「おみやさん」「警視庁捜査一課9係」「十津川警部シリーズ」などのテレビドラマで、人情味あふれるキャラクターを演じ、お茶の間で親しまれた、渡瀬恒彦(わたせ つねひこ)さん。今回は、そんな渡瀬さんの幼少期~青年期についてご紹介します。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
渡瀬さんは、1944年7月28日生まれ、
兵庫県津名郡淡路町のご出身(島根県安来市生まれ)、
身長174センチ、
血液型はAB型、
本名は、「渡瀬恒彦」(芸名と同じ)、
学歴は、
⇒三田学園中学校
⇒三田学園高等学校
⇒早稲田大学法学部除籍
趣味は、読書、
ちなみに、渡瀬さんは、テニスの錦織圭さんと遠い親戚だそうで、2008年に、錦織さんの親戚筋から、「石原プロモーション」に簡単な家系図が添えられた手紙が送られてきたそうで、渡瀬さんはこの時はじめてそのことを知り、とても驚かれたそうです。
(渡瀬さんのおばあさんと錦織さんのひいおじいさんが兄弟という関係だそうです)
幼少期はガキ大将
渡瀬さんのお父さんは、広島県呉市の軍需工場などを転々とした後、「日立」の安来工場に勤務していた時、広島県出身の渡瀬さんのお母さんと結婚されたそうです。
そして、1943年には、任地の「日立」呉工場を退職し、その後、渡瀬さんが2人兄弟の次男として島根県で誕生するのですが、1947年(渡瀬さん3歳)には、洋品店を開店すべく、実家の兵庫県津名郡淡路町(現:淡路市)に移り住まれたそうで、渡瀬さんは以降、兵庫県津名郡淡路町で育ったそうです。
(渡瀬さんはガキ大将で、とてもケンカが強く、友達をいじめた相手には、「何やってるんや」と向かっていくような兄貴肌だったそうで、友達からはとても慕われていたそうです。)
文武両道でモテモテ
そんな渡瀬さんは、小学卒業後は、「団体生活で独立心を養うように」とのお父さんの教育方針に従い、全寮制の三田学園中学校に入学し、中学卒業後は、そのまま三田学園高校に進学したそうですが、
中学3年にして柔道は黒帯となり、高校時代には水泳部に所属するなどスポーツ万能だったうえ、夏目漱石などをいつも読んでいる読書家でもあったそうで、
(高校時代は、新聞記者に憧れていたそうです)
中学・高校時代、親友だった、同級生の兵庫県議会議員・野間洋志さんによると、
運動会は、彼を目当てにした女子学生らが押しかけてきて大変だった
『乾坤一擲』とか、はっとする言い回しや熟語を使うんです。だから国語の試験では同級生207人のなかで常にトップ5。
3学年上にお兄さんの渡哲也さんがいて、2人とも図抜けて男前やから、運動会やらイベントがあると、地元だけやなく離れたところから追っかけファンみたいな女子グループが来ていましたよ。
と、文武両道で、なおかつ、涼しい顔立ちの渡瀬さんは、女の子たちから大変なモテようだったそうです。
三田学園時代の渡瀬さん。
電通PRセンターに就職
そして、高校卒業後は、一浪の末、早稲田大学、慶応大学、中央大学(いずれも法学部)に合格すると、尾崎士郎氏の「人生劇場」に憧れ、早稲田大学に進学し、空手部に所属。
東京では、青山学院大学に通う兄・渡哲也さんと共同生活を始められます。
(「人生劇場」とは尾崎士郎氏の自伝的大河小説で、愛知県吉良町(現・西尾市)から上京して早稲田大学に入学した、青成瓢吉の青春とその後を描いた長編シリーズ)
しかし、当時は「学生運動」全盛期で、大学は講義がないばかりか卒論もなかったため、渡瀬さんはすっかりやる気を失ってしまったそうで、
いつしか、高校生の時に憧れていた、新聞記者になるという夢もいつしか消え、作詞家になろうと、詩をたくさん書いていた時期もあったそうですが、結局、本当にやりたいことは見つからず、
いつも、仲間たちと、
何かねぇのかな
と、語り合う日々だったそうです。
そのため、渡瀬さんは、最終的には、実社会に出たらハードな職種でなおかつ時代の最先端を行く仕事に就きたいと思ったそうで、
すでに俳優として活動していた兄・渡哲也さんからも、「堅い道を進め」と言われていたこともあり、卒業見込みで、「㈱電通PRセンター」(現・㈱電通パブリックリレーションズ)に就職されたのでした。
(渡瀬さんは、ドイツ語の文法の単位が取れず、卒業見込みのまま就職されたそうで、後に、大学側に確認したところ、「抹籍証明書」が戻ってきたそうです)