16歳の時、モデルとして活動を開始し、「銀座NOW!」「お笑いマンガ道場」などのバラエティ番組で、明るいキャラクターで人気を博すと、
結婚をきっかけに一時は芸能界から遠ざかるも、20代から趣味のパッチワークキルトの教室を全国各地で開くほか、作品展やワークショップを開催するなど、実業家としても成功を収めている、キャシー中島(きゃしー なかじま)さん。
今回は、そんなキャシー中島さんの若い頃から現在までの経歴を時系列でご紹介します。

「キャシー中島の生い立ちは?幼少期に両親が離婚!中学時代はダンスホール!」からの続き
キャシー中島は16歳の時にモデルとしてスカウトされていた
お母さんや学校への反発心から、15歳の時には、深夜23時~24時頃まで横浜の繁華街にあるダンスホール(現在のライブハウス)で夜遊びをするようになったというキャシー中島さんは、
1968年、16歳の時(中学卒業後、高校に進学するまでの期間)のある日のこと、いつものように横浜・本牧にあるダンスホールで踊っていると、
スタイリストの堀切ミロさんに、
あなたさあ、かわいいのに。もうちょっと痩せたらモデルで使いたいのね
と、モデルにスカウトされたそうで、
キャシー中島さんが、
モデルになったら、お金いくらもらえるんですか?
と、尋ねると、
そうねえ、あなただったら月に3万から5万になるわ
と、言われたそうで、
キャシー中島さんは、このスカウトを受けたそうです。
(大卒の初任給が2万円~3万円ぐらいの時代だったそうです)
ただ、堀切ミロさんには、
でも今のスタイルじゃダメね。あと10キロ痩せなきゃ
と、言われたそうで、
キャシー中島さんは、ダイエットをして、3ヶ月で20キロ体重を落としたのだそうです。
キャシー中島は16歳の時にモデルとタレント活動を開始していた
こうして、キャシー中島さんは、16歳からモデルの仕事を始めるようになったそうで、
モデル業と並行し、テレビ番組「ビートポップス」にも出演するなど、芸能活動も少しずつ始めるようになったそうです。
キャシー中島は17歳の時に「カサノヴァ7」として「夜の柳ヶ瀬」で歌手デビューもしていた
また、同じ頃、キャシー中島さんは、別の人から、歌手としてもスカウトされたそうで、
翌年1969年、17歳の時には、「カサノヴァ7」というグループのメンバーとして「夜の柳ヶ瀬」で歌手デビューも果たすと、

「夜の柳ヶ瀬」
モデル活動と並行して歌手活動も行い、赤坂のライブハウス「ゴールデン・ゲート」などのステージに出演していたそうですが、
本人いわく、
それほど歌が得意ではなかった
という理由から、まもなく歌手を辞め、モデル業一本に絞ったそうです。
キャシー中島は17歳頃に女性モデル専門事務所「マドモアゼル」に移籍していた
とはいえ、モデル業も順調ではなく、仕事自体は面白かったものの、堀切ミロさんから最初に聞いていたほどの収入はなかなか得られなかったそうで、
そんな中、キャシー中島さんは、現状を打破するため、女性モデル専門の事務所「マドモアゼル」へと移籍したそうです。
キャシー中島は17歳頃、電話番をして自身を売り込んでいた
ただ、当時、「マドモアゼル」は設立されて間もなく、所属モデルへの仕事依頼もまだ少ない状況だったことから、キャシー中島さんは、放課後に事務所に寄って、自ら電話番を引き受けていたといいます。
すると、
炭酸飲料水のCMの後ろで楽しそうにしている女の子がほしいんだけど、誰かいるかな?
今度、◯◯のポスター撮りがあるんだけど、誰でもいいからいい子いない?
などといった電話がかかってきたそうで、
キャシー中島さんは、
はい、新人のキャシー中島というハーフのモデルがいますが、どうでしょうか?
と、自らを売り込み、スケジュールを埋めていったのだそうです。
キャシー中島は19歳の時には事務所の看板モデルに上り詰めていた
そんなことを何度も重ねるうち、現場へ赴く機会が急増し、
クライアントやスタッフの間でも、
急ぎの案件ならキャシーを起用しよう
と、評判になり、
露出が増えるにつれて、
最近よく見かけるモデルだ
と、業界内で広く認知されるようになったそうで、
キャシー中島さんは、本格的な人気モデルへと成長し、移籍からわずか2年ほどで事務所の看板モデルへと上り詰めたのだそうです。
ちなみに、キャシー中島さんは、19歳の時には、月収100万円稼いでいたそうですが、幼少期に苦労していたお母さんの姿を見て育ったため、ギャラはすべてお母さんに預けていたそうで、
キャシー中島さん自身は、お小遣いとして、お母さんから毎日2000円だけ受け取って過ごしていたそうです。

キャシー中島は20歳の時にモデルからタレントに転身していた
また、キャシー中島さんは、モデルとして活躍する中、現場で、
一緒に仕事を作ると楽しい
トークが面白い
と、評価されるようになり、
複数のカメラマンから、
タレントを目指した方がいいのでは?モデルの主役はあくまで洋服だから
と、アドバイスを受けたそうで、
同時期、スタイルの優れた15〜16歳の若いモデルたちが次々と台頭し、自分の居場所がなくなるかもしれないと危機感を抱いたこともあり、20歳の時、タレントへの転身を決意したそうです。
キャシー中島は20歳の時に「ぎんざNOW!」の初代アシスタントに抜擢されるも3ヶ月で降板していた
こうして、1972年、20歳の時、タレントに転身したキャシー中島さんは、すぐに人気テレビ番組「ぎんざNOW!」の初代アシスタントに抜擢されたそうですが・・・

「ぎんざNOW!」より。両端が「ジェネミス」、中央がキャシー中島さんとせんだみつおさん。
この仕事はわずか3ヶ月で降板することとなったそうです。
というのも、ライオンの「エメロンシャンプー」のCM出演が決まり、1年間に渡って世界各国を巡る撮影スケジュールが組まれたからで、
CMモデルとして絶好のチャンスであったため、キャシー中島さんは、自ら番組のプロデューサーへ事情を説明し、理解を得た上で番組を降板したのだそうです。
(タレントに転身した当初は、モデル時代に比べて収入が下がり、現場での待ち時間も長くなったそうで、それらも降板理由にあったそうです)
キャシー中島は21~22歳頃、「ぎんざナイトナイト」のアシスタントでタレントに復帰していた
ただ、1年に渡る世界中でのCM撮影を終え、やりたいことをやり切ったキャシー中島さんは、再びタレント活動がやりたくなったそうで、
以前、降板を申し出た同じプロデューサーのもとを訪れ、またやりたい旨伝えると、一度は、「そこまで甘い世界ではない」と諭されたそうですが、
最終的には、夜の番組「ぎんざナイトナイト」のアシスタントに起用してもらい、タレントに復帰したそうです。
キャシー中島は22歳の時に「雑居時代」で女優デビュー
以降、タレントとして活動するようになったキャシー中島さんは、売れっ子となり、やがて、テレビドラマの出演オファーが舞い込んだそうで、
1974年、22歳の時には、「雑居時代」で女優デビューも果たしています。

「雑居時代」より。左から川口晶さん、石立鉄男さん、キャシー中島さん、
キャシー中島は22歳の時に杉田かおるの一言で女優業を断念していた
しかし、共演者で、子役だった杉田かおるさんに、
ねぇねぇ、お姉ちゃん。演技下手ね。女優に向いていないんじゃない
と、言われたそうで、
キャシー中島さんは、この言葉がきっかけで、女優業を断念して、タレント業に専念することにしたといいます。
ちなみに、キャシー中島さんは、
『この子しっかりしてるなあ』と思った。それはそうだよね。
私もコマーシャルの中のお芝居しかやっていないので、お芝居で自分を捨てた父親に会うって言ったって泣けないし、『きれいな夕焼け』って言ったって夕焼けも見えないし(笑)。
突っ張っている部分もあったので、別にいいやと思った。自分でも無理だろうなと思っていましたしね。
当時人気だったのは『だいこんの花』とか、ホームドラマだったんですよ。『そこに私が出て行ってどうするの?』っていう気持ちもあったので、向かないだろうなあって。
だから、ドラマのお話はたくさんいただいたんですけど、『向いていないから』って、1つずつ丁寧にお断りしました
彼女(杉田かおるさん)も気にしていたみたいで、かなり経って再会したときに『ごめんなさい』って謝ってくれました。だから『女優は断念したけれど、別の世界で成功したからいいの』って言ったの(笑)。
自分でも女優は向かないと思っていたし、あのまま続けていたら結婚が遅くなっていたかもしれないしね。私にとってはいいことを言ってくれたと感謝しているくらい(笑)
と、語っています。
キャシー中島は22歳の時、「プレイガールQ」に出演していた
それでも、キャシー中島さんは、同年(1974年)、「プレイガールQ」には出演しているのですが、
実は、オファーがあった際、
私は芝居ができません
と、断ったそうですが、
キャシーのままでいいから
と、言われ、
私のままでいいんだったら
と、引き受けたそうで、
2年ほど出演したのだそうです。

キャシー中島は27歳の時に結婚により芸能界を引退していた
以降、キャシー中島さんは、タレントとして活動を続けていたのですが、
そんな中、1979年、27歳の時、俳優の勝野洋さんと結婚し、芸能界を引退しています。
キャシー中島は結婚後は主婦業と子育てに専念していた
そして、結婚後は主婦業と子育てに専念する日々を送っていたというキャシー中島さんですが、
同年(1979年)、長女(勝野七奈美さん)を出産してしばらく経った頃、以前出演していた番組のスタッフから、
キャシー、そろそろ復帰しない?
と、声がかかると、
心が強く揺れ動き、自分自身のどこかで芸能界復帰を望んでいることに気づいたといいます。
ただ、自身がシングルマザーの家庭で育った経験から、家庭を大切にしたかったそうで、
芸能界への未練や雑音に心が乱されないよう、1982年、次女(勝野雅奈恵さん)の出産をきっかけに、静かな環境で子育てに専念するため、静岡県御殿場市へと移住し田舎暮らしをスタートさせたそうで、
キャシー中島さんは、専業主婦だった7年間について、
15歳ぐらいから仕事をしていたので、専業主婦にあこがれていました。子供服の雑誌の原稿は書いていましたが、テレビやラジオには一切出ませんでした。
その(専業主婦として過ごした)7年間はキラキラした思い出ばかり。天気が良ければお庭にキルトを敷いてランチをしたり、子供にお昼寝をさせたり。雨の日には本を読んだり。
四季がしっかりとあって、冬には霜柱がいっぱい。咲き残ったまま冬を迎えたバラが砂糖菓子みたいに凍って、子供たちと「宝石みたいだね」と喜んだり。
と、語っています。
キャシー中島は32歳頃にパッチワークキルト作家として活動を開始していた
そんな中、キャシー中島さんは、長女(勝野七奈美さん)が通う幼稚園のお母さんたちにパッチワークキルトを教えるようになり、
1982年、33歳の時には、幼稚園の教会横にある小さな一室で教室をスタートさせると、当初15〜16人だった生徒がすぐに40人、50人と急増したそうで、
教室の拡大に伴い、御殿場駅の近くに初の本格的な教室「スタジオK」を開設したそうです。
すると、これが足がかりとなり、現在では、全国に6つのスタジオを展開するほか、キルトに関する著書も70冊を超えるなど、日本を代表するパッチワークキルト作家としての地位を確立しています。
ちなみに、パッチワークキルトを教えるようになったのは、夫である俳優の勝野洋さんが仕事に強いこだわりを持って作品を選び、依頼を断ることが多かったことから、
それなら自分が手に職をつけて家庭を支えよう
という現実的な思いもあったといいます。
すると、教室開設から3年目、家族でハワイ旅行を訪れた際、運命的な「ハワイアンキルト」と出会ったそうで、
シンプルでありながら色鮮やかなデザインに心を奪われ、独学で技術を習得し、生徒たちにもその魅力を広めていったのだそうです。
また、キャシー中島さんがキルトと出会ったのは、モデル時代の終わり頃に仕事で訪れたロサンゼルスだったそうで、
幼少期から手芸が大好きだったキャシー中島さんは、一目でその魅力に取り憑かれ、現地で作り方の本や生地を調達し、縫い方を教わって帰国したのだそうです。
ただ、モデル時代は多忙を極めていたため、制作時間が取れず、タレントに転身し、現場での待ち時間が長くなったことから、その時間を有効活用して本格的にキルト作りに没頭するようになったのだそうです。
キャシー中島は36歳頃、「笑っていいとも!」出演をきっかけに芸能界に復帰していた
こうして、家庭に入り、キルト作家としての活動に専念していたキャシー中島さんですが、
ある時、夫である勝野洋さんのもとへ「森田一義アワー 笑っていいとも!」の看板コーナー「テレフォンショッキング」への出演オファーが入ったそうで、
勝野洋さんがスケジュールが取れず断ると、
代わりにキャシーさんに出てほしい
と、番組側から打診を受けたそうで、
キャシー中島さんは、長らくテレビ出演から遠ざかっていたことから、躊躇したそうですが、
司会のタモリさんから、
全然問題ないよ!自分の告知をしてもいいよ
と、温かく迎えられたことから出演を承諾したそうで、
本番で、
これがアメリカン・パッチワークというキルトです
と作品を掲げてアピールし、自身のキルト活動を広く宣伝すると、
これをきっかけに、再び、テレビ番組からの出演依頼が急増し、同枠の縁から、小堺一機さんが司会を務めるお昼のトーク番組「ライオンのいただきます」にレギュラー出演することが決まったのだそうです。
ちなみに、この頃は、長男(勝野洋輔さん)が幼稚園に通っていたため、
お昼の番組であれば、子どものお迎えや幼稚園が終わる時間までに帰宅できる(どんなに遅くても4時には帰れる)
と考え、出演を引き受けたそうで、
キャシー中島さんは、そんな働き方を、”パートタイマータレント”と表現しています。
キャシー中島は64歳の時に「皮膚ガン」と診断されていた
以降、タレント、キルト作家として精力的に活動していたキャシー中島さんですが、
2015年の初め頃、右目の3センチぐらい下の場所に赤い点ができると、だんだん膨らみ、夏には直径5ミリになったといいます。
それでも、痛くも痒くもなかったことから、病院へは行かず、様子を見ていたそうですが、
次女・雅奈恵さんに病院に行くように強く言われ、大学病院を予約し、受診すると、検査の結果、2016年1月に、皮膚ガンと診断されたといいます。
ただ、同年2月10日、手術を受けると、無事、成功したそうで、
キャシー中島さんは、
先生が傷が少ないように取ると、また同じところにできる可能性があるというので、グサッと深く取ってもらいました。傷は少し残りましたが、転移するようながんではなかったので。
何より患部に注射したのが、死ぬほど痛かったんです(苦笑)。当初は3センチぐらいの大きな傷だったんですが、目立たないようになりました。
と、語っています。
キャシー中島の現在は?
そんなキャシー中島さんは、2026年現在も、日本におけるハワイアンキルトの第一人者として、全国でキルト教室(スタジオK)の運営、指導、普及活動、ショップ展開を続けながら、イベントや個展も精力的に開催するほか、

自身のSNSやブログを更新し、夫の勝野洋さん、娘夫婦やお孫さんとの賑やかな暮らしや、旅の記録、ダイエットなど、自身のライフスタイルについて発信しています。
ちなみに、2026年8月には、
2023年コロナ明けの頃、自由にしてたなぁ 今は動きが楽になりました! 1年かけて-15キロ もう少し頑張ってみようと思っています。応援してね
と、1年かけて15kgのダイエットに成功したことを報告すると、
ファンから、
どうやったら、そんなにきれいに痩せられるのですか?
と、質問され、
70代のダイエットです。月に一回お医者様にチェックをしていただき 夜7時以降は何も食べず。朝食は遅くして9時。14時間空腹にします。小さいファスティングです。1年以上続けてます。
と、答えています。

「【画像】キャシー中島の出演ドラマ映画バラエティCMは?著書は?」に続く
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