出されたそうですが、
守屋浩さんは、歌謡曲「僕は泣いちっち」(浜口庫之助さん作曲)のヒットで売れっ子となり、井上ひろしさんもまた、戦前の流行歌だった「雨に咲く花」がリバイバル・ヒットし、2人とも独立してしまったそうで、
かまやつひろしさんだけが、売れないまま、1人取り残されてしまったそうです。
(もともと、”三人ひろし”は、水原弘さん、井上ひろしさん、守屋浩さんの3人だったそうですが、水原弘さんが「黒い花びら」(映画「青春をかけろ」の主題歌)の大ヒットで抜け、かまやつひろしさんが入ったのだそうです)
かまやつひろしは20歳の時に「殺し屋のテーマ/皆殺しの歌」でレコードデビューするも放送コードに引っ掛かり全く売れなかった
それでも、かまやつひろしさんは、1960年2月、20歳の時、外国映画の主題歌「殺し屋のテーマ/皆殺しの歌」でレコードデビューを果たしたそうですが・・・
“殺し”という言葉が放送コードに引っ掛かって放送禁止となってしまい、全く売れなかったそうです。

「殺し屋のテーマ/皆殺しの歌」
かまやつひろしは21歳~22歳の時には「結婚してチョ」「マージャン必勝法」など企画物のシングルをリリースしていた
そんな中、かまやつひろしさんは、本当はカントリーが歌いたかったそうですが、売れない若者の意見など聞いてくれる訳もなく、周囲から歌謡曲でヒットを狙うよう勧められると、嫌だと言うことができず、
その後も、
- 1960年3月「おおキャロル」

「おおキャロル」 - 1960年5月「悲しいインディアン」

「悲しいインディアン」 - 1960年7月「カラーに口紅」

「カラーに口紅」 - 1960年10月「赤鼻のトナカイ」

「赤鼻のトナカイ」 - 1960年12月「結婚してチョ」
- 1961年7月、「マージャン必勝法」

「マージャン必勝法」

「結婚してチョ」
など、企画物のコミックソングやポップスのカバーシングルを約2年の間に20枚ほどリリースしたそうですが、どれもヒットとはならなかったそうです。
ただ、後年、かまやつひろしさんは、
いま考えると、あそこでなにか一発うまく当たってしまっていたら、現在の自分はなかったと思う。仲間がみんな売れてしまって、面白くはなかったけれど、あの時ぼくだけ売れなくて、結果的に良かったと思う。
と、語っています。
「【画像】かまやつひろしが若い頃はスパイダースで大ブレイクしていた!」に続く
![]()










