高校卒業後は、お父さんの会社に就職するも、ケンカの末、家を飛び出し、地元のテレビ局に就職された、斉藤暁(さいとう さとる)さん。そんな斉藤さんが俳優を目指した経緯について調べてみました。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

斉藤さんは、1953年10月28日生まれ、
福島県郡山市のご出身、

身長165センチ、
体重77キロ、

血液型はO型、

本名は斉藤理、

学歴は、
福島県立郡山工業高等学校卒業、
(高校時代はバレーボール部に所属されていたそうです)

趣味は、トランペット、

特技は、殺陣と福島弁だそうです。

高校卒業後は父親の会社~テレビ局に就職

斉藤さんは、幼い頃、特にお芝居に興味があったわけではなかったそうですが、一人で想像することが好きで、マカロニウエスタンの映画を観た後、役になりきって、隣の家にあった子どもが乗れる立派な木馬に1時間ほど乗らせてもらうと、頭の中にサボテンが見えてくるほど、想像力が豊かな子どもだったそうです。

そして、成長した斉藤さんは、地元・福島県の工業高校を卒業後、お父さんが経営する小さな電気工事の会社に就職するのですが、(お父さんは、斉藤さんと斉藤さんのお兄さんに自分の会社を継がせるのが夢だったそうです)

電気コードの皮を芯だけ残してむくことができずに全部切ってしまうなど、仕事がまったく向いておらず、最終的にはお父さんとつかみ合いのケンカをして家を飛び出します。

その後は、クリエイティブな仕事に就けるかと思い、当時、開局したばかりの、地元・福島県のテレビ局に就職するのですが、

そんな期待もむなしく、入社後は、照明と大道具の仕事を、たった一人で任されることになってしまったうえ、仕事はきつく、そのストレスのはけ口として、地元のアマチュア劇団に入ったり、鬱屈として若者達が集まるような喫茶店に出入りするようになったのでした。

(それでも、劇団では、持ち前の想像力で、「農夫1」のような超脇役でさえもおもしろさを感じられていたそうです)

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画家・猪熊克芳との出会い~劇団「自由劇場」入団

そんなある時、斉藤さんは、画家の猪熊克芳さんと出会い、意気投合されたそうで、

(猪熊さんは、画家として大成しようと東京に出るも、実家の都合で地元に帰らなければならなくなったそうですが、それでも、もっと表現したいという欲求に駆られており、斉藤さんとどこか共鳴する部分があったそうです)


若かりし頃の斉藤さん(右)と猪熊さん(左)。

「黒テント」(当時のアングラ演劇の代表的な劇団)を地元に呼んだり、「田吾作会」(野菜を作る会)を立ち上げて収穫祭をするなど、様々なイベントを一緒にされていると、

ある日、猪熊さんから、

今やらないと後で後悔するぞ。東京に行くべきだ。

と、上京を勧められます。

ただ、斉藤さんは、高校生の時に修学旅行で東京に行き、あまりの空気の汚さに、

二度と来るもんか

と、思ったことを思い出し、当初は、

いやぁ、そんな東京なんておっかねえところに

と、思っていたのですが、

やがて、東京に希望を感じるようになり、試しに劇団「自由劇場」(現在・オンシアター自由劇場)のオーディションを受けられると、見事合格。

こうして、斉藤さんはテレビ局を辞め、1977年、23歳の時、上京して、「自由劇場」に入団されたのでした。

「斉藤暁の若い頃は?踊る大捜査線ほか出演ドラマ映画は?」に続く

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