ムッシュかまやつ(かまやつひろし)さんを父親に持ち、大学卒業後、フジテレビに就職すると、在職中だった2006年5月25日、「風のわだち」でメジャーデビューを果たした、TAROかまやつ(かまやつ太郎)さん。
今回は、そんなTAROかまやつさんの、生い立ち、若い頃から現在までの経歴を時系列でご紹介します。また、最後には、ディスコグラフィー(シングル、アルバム)もご紹介します。

TAROかまやつ(かまやつ太郎)のプロフィール
TAROかまやつさんは、1970年生まれ、
東京都港区青山の出身、
学歴は、
慶應義塾中等部
⇒慶應義塾高等学校
⇒慶應義塾大学卒業(学士)
趣味は、野球、
ちなみに、本名は、「釜萢太郎(かまやつ たろう)」です。
TAROかまやつ(かまやつ太郎)の父親はムッシュかまやつ、森山良子は従叔母、森山直太朗は再従弟
TAROかまやつさんは、
- 祖父が、ジャズミュージシャンのティーブ釜萢さん
- 父が、ミュージシャンのムッシュかまやつ(かまやつひろし)さん
- 従叔母(ムッシュかまやつさんの従妹)には、歌手の森山良子さん
- 再従弟(森山良子さんの息子)には、歌手の森山直太朗さん、
がいる、音楽一族です。
TAROかまやつ(かまやつ太郎)は3歳の時に作曲家・黛敏郎に師事しピアノ、作曲、音楽理論を習い始めていた
TAROかまやつさんは、お父さんのムッシュかまやつ(かまやつヒロシ)さんのもと、一人っ子として誕生すると、3歳の時には、作曲家・黛敏郎さんに師事し、ピアノ、作曲、音楽理論を習い始めたそうです。
ただ、黛敏郎さんはとても可愛がってくれたものの、レッスンはとても厳しく、TAROかまやつさんは、黛敏郎さんが毎週土曜日に来るのが嫌で嫌でたまらず、部屋に閉じこもってレッスンを拒否したことがしばしばあったといいます。

幼い頃のTAROかまやつさんと黛敏郎さん。
TAROかまやつ(かまやつ太郎)は中学1年生の時に原辰徳に憧れ野球部に入部していた
そんなTAROかまやつさんは、中学時代には、器楽部に入部したそうで、ピアノがなかったことから、バイオリンをしたそうですが、
中学1年生の時には、「四番サード原」(読売ジャイアンツの原辰徳さん)に憧れ、突然、野球部に入部したそうで、
(野球のルールは漫画「ドカベン」で勉強したそうです)
黛敏郎さんには、
ピアノ弾きが野球とは何事だ!
と、ものすごく怒られたそうですが、
それでも、TAROかまやつさんは、野球を続けたそうで、高校時代も野球部に入ると、2009年、31歳の時には、野球チーム「麻布おもいやり軍」を結成し、2020年には、結成12年目で200試合を迎えたそうです。
(黛敏郎さんのレッスンは17歳まで続いたそうです)
TAROかまやつ(かまやつ太郎)は大学時代はピアノを弾くアルバイトや自身のライブ活動を始めていた
とはいえ、TAROかまやつさんは、高校卒業後、大学に進学すると同時に、バーやラウンジなどでピアノを弾くアルバイトを始めると、
やがては、作詞作曲も手掛けるようになったほか、自らピアノを弾き語るライブ活動も始めたそうです。
そして、(中学に入学する頃までは指揮者か作曲家になるレールが敷かれていたそうで)大学卒業時には、音楽家への道を考えていたそうですが・・・
TAROかまやつ(かまやつ太郎)は大学卒業後はフジテレビに就職しサラリーマン生活を送っていた
お父さんのムッシュかまやつさんに、
一般社会を一度は見ろ
これからは小椋佳さんのようにサラリーマンの傍らアーティストをやる方がいい
とアドバイスされ、フジテレビに就職すると、
経理局、事業局、広報局、ネットワーク局、編成制作局などを経験したそうで、
事業局時代には、主にアーティストのコンサート運営に従事し、石井竜也さんのコンサートツアー制作や、父・ムッシュかまやつさん、堺正章さん、井上堯之さんらが結成したバンド「ソン・フィルトル」の初の全国ツアーでプロデューサーを務め、
広報局時代には、バラエティ番組や連続ドラマを中心に、「K-1」などの格闘技番組や「新春かくし芸大会」などの広報も担当したそうです。
TAROかまやつ(かまやつ太郎)は36歳の時に「風のわだち」でメジャーデビュー
ただ、TAROかまやつさんは、就職後も、楽曲制作を続け、ライブ活動も継続していたそうで、
2004年秋、34歳の時には、友人たちと制作していたデモテープが音楽関係者の目に留まり、JVCケンウッド・ビクターエンタテインメントからメジャーデビューのオファーを受けると、
(お父さんのムッシュかまやつさんは、この件に一切関与しておらず、デビュー前々日のスポーツ新聞の報道で初めて息子のデビューを知ったそうです)
当時在籍していた広報部の遠藤龍之介部長(現・日本民間放送連盟(民放連)会長)の後押しもあり、「会社員と音楽家の二足の草鞋(わらじ)」を履くことを決意したそうで、
2006年5月25日、マキシシングル「風のわだち」で念願のメジャーデビューを果たすと、大手CDショップ(HMVやタワーレコードなど)の予約チャートで最高3位を記録し、発売後の7月下旬には、有線リクエストチャートで13位まで上昇するヒットとなったのでした。

「風のわだち」
(TAROかまやつさんは、当初は、フジテレビの「企画モノCD」と思われることを避けるため、社員であることを隠して活動していたそうですが、メディアで次々と報じられたことから、同年6月下旬には、「めざましテレビ」内でフジテレビ社員であることを公表しています)
TAROかまやつ(かまやつ太郎)は42歳の時にフジテレビを退職し会社経営ほかライブ活動を継続していた
その後も、TAROかまやつさんは、二足の草鞋(わらじ)を履きながら会社員とアーティスト活動を両立させていたそうですが、
2012年には、20年半勤めたフジテレビを退職すると、輸出入事業を行う会社を立ち上げるほか、音楽活動も自分のペースで続けており、
東京・六本木の「Claps」でのソロライブを中心に、全国のイベント出演や他アーティストとのコラボレーションなど、幅広く活動しています。
TAROかまやつ(かまやつ太郎)は41歳の時、両親が相次いで重篤な病気になり入院していた
そんな中、2015年には、両親が相次いで重篤な病気となったことから、看病のため音楽活動を完全に休止し、会社経営のみに専念していたそうで、
TAROかまやつさんは、その頃のことを、自身のブログで、
2015年初夏のクソ暑い時に母が自宅で倒れ緊急入院。運び込んで数日は生命も危ない状態といわれ。。何とか持ち直したのもつかの間、父が行きつけのクリニックで黄疸が出てると言われ、大学病院で精密検査。
膵臓に癌が見つかり、即入院となりました。同時に両親が別の病院に入院というのは一人っ子には結構厳しいものがあり、、効率が悪いので母がかなり回復した所で同じ病院に転院させました。。笑
と、綴っています。
TAROかまやつ(かまやつ太郎)は42~43歳の時に両親が相次いで他界していた
しかし、看病も虚しく、2017年2月23日にはお母さんが、そして、わずかその6日後の3月1日にはお父さんが他界されたそうで、
TAROかまやつさんは、
母の死の6日後に父も亡くなり悪夢のようだったが、仲良く一緒に旅立ったと思うことが救いだった
と、語っています。
また、TAROかまやつさんは一人っ子のため、2人の死去に伴い、様々な手続に追われる日々に追われたそうですが、
それだけではなく、心に空いた穴があまりに大きく、とても人前で音楽を奏でたり言葉を紡ぐ気持ちにはなれなかったそうで、4年間、ライブ活動は行わなかったといいます。
TAROかまやつ(かまやつ太郎)は45歳の時に両親の追悼ライブを開催していた
そして、2018年11月30日、4年ぶりにライブを再開すると、
いつの日か自分の曲で両親を追悼したい
との思いもあったことから、
2019年1月30日には、東京・港区のライブレストラン「六本木クラップス」で、両親の追悼ライブを開催しており、
TAROかまやつさんは、取材に対し、
父は亡くなる直前まで僕に『音楽は続けなさい』と言ってくれた。その言葉を守り一生続けていきたい
と、強い決意を語っています。

両親の追悼ライブより。
TAROかまやつ(かまやつ太郎)の現在は?
そんなTAROかまやつさんは、現在は、音楽活動を続けながら、会社(EC貿易業)の経営、個人投資家としても活動しているそうですが、
海外移住を模索中ということで、将来的には、海外に移住される予定だといいます。
TAROかまやつ(かまやつ太郎)は結婚している?子供はいる?
TAROかまやつさんは、プライベートをほとんど明かしていないため、結婚しているか否か、子供がいるのかも、全く情報がなく、不明です。
年齢的には、結婚していてもおかしくありませんが、公私の区別を明確にしているということで、奥さんや子供がいたとしても、芸能関係者ではないと思われます。
ただ、SNSなどを限り、全く奥さんや子供の話が出てこないことから、独身である可能性が高そうです。
TAROかまやつ(かまやつ太郎)のディスコグラフィー(シングル)
それでは、最後に、TAROかまやつさんの主なディスコグラフィーを紹介しましょう。
シングルでは、
- 2006年「風のわだち」

「風のわだち」
TAROかまやつ(かまやつ太郎)のディスコグラフィー(アルバム)
アルバムでは、
- 2005年「ピアノマンの詩(うた) 」

「ピアノマンの詩」
- 2011年「KEEP ON」※ミニアルバム

「KEEP ON」 - 「TAROかまやつ「ピアノマンの部屋~名曲一発勝負ピアノセレクション~」※企画限定CD

「TAROかまやつ「ピアノマンの部屋~名曲一発勝負ピアノセレクション~」
などをリリースしています。
また、2009年には、アーティストが多数参加したカバーアルバム「ムッシュかまやつ70thアルバム」に参加し、自身が作詞・作曲を手掛けた、「ゆっくりとゆっくりと」をムッシュかまやつさんと親子デュエットしています。

「ムッシュかまやつ70thアルバム」
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