1987年、映画「湘南爆走族」でデビューされると、1989年には、映画「彼女が水着にきがえたら」でヒロインの相手役を務められ、注目を集めた、織田裕二(おだ ゆうじ)さん。以降、トレンディドラマに次々と出演され、1991年には、テレビドラマ「東京ラブストーリー」でヒロインに振り回される優柔不断な青年、永尾完治役を演じられると、たちまちブレイクされます。

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年齢は?出身は?身長は?

織田さんは、1967年12月13日生まれ、
神奈川県川崎市のご出身、

身長177センチ、
体重70キロ、

血液型はA型、

学歴は、
桐蔭学園小学校・中学校・高等学校卒業、

免許・資格は、
ダイビング(PADI)、国際レースライセンス(Cクラス)、一般小型船舶操縦士免許、

ちなみに、「織田裕二」は本名です。

テニスを断念し、バンド活動へ

織田さんは、中学1年生から高校1年生まで、テニス部に所属していたそうですが、膝を怪我してしまって、テニスを断念せざるを得なくなり、

(自殺を考えるほどショックを受けたそうです)

その後は、「Deps」というバンドを組んでギターを担当されたそうです。

(織田さんのファンクラブの名称はこの「Deps」です。)

「湘南爆走族」で俳優デビュー

そして、高校卒業後は、海外に憧れ、ピッツバーグ大学「ELIジャパン」に入校されるのですが、すぐに中退されると、その後は、知人の紹介で芸能事務所に入られ、1987年4月公開の映画「湘南爆走族」のオーディションで、参加者数万人の中から、メインキャストのひとりである、石川晃役に選ばれて俳優デビュー。


「湘南爆走族」より。織田さんと江口洋介さん。

また、織田さんは、同映画の挿入歌「Boom Boom Boom」で、歌手デビューも果されたのでした。


「Boom Boom Boom」

ちなみに、「ELIジャパン」を中退された詳しい事情は分かりませんでしたが、織田さんは、2016年、「IQ246~華麗なる事件簿~」のロケ現場で、共演者のディーンフジオカさんに留学経験があることを知ると、親近感を抱き、

僕も海外志向があったんだけど、事情があって留学できなかった。

と、残念そうに打ち明けていたそうです。

「彼女が水着にきがえたら」で注目を集める

こうして、織田さんは、

映画では、

1987年「愛はクロスオーバー」
1989年「将軍家光の乱心 激突」


「将軍家光の乱心 激突」より。

テレビドラマでは、

1987年「桃色学園都市宣言 河田工業高校電気科」
     「プロゴルファー祈子」

1988年「北の海峡」
     「涙日記」

1989年「風雲!江戸の夜明け」
     「十九歳」


「プロゴルファー祈子」より。(左から)織田さん、風見しんごさん、安永亜衣さん。

に出演され、

1989年6月には、映画「彼女が水着にきがえたら」で、主演の原田知世さんの相手役を演じられると、一躍注目を集め、


「彼女が水着にきがえたら」より。織田さんと原田知世さん。

翌年の1990年には、映画「BEST GUY」で主演に抜擢されて、航空自衛隊のエリートパイロットを好演。


「BEST GUY」より。財前直見さんと織田さん。

その後も、

1989年「ママハハ・ブギ」
     「邪魔してゴメン!」
     「あいつがトラブル」


「ママハハ・ブギ」より。(左から)浅野温子さん、石田ひかりさん、的場浩司さん、織田さん。

1990年「卒業」
     「予備校ブギ」
     「世にも奇妙な物語『ロッカー』」


「予備校ブギ」より。(左から)織田さん、緒形直人さん、的場浩司さん、田中美佐子さん。

などのテレビドラマに次々と出演されたのでした。

「東京ラブストーリー」で大ブレイクするも、禁句?

そして、1991年、柴門ふみさんの同名漫画を原作とするテレビドラマ「東京ラブストーリー」で、ヒロインの赤名リカ(鈴木保奈美さん)に翻弄される優柔不断な青年・カンチこと永尾完治役を演じられると、ドラマは、最高視聴率32.3%を記録する大ヒットとなり、織田さんもたちまち大ブレイク。


「東京ラブストーリー」より。織田さんと鈴木保奈美さん。

しかし、なぜか、織田さんの事務所とフジテレビからは、織田さんの前で「東京ラブストーリー」の話をすることが禁じられていたというのです。

実は、織田さんは、自身が思い描いていたカンチのキャラクターと、後半のドラマ展開とのギャップに悩み、結果的には途中放棄といえるくらい演技的に失敗だったと語っておられたことがあったそうで、織田さんにとっては、思い出したくもないほどの、黒歴史なドラマとなってしまったのかもしれませんね。

また、カンチ役は、もともと、緒形直人さんがキャスティングされていたのを緒形さんが断り、織田さんに回ってきたことや、優柔不断なカンチを毛嫌いしていたとも言われています。

「東京ラブストーリー」ネタが解禁?

ただ、そんな織田さんも、2016年10月に、情報番組「ぴったんこカン☆カン」に出演されると、司会の安住紳一郎アナウンサーとともに「東京ラブストーリー」の永尾完治と赤名リカのセリフを再現。

「東京ラブストーリー」ネタに笑顔で応えられている織田さんを見ると、年齢やキャリアを重ねて余裕ができ、それほど、毛嫌いするほどでもなくなってきたのかもしれませんね。

ちなみに、これを受けて、「織田裕二 安住」というキーワードが、ツイッターの検索ワード上位にランクインするなど、視聴者の反響は大きく、続編に大きな期待が寄せられているようです。

(2016年には、「東京ラブストーリー」の25年後を描いた新作、「東京ラブストーリーAfter25years」の連載が、27年ぶりに「女性セブン」でスタートしています。)


東京ラブストーリーAfter25years

主演ドラマ「あの日の僕をさがして」が大コケ

話は戻って、織田さんは、「東京ラブストーリー」の翌年の1992年には、「あの日の僕をさがして」で、自身初の民放連続ドラマの主演(古賀森男役)を務めるのですが、視聴率はふるわず、大コケ。


「あの日の僕をさがして」より。仙道敦子さんと織田さん。

もともと、ヒットしたとはいえ、「東京ラブストーリー」でも納得のいく演技ができず、
そのうえ、民放連ドラ初の主演作でもコケたことから、

駄目だ。何をしたいかを一所懸命固めなきゃ駄目だ。人から役をもらうだけじゃなくて、こっちから「何をしたい」って言わなきゃ駄目だ。無いんだったら、何か無理矢理でもテーマを作るぞ。そう思った。(後日譚)

と、決意されたようで、

以降、織田さんは、企画・脚本作りの段階から、作品に関わるという姿勢を強められます。

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三谷幸喜脚本の「振り返れば奴がいる」が大ヒット

そして、1993年、テレビドラマ「振り返れば奴がいる」で、石黒賢さんとダブル主演を務められると、病院を舞台に、医師としての信念を巡って、激しく衝突するお二人の姿が大きな話題となり、ドラマは大ヒットを記録。


「振り返れば奴がいる」より。石黒賢さんと織田さん。

実は、このドラマは三谷幸喜さんの、
ゴールデンタイム初の連続ドラマ作品だったのですが、織田さんの意向で、シナリオは現場でどんどん変更され、最終回のラストシーンも、あと2シーン撮ってクランクアップという時に、

織田さんが、突然、

こんなに悪い役が生き残っていいの?

刺されて死にたい

と申し出て、シナリオが変更されたそうで、

(織田さんの役柄は、苦しむ患者を無視するかのように、平然と振る舞う天才医師だったことから)

織田さんにとっては、大満足の作品となったのでした。

ただ、三谷さんにとっては、自身の脚本が知らないところでどんどん変えられて、面白いはずもなく、後に、自身が主宰する劇団「東京サンシャインボーイズ」の作品「ラヂオの時間」で、同じようなシチュエーションの脚本を書き、溜飲を下げられています。

(内容は、普通の主婦が書いた脚本がラジオドラマに採用されるも、主演女優のわがままから放送直前に次々と脚本が変更されていって、もともと、熱海を舞台にした平凡な主婦と漁師の恋の物語が、シカゴを舞台にした女弁護士とパイロットの話になり、とうとう、ラストシーンまで変更。さすがに、脚本を手がけた主婦がキレてしまうというものでした(笑))

さておき、織田さんは、その後も、

1993年「素晴らしきかな人生」
1994年「お金がない!」
1995年「正義は勝つ」
1996年「真昼の月」


「お金がない!」より。(左から)高杉亘さん、織田さん、今井雅之さん。

など、シリアスな恋愛ドラマから、熱血もの、シチュエーションコメディほか、幅広いジャンルの作品で主演を務められると、次々とドラマを成功へと導き、いつしか「織田不敗神話」と呼ばれるようになったのでした。

「織田裕二の嫁は?子供は?柳葉敏郎と不仲?出演ドラマ映画は?」に続く

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