1986年にプロになり、ツアーの下部大会を転戦された後、1988年頃から徐々に頭角を現された、松岡修造(まつおか しゅうぞう)さん。以降、世界の強豪を相手に素晴らしい活躍を見せ、1998年に現役を卒業(引退)されています。


「~ボブブレットと出会い渡米~プロ入りも困窮しながら世界転戦~」の続き

Sponsored Link

ツアーシングルスベスト8に進出

そんな松岡さんは、1988年1月には、
「全豪オープン」で予選を勝ち上がり、
初めてグランドスラムシングルスに出場。

4月には、「サントリージャパンオープン」に、
ノーシードで出場し、3回戦に進出すると、

当時、世界第7位の、大会第2シード、
ミロスラフ・メチージュをストレートで破り、
自身初のツアーシングルスベスト8に進出。
(続く準々決勝では、ジョン・マッケンローに敗れています。)

1988年当時の松岡さん。

8月には、「全米オープン」にノーシードで出場され、
グランドスラムシングルス初勝利を果たすと、

翌月の9月には、
「ソウルオリンピック」アジア予選で、
当時のアジアの強豪選手を次々とストレートで破り、
オリンピック初出場を果たされています。

世界ランキングトップ100位入り

そして、10月には、
第1週の「クイーンズランド・オープン」で、
準決勝まで進出。
(当時世界ランク9位の、大会第1シード、
 ティム・メイヨットに敗れています。)

第2週の「スワン・プレミアム・オープン」では、
準々決勝まで進出。
(当時世界ランク21位の、大会第2シード、
 アンドレス・ゴメスに敗れています。)

第3週の「セイコー・スーパー・テニス」では、
準々決勝まで進出と、
3週連続で好成績を収められ、

シングルスランキングは年初の252位から、
年度末には82位と大きく上昇。

日本人としては、12年ぶりに、
世界ランキングトップ100入りを果たしたのでした。

また、JTAランキングにおいても、1981年から、
7年連続で年間1位だった福井烈選手を抜いて、
日本人選手のトップに立ち、

「世界に通用する日本人プレイヤー」として、
一躍脚光を浴びられたのでした。

ATPツアーで初優勝

さらに、翌年の1989年には、
「BP国際選手権」に第4シードで出場されると、
好調に勝ち進み、決勝に進出。

惜しくも決勝では敗れたものの、
日本人選手としては、13年ぶりの、
ツアーシングルス準優勝を果たされ、

翌週の「ハイネケン・オープン」では、
ATPツアーで初優勝と、
着実に成績を上げていかれたのですが・・・

二度の大けが

1989年、「両膝の半月板損傷」という、
大怪我をしてしまいます。

その後、手術を受け、厳しいリハビを経て、
ツアーに復帰を果たされるのですが、

今度は、1990年、「セイコースーパーテニス」で、
転倒した際、左足首の3本の靭帯がすべて断裂。

またしても、選手生命を危ぶまれる、
大怪我を負われたのでした。

しかし、また懸命にリハビリを続けられ、
1991年にカムバックされると、

同年2月には、
「チャレンジャー大会」で優勝。

7月の「カナダ・マスターズ」では、
準々決勝まで進出と、完全復活。

1991年10月「セイコースーパーテニス」ボリス・ベッカー戦より。

日本男子シングルスの最高記録を打ち出す

そして、翌年の1992年4月、
「KALカップ」で日本人男子選手として、
初めてATPツアーシングルスで優勝を果たすと、

同年6月には、
「ステラアルトア・グラスコート選手権」で準優勝し、

世界ランクは、自己最高の、
46位まで上昇させたのでした。

(この記録は当時日本男子シングルスの最高記録で、
 2011年に、錦織圭選手に更新されています。)

ウィンブルドンでベスト8

しかし、同年末、ウィルス性の病気にかかり、
3ヶ月の療養を余儀なくされると、

翌年の1993年3月に復帰し、
5大会でベスト8入りを果たされるも、
世界ランキングは100位以下に。

そして、続く1994年も、
100位の壁を打ち破ることができず、
苦しい戦いが続くのですが、

1995年には、「ウィンブルドン選手権」で、
日本人男子として62年ぶりに、
準々決勝(ベスト8)進出。

ウィンブルドン選手権でベスト8となり、歓喜する松岡さん。

松岡さんは、準々決勝進出の瞬間、
感動のあまりコートを駆け回り、最後には、
コートの上で大の字になって天を仰がれたのでした。

Sponsored Link

現役を卒業(引退)

そして、1996年には、ウィンブルドン2回戦、
ミヒャエル・シュティヒ戦で、長年の夢だった、
センターコートでの試合を実現されますが、

1998年4月、ジャパンオープンを最後に、
現役を卒業(引退)。

卒業(引退)会見をされる松岡さん。

(松岡さん本人は「引退」という言葉を嫌い、
 「卒業」という言葉を使われています。)

その後は、ジュニアの育成と、
テニス界発展のためのプロジェクト、
「修造チャレンジ」を設立されています。

ちなみに、この「修造チャレンジ」では、年に1回、
松岡さんの恩師、ボブ・ブレットさんを迎え、
強化合宿「修造チャレンジキャンプ」を実施。

あの、錦織圭選手も、
この「修造チャレンジキャンプ」から、
巣立たれています。

「東日本大震災復興チャリティーマッチ」(2014年11月)より。
(左から)マイケル・チャンさん、アンドレ・アガシさん、錦織圭選手、松岡さん。

さて、いかがでしたでしょうか?

幼い頃から才能の片鱗を見せるも、
周囲の手によって芽を摘まれそうになる中、
強い意思と強靭な精神力で切り開き、

プロになってからも、様々な困難を乗り越えて、
数々の日本人記録を塗り替えた松岡さん。

松岡さんをテレビなどでお見かけすると、
いつも元気を与えてくれますが、それは、
こういった過去の努力が源となっていたのでしょう。

これからも、その明るさで、
(やや、うっとうしいときもありますが)、
私達を元気づけてほしいですね。

そして、是非、第二、第三の錦織選手を、
発掘してほしいものです♪

https://www.youtube.com/watch?v=T61Xg5CEZgo

Sponsored Link