高校卒業直前の1974年、18歳の時、3代目桂小文枝(後の5代目桂文枝)さんに弟子入りされると、顔にドウランを塗って、かつらをかぶり、ちょんまげ代わりに茄子を乗せるなど、これまでの古典落語にはない、ユニークな姿で創作落語を披露し、たちまち、関西で人気を博した、桂小枝(かつら こえだ)さん。そんな小枝さんの、生い立ちからブレイクまでの経緯について、調べてみました。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
小枝さんは、1955年5月25日生まれ、
兵庫県西宮市のご出身、
幼い頃の小枝さん
身長170センチ、
体重57キロ、
血液型はA型、
学歴は、
兵庫県立宝塚高等学校卒業、
趣味は、
図画工作、ゴルフ、釣り、おもちゃ(特にブリキ製のもの)の収集、
ちなみに、本名は「青木 喜伸(あおき よしのぶ)」 で、ニックネームは、こえぴょん、ミスター(ナイトスクープ)、小枝師匠、です。
少年時代はボーイスカウト
小枝さんは、お好み焼き屋「あおき」を営む両親のもとに誕生すると、ボーイスカウトで活動する活発な少年時代を送り、高校時代には、落語研究会に所属し、「桂方沙織」の高座名で活動。
また、落語研究会で活動するかたわら、「劇団根性座」を結成して演劇活動も行っていたそうですが、この頃から、後の芸風となる白塗りで活動されていたそうです。
(ちなみに、小枝さんは、俳優の生瀬勝久さんと同じボーイスカウトに所属されていたそうで、生瀬さんいわく、「(小枝さんは)ボーイスカウトの頃と喋りがそのまま」だそうです♪)
3代目桂小文枝(後の5代目桂文枝)に弟子入り
そんな小枝さんは、高校卒業直前の1974年2月、18歳の時、かねてより憧れだった3代目桂小文枝(後の5代目桂文枝)さんに弟子入り。
3代目桂小文枝(後の5代目桂文枝)さん
入門当時、小枝さんは、
名前聞いただけでさわやかな、そよ風みたいな名前がいい
と、要望されると、小文枝さんは、「桂そよ風にせえ」とおっしゃったそうですが、最終的には、「桂枝織」と名乗ることになったのでした。
茄子ちょんまげ白塗り姿の創作落語で人気に
すると、小枝さんは、顔に真っ白なドウランを塗り、かつらをかぶって頭にちょんまげ代わりの茄子を乗せたユニークな姿で創作落語をするほか、座布団、畳などを人差し指で回すという特技(通称・白塗落語)も披露されると、これがお客さんに大ウケし、たちまちブレイク。
ちなみに、このユニークな格好での落語は、古典落語はすでに先達たちによって開拓・研究し尽くされていて、
若手が入り込む余地がなく、全く手が打てない
と、考えた末でのアイディアだったそうです。
テレビデビューでいきなり放送禁止用語言い降板
これをきっかけに、小枝さんのもとにテレビ番組へのオファーが殺到し、小枝さんは、1981年9月、文枝さんをはじめ、周囲の勧めもあり、名義を「桂方沙織」から現在の「桂小枝」に改名。
(文枝さんは、自身の著書で「変えさせた」と記しています。)
そして、ある生放送の深夜番組でテレビデビュー(しかもレギュラー)されるのですが・・・
放送禁止用語を言ったことから、即レギュラーの座から降ろされてしまい、その後も、深夜番組「TV-JACK」内で「美人数珠繋ぎ」などのロケコーナーを受け持つようになるのですが、人気はパッとしなかったのでした。
「探偵ナイトスクープ」で大ブレイク
そんな小枝さんですが、1988年、深夜番組「探偵!ナイトスクープ」にレギュラー出演されると、ねちっこい話し方と、自身のキャラをさく裂させた「小ネタ集」や「パラダイス」で、たちまちお茶の間の人気を博し、
1993年には、依頼ネタ「謎の爆発卵」で、生卵を殻のまま電子レンジでチンして爆発する映像をお茶の間に届け、なんと、関西圏のみで30.5%を記録する高視聴率を記録。
現在のユーチューバーを思わせるこの「謎の爆発卵」は、現在でも「神回」と言われるほど高く評価されています。
ちなみに、島田紳助さんは、小枝さんについて、
小枝は35歳になってから売れる
と、予言されていたそうですが、
小枝さんは、33歳の時に、「探偵ナイトスクープ」のレギュラー出演が決まって、その後、あれよあれよと人気者になられており、まさに島田さんの予言が的中。
後に、島田さんは、
若いうちは独特の粘っこい口調は無理がある、あの話し口調はそれ相応の歳になってからでないと合わない
と、「33歳ブレイク説」を予言した理由を明かされていました。
「桂小枝が股間プッチンプリン画像を元不倫相手に暴露される!」