1996年「Shall we ダンス?」、1997年「うなぎ」などの映画に出演され、数々の映画賞に輝いた、俳優の役所広司(やくしょ こうじ)さん。2005年には、映画「SAYURI」で海外の作品にも出演され、名実ともに日本を代表する俳優となられました。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
役所さんは、1956年1月1日生まれ、
長崎県諫早市のご出身、
身長179センチ、
血液型はAB型、
出身高校は、
長崎県立大村工業高等学校、
趣味は、日曜大工、
本名は、
橋本広司(はしもと こうじ)です。
無名塾
役所さんは、高校卒業後、
地元長崎から上京し、
千代田区役所土木工事課に、
勤務されていたそうですが、
働き始めてから4年目のある日、
仲代達矢さん主演の舞台、
「どん底」を観て感動されたそうで、
1978年、仲代さん主宰の俳優養成所、
「無名塾」の入所試験を受けられると、
200倍もの難関を突破し、
見事合格。
同年、「無名塾」の舞台「オイディプス王」の、
コロス役で初舞台を踏まれると、
以降、「無名塾」の舞台公演に出演されています。
ちなみに、「役所」という芸名は、
前職が役所勤めだったことと、
「役どころが広くなる」との願いを込めて、
仲代さんが命名されたとのことでした。
「徳川家康」で注目
そして、1979年に、
「闇の狩人」で映画デビュー、
1980年に、NHK朝の連続テレビ小説、
「なっちゃんの写真館」で、
テレビドラマデビューを果たされると、
1983年には、
NHK大河ドラマ「徳川家康」に出演。
「徳川家康」より。
役所さんは、この作品で、
織田信長を演じておられるのですが、
黒澤監督の映画「七人の侍」の、
三船敏郎さんが演じられた乱暴者、
菊千代役を参考にされたそうで、
その豪快かつ爽やかな演技が人気を博し、
一躍、注目を集められたのでした。
また、その翌年の1984年には、
NHK大河ドラマ「宮本武蔵」で、
主人公の宮本武蔵に抜擢。
その人気を不動のものにされています。
「宮本武蔵」より。
「Shall we ダンス?」
以降、役所さんは、
次々と、テレビドラマや映画に出演。
1996年の主演映画、
「Shall we ダンス?」は大ヒットを記録しています。
「Shall we ダンス?」より。(左から)渡辺えりさん、
役所さん、草刈民代さん。
この映画で、役所さんは、
平凡なサラリーマンを演じておられるのですが、
会社の帰りに、電車の窓から見えた、
ダンス教室の先生に一目惚れ。
その後、ダンス大会を目指すまでに、
ダンスにハマる様子を、好演されたのでした。
主演男優賞を総なめ
また、この年から翌年の1997年にかけては、
「Shall we ダンス?」を含め、
立て続けに、4本の映画に出演されているのですが、
1996年には、
「Shall we ダンス?」「シャブ極道」「眠る男」で、
その年度の主演男優賞を総なめ。
「シャブ極道」より。
続く、1997年にも、
「失楽園」「うなぎ」で、
その年度の主演男優賞をほぼ総なめにされています。
「うなぎ」より。
ハリウッド進出
役所さんは、その後も、1996年から7年連続で、
「日本アカデミー賞」の「優秀主演男優賞」を受賞。
さらに、2005年には、
映画「SAYURI」でハリウッドに進出されると、
「SAYURI」より。
2006年には「バベル」
2008年には「シルク」
と、海外の監督作品にも積極的に出演され、
「シカゴ国際映画祭主演男優賞」
「バレンシエンヌ国際映画祭オマージュ賞」
をはじめ、海外においても、
数々の映画賞を受賞。
世界的にも、役所さんの演技が、
認められたのでした。
山本五十六
そんな役所さんは、2011年、
映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」で、
主人公の山本五十六を演じられ、
話題となりました。
「聯合艦隊司令長官 山本五十六」より。
山本五十六とは、海軍の司令長官を務めた人物で、
アメリカと交戦することについて、
最後まで、強く反対するも、
時代の流れに逆らえず、皮肉なことに、
自らの手で、アメリカとの戦争を起こすことを、
余儀なくされてしまうのでした。
この映画で、そんな山本五十六の感情や葛藤を、
見事に演じきられた役所さんは、
どうして戦争が起こってしまったのか?
映画を通して、若い人も実際に戦争を体験した人も、
考えるきっかけになればと思います。国を守るために、これだけの人が、
命を懸けて戦ったのは事実です。
それを感じていただければと思います。
と、語っておられました。
妻は?
ところで、
気になる役所さんの奥さんですが、
役所さんは、1982年、
「無名塾」の先輩女優だった、
河津左衛子(かわづさえこ)さんと結婚されています。
河津さんは、結婚されてからは、
家庭に入られたようで、
現在は、女優としての活動は、
行っていないようです。
「無名塾」時代の役所さんと河津さん。
役所さんは、奥さんについて、
多くは語っておられませんが、
2009年、「万年筆ベストコーディネート賞」で、
「最も万年筆が似合う著名人」に選ばれた際、
自身が、奥さんへの感謝の気持ちを公の場で発言しない、
古いタイプの人間であることを前置きしつつ、
勇気を出して・・・ありがとう。
君がいてくれたから今の僕があります。
と、奥さんへの感謝のメッセージを、
読み上げられています。
1982年といえば、
役所さんが、まだ駆け出しの頃なので、
奥さんは、そんな時代から、
役所さんを陰で支えてこられたのですね。
息子は?
そんなお二人の間には、
息子さんが一人いらっしゃいます。
2007年、映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」で、
俳優デビューされた、俳優の橋本一郎さんで、
映画や2時間ドラマなどに、
出演されているのですが、
橋本一郎さん
役所さんは、2014年、
テレビドラマ「おやじの背中」に出演された際、
僕も親父とは喧嘩をしたし、
すねている背中も見てきましたが、自分が父親になって、
「あの頃の親父と同じ背中をしてるのかな」
なんて思うことも。失敗しても一生懸命生きていれば、
その背中は子供にとって財産になる気がします。
と、語っておられました。
息子さんは、そんな役所さんの背中を、
ちゃんと見ておられたようですね♪
さて、いかがでしたでしょうか?
役所勤めから、見事、
世界に羽ばたく名優となられた役所さん。
その人間味あふれる素晴らしい演技で、
これからも私達を魅了してほしいですね。
今後のご活躍も期待しています!!