1976年、高校3年生の時、スカウトされてモデルとして芸能界デビューすると、1977年には、映画「地獄の天使 紅い爆音」で女優デビューし、1978年、2作目の映画「サード」では、いきなり、体当たりの演技を披露して、たちまち注目を集めた、森下愛子(もりした あいこ)さん。今回は、そんな森下さんの生い立ちから追っていきます。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
森下さんは、1958年4月8日生まれ、
東京都武蔵野市の出身、
身長158センチ、
血液型はAB型、
学歴は、
東京都新宿区立西戸第二中学校(現・新宿区立西戸山中学校)
⇒麹町学園女子高校
趣味は、海外旅行、
本名は「吉田佳代(よしだ かよ)」(旧姓:森下)です。
幼少期からバレエ~高校3年の時にモデルデビュー
森下さんは、4歳の時に両親が離婚し、お母さんに女手一つで育てられたそうですが、3歳から習い始めたクラシックバレエに打ち込み、小学・中学校時代の将来の夢は、バレリーナになることだったそうです。
そんな森下さんは、1976年、高校3年生の時にスカウトされて、モデルとしてデビューすると、高校卒業後の1977年には、映画「地獄の天使 紅い爆音」で女優デビューを果たします。
「地獄の天使 紅い爆音」より。森下さん(左)と入鹿裕子さん(右)。
2本目の映画「サード」でいきなり体当たりの演技
そして、翌年の1978年、20歳になったばかりで出演した2本目の映画「サード」では、早くも体当たりの演技を披露し、たちまち注目の的に。
森下さんの役柄は「新聞部」と呼ばれる女子高生で、高校の図書室の片隅で友達の少年・妹尾新次(永島敏行さん)と初体験を経験するのですが、
その演技が邦画史に残るエロティシズムとして大きく評価され、この映画「サード」は、単館規模の上映ながら、「キネマ旬報・日本映画ベスト・ワン」「ブルーリボン賞・作品賞」に輝いたのでした。
映画「サード」のあらすじ
ここで、森下さんの魅力を理解してもらうため、ストーリーを簡単にご紹介すると・・・
地方の高校に通う主人公の妹尾新次(永島敏行さん)と友達(男1人、女2人)は、都会に出るためのお金を稼ごうと、女友達が売春することになるのですが、
(左から)新次(永島さん)、新聞部(森下さん)、テニス部(志方亜紀子さん)、IIB(吉田次昭さん)
新次がキャッチしたヤクザ(峰岸徹さん)に「新聞部」(森下さん)がアパートに連れて行かれ、約束の時間が過ぎても終わらないため、新次が部屋に突入すると、そこには、目の焦点が定まらず、裸のまま横たわる「新聞部」の姿が・・・
新次はヤクザを撲殺。少年院に入れられると、そこで、かつて、野球部で3塁を守っていたことから、「サード」と呼ばれるようになり、やがて、野球の夢を見るようになるのですが、それは走っても走ってもホームベースにたどり着くことができない・・・という悪夢なのでした。
「サード」より。ヤクザ(峰岸徹さん)を撲殺する新次(永島敏行さん)。
映画「サード」のヒロインに抜擢された理由とは?
ちなみに、監督の東陽一さんは、森下さんについて、
ATG(配給会社に)僕が何本か企画を出して、脚本に有名どころの寺山修司を呼んで、ようやく採用されたのがこれ。
それから主役級の男女4人をオーディションで選ぶんだけど、彼女は一発で決まったね。芯は強いけど表情には初々しさがあって、とてもよかった。
と、絶賛。
実は、当時の森下さんの女性マネージャーは、女子高校生が売春するという設定に難色を示していたそうですが、森下さん本人がこの役に抵抗を示さなかったことで出演となったそうです。
「サード」より。あどけなさと妖艶さが絶妙に入り混じった表情をみせる森下さん。
また、劇中では、森下さんの陰りを帯びた切なげな表情が印象的なのですが、東監督は、その役柄に役者を選んだ時点が演出であると考えていたことから、役者に対して芝居をつけることを好まず、森下さんに対しても、家で友達と話すような感覚で臨むよう伝えていたそうで、
その結果、森下さんのあどけなさと妖艶さが絶妙に入り混じった、リアリティあふれる魅力が引き出されたのでした。
こうして、森下さんは、一躍、注目を浴びると、1979年には、映画「十八歳 、海へ」でも、美しいヌードシーンを披露し、当時の若い男性を中心に熱狂的な支持を得たのでした。