19歳の時、NHK連続テレビ小説「鳩子の海」でテレビドラマデビューされると、以降、数多くのテレビドラマや映画に出演された、池波志乃(いけなみ しの)さん。今回は、そんな池波さんのルーツである、天才落語家と言われた祖父、5代目古今亭志ん生さんについてご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

池波さんは、1955年3月12日生まれ、
東京都荒川区西日暮里のご出身、

身長163センチ、

血液型はA型、

趣味は、
読書、絵画、相撲観戦、プロレス観戦、日舞、三味線、茶道、華道、ガーデニング、カラオケ、

特技は、料理、

ちなみに、池波さんの本名は、中尾志津子(なかお しずこ)(旧姓:美濃部志津子(みのべ しずこ))なのですが、「新国劇」の研究生だった時、お父さんの10代目金原亭馬生さんが、「新国劇」の座付作家でもあった池波正太郎さんの「池波」をもらい名付けられたそうです。

祖父は落語家の5代目古今亭志ん生

池波さんのおじいさんは、天才落語家といわれた5代目古今亭志ん生(ここんてい しんしょう)さんです。


5代目古今亭志ん生さん。

志ん生さんは、菅原道真の子孫を称する徳川直参旗本であった美濃部家のご出身で、おじいさんが、赤城神社の要職を務めるなど、由緒正しい家柄に誕生するのですが、明治維新の際の支給金をお父さんの代ですべて使い果たしてしまったため、貧乏暮らしを余儀なくされたそうです。

ただ、そんな中でも、お父さんに連れられて、寄席(よせ)を観に行ったそうで、寄席で売られているお菓子目当てに寄席通いをされたそうです。

祖父・5代目古今亭志ん生は素行の悪さで小学校を退学になっていた

そんな志ん生さんですが、小学校卒業間近(11歳)の時、素行の悪さで退学させられたそうで、そのため、奉公に出されると、その後は、奉公先を転々としたそうです。

やがて、賭博や酒に手を出すようになり、放蕩生活の末、家出するのですが、この頃あたりから、芸事に興味を抱くようになると、「天狗連」(素人やセミプロの芸人集団)に出入りするようになったそうです。

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祖父・5代目古今亭志ん生は何度も改名していた

そして、1907年、落語家・三遊亭圓盛(さんゆうてい えんせい)さんに入門すると、三遊亭盛朝(さんゆうてい せいちょう)を名乗り、落語家としての活動を開始。(とはいえ、まだセミプロとして)

1910年頃には、2代目・三遊亭小圓朝(さんゆうてい こえんちょう)さんに入門し、三遊亭朝太(さんゆうてい ちょうた)と名乗ると、1916~1917年頃には、三遊亭圓菊(さんゆうてい えんぎく)を名乗って「二つ目」に昇格。

(※「二つ目」とは落語の階級のことで、寄席のプログラムで2番目に高座へ上がることからこう呼ばれ、それまでは着流しだったのが、ようやく、紋付羽織袴(もんつきはおりはかま)を着ることが許され、一人前と認められるそうです)

1918年には、4代目古今亭志ん生(ここんてい しんしょう)の門に移籍し、金原亭馬太郎(きんげんてい うまたろう)に改名されると、1921年には、金原亭馬きん(きんげんてい ばきん)を名乗り、真打に昇進されたのでした。

(※「真打ち」とは落語の階級のことで、寄席のプログラムで一番最後に出る資格をもつ落語家のことをいい、また、弟子を取ることもできる、いわば、落語階級のトップ)

ちなみに、志ん生さんは、この後も改名を重ね、なんと、16回も改名されています。

「池波志乃の祖父・古今亭志ん生は口演中に倒れて半身不随となっていた!」に続く

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