「ソフトバンク」のCMで「お父さん犬」の声を担当されたり、「嵐」の相葉雅紀さんと交友されるなど、意外性もあり、世代を問わず、幅広い人気を博している、北大路欣也(きたおおじ きんや)さんですが、お父さんの市川右太衛門さんが亡くなった際には、ある疑惑が週刊誌によって報道されます。
「北大路欣也はソフトバンクCMで自分だけ犬とは知らなかった!」からの続き
両親を姥捨山(うばすてやま)に捨てていた?
1999年9月、北大路さんのお父さん・市川右太衛門さんが92歳で亡くなった際、右太衛門さんが、妻(北大路さんのお母さん)のスエノさんとともに、千葉県館山市の老人ホームに入居していたことが週刊誌に報道されているのですが、
このことについて、あるスポーツ紙記者は、
その事実が亡くなるまで隠されていたことに加え、報じられた入居までの経緯があまりに異常だったんです。晩年の右太衛門さんは身内の借金を肩代わりしたことがきっかけで、自宅が差し押さえられるほど困窮していた。
ところが北大路さんはそれまで続けていた仕送りをストップして、さらに兄や姉にも一切知らせず、独断で人里離れた施設に両親を入居させたというんです。
と証言しているというのです。
また、北大路さんの実のお姉さんも、
引っ越しを知らされてすぐ、どこに両親を連れて行ったのかを聞くため、弟・欣也の自宅に電話をしました。しかし留守番電話でした。そこで用件を吹き込み、ひたすら応答を待ちました。しかし連絡がない。
(中略)なぜ欣也は連絡をよこさないのか。どうして両親の居場所を教えてくれないのか。私たちは途方にくれてしまいました。
と、取材に対し、苦しい胸のうちを語っており、
お姉さんによると、1998年8月に行われた老人ホームへの入居作業も、
わしは行かん
と言う、右太衛門さんが拒否する中で淡々と進められ、北大路さん夫婦は両親の入居に付き添わず、両親は手荷物だけを持たされての入居だったそうで、それ以降、連絡が取れなくなったというのです。
(最終的には、北大路さんの弁護士を通じて、ご兄弟にも、両親の入居先は知らされたそうです。)
さらに、右太衛門さんが経済的に困っていたにもかかわらず、北大路さんは援助をせず、家政婦さんが食費を立て替えて食べさせていたという話や、
老人ホーム入所を渋る右太衛門さんを兵糧攻めにするため、マンションの差し押さえに対して援助しなかった、などの話が浮上しているのです。
妻が右太衛門を寝ずの看病?
このことに対し、北大路さんは、
父は“施設の方々におまえからお礼を言ってくれ。本当によくしてもらっていて感謝しているんだ”と言うんです。
と、施設への入所は、両親の納得のうえだったことを明かされており、
老人保健施設の担当者も、
最初のうちこそ無口でしたが、次第に外出されるようになり、ホームでは人気者でした。“帰りたい”とは一度もおっしゃったことはありません。
と、取材に答えられているほか、
右太衛門さんが亡くなる最後の5日間は、北大路さんの奥さんが、寝ずの看病をしたことも証言し、北大路さんに対する心ない噂を否定されたのでした。
兄姉と不仲
ちなみに、同年12月14日に行われた「お別れ会」には、北大路さんの、姉夫婦、兄夫婦の姿はなく、親族は北大路さん夫婦2人だけ。
逆に、翌年の3月3日、この「お別れ会」に対抗する形で、親族が主催した「市川右太衛門を偲ぶ会」には、北大路さん夫婦は出席されず、兄弟間の不仲が露呈する形となったのでした。
介護施設に入所させた本当の理由とは
そんな北大路さんは、これまでコメントを避けられてきたのですが、2001年末、お母さんが施設で亡くなったことをきっかけに、週刊誌に「亡き父・市川右太衛門を介護施設に入所させた本当の理由」とのタイトルで、真相を明かされています。
北大路さんによると、両親は都心のマンションで2人暮らしをされていたのですが、お母さんの足が不自由になったため、ガスの取り扱いや電気製品の取り扱いなどに不安が生じる状況になり、かといって、通いの家政婦は高齢で介護まではとても無理だったことから、
僕ら(北大路夫妻のこと)は両親のことが心配でたまらない、両親も毎日の生活がこころもとない、互いに不安をかかえて生活していくのはマイナスじゃないか。なんとかしなければ、と考えるようになっていました。
と、マンションでの2人暮らしに無理が出てくると判断し、10年以上費やして入所を説得されていたそうで、その間に、同居を申し出たこともあったそうですが、両親は独立心が強く、受け入れてもらえなかったとのこと。
そのため、すでに親が施設に入っている知人や友人に意見を聞いたり、耳寄りな施設の情報があれば、夫婦で確かめに出かけるなど、施設探しに奔走されており、
最終的に、お姉さん・お兄さん(ともに一般人)とも随分話し合って行き着いた結果が、介護施設への入所だったそうで、
北大路さんの知人は、
両親が少しずつ老いていく姿を目の当たりにして、北大路さんは相当苦しんでいました。だからこそ両親の思いを尊重して、2人が安心して暮らせる環境を見つけるために東奔西走していた。
信頼できる介護士を見つけ出して自宅に来てもらう、安心できる施設を探すなど、多くの選択肢を夫婦で検討したようです。
と、語っておられるのです。
反論しなかった理由は?
ちなみに、北大路さんが、当初、週刊誌の記事に反論しなかったのは、
(実に悲しい情けない出来事に)あまりにも腹が立ったから
だったそうで、
施設の方にも迷惑をかけてしまったことに、
もし(当時)“旗本退屈男”をやっていたら、何人か斬りに行っていたかもしれない
と、当時の心境を明かされたのでした。
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北大路さん(左)とお父さんの市川右太衛門さん。(右)