2015年、74歳にして大学に合格し、以降、大学生として勉学に励まれていた、萩本欽一(はぎもと きんいち)さんですが、2019年5月に大学を自主退学されています。一体、萩本さんに何があったのでしょうか。

「萩本欽一とビートたけしの関係は?昔は敵意むき出しだった?」からの続き

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74歳で大学に合格

萩本さんは、2015年、社会人入試で、駒澤大学仏教学部に合格すると、同年4月から駒沢大学に通われています。


大学の入学式で「欽ちゃん走り」のポーズをとる萩本さん。

もともとは、自身の認知症対策のために勉強を始めたことがきっかけだったそうですが、次第に勉強の面白さに目覚め、その中でも特に興味を持った仏教を学ぼうと、駒沢大学仏教学部に入られたそうで、

年齢のハンデはあったものの、1年生の時点では、欠席日数ゼロ、成績はほぼ「S」評価と、優秀な学生として有名だったそうです。

(テストの点数と評価は、S:100~90、A:90~80、B:80~70、C:70~60、D:60以下(不合格))

また、当時、すでに74歳だった萩本さんが、4年制の大学に通おうとするバイタリティは、「理想のセカンドライフ」「第二の青春」として、大きな話題となったのでした。


学生たちは萩本さんとの記念写真を次々とSNSでアップしました。

大学中退の理由は?

しかし、2019年6月6日、萩本さんが、4年間通っていた駒沢大学を5月に自主退学していたことが明らかとなると、

萩本さんご本人も、自身が連載を持つ「週刊文春」で、

お笑いの世界に戻ろうとしても、すぐには自分の頭が切り替わらなくなっていると痛感した

自分が全力で笑いに取り組める時間はそう長くはなく焦りを感じた

と、退学の理由について、明かされたのでした。

実は、萩本さんは、2019年3月の時点で、卒業可能だったにもかかわらず、

大学が楽しいもんで、もっといたくなっちゃって単位を取らなかった

と、「スポーツニッポン」のインタビューに答えており、「大学院入試」も視野に入れているのではと噂されていたのですが、この退学発表は、そのインタビューからたった3ヶ月後の出来事で、周囲も驚きを隠せず、

ある芸能記者は、萩本さんの退学理由について、

欽ちゃんが退学を決意した理由ですが、本人が話すように体力的な面が強いと思われます。駒澤大学の卒論はそこまで厳しいわけではないですが、4年間の講義の総決算となるため、後期高齢者で芸人の仕事もある欽ちゃんにはやはりハードだったと思われます。

また、本業の芸人業も数年前に比べて需要が高まっている。2017年にスタートしたNHKBSプレミアムの「欽ちゃんのアドリブで笑(ショー)」は業界人気も高く、新しい代表作と言ってもいい番組になりました。

欽ちゃんはプライドも高く、野心家なので、体が動くうちにもう一度、テレビ界にカムバックしたいという気持ちが強いのかもしれません。

と、明かされていました。

ちなみに、この「欽ちゃんのアドリブで笑(ショー)」の公式ツイッターは、不定期ではあるものの、萩本さん自身が更新されているそうで、萩本さんが大学を正式に退学したと思われる5月31日には、

みんな、久しぶり。今日からツイッター開始。

と、これからタレントとして活動していく意思表示のようなメッセージがツイートされていたそうです。

80歳までお笑いに専念

そんな萩本さんですが、2019年6月11日、ラジオ番組「東貴博と山根千佳のラジオビバリー昼ズ」に出演された際、

東さんに、

毎日通っていましたよね?

と、話を振られると、

毎日通っていた。1日も休んでないんですよ。

と、大学では勉強に集中して取り組んでいたことから、その合間にお笑いの仕事が入ることが、

すごく邪魔だと思った

と、感じていたことを明かされています。

ただ、あるファンから

昔、欽ちゃんに腹が痛くなるほど笑わせてもらいました。

と、言われ、最近は腹が痛くなるほど笑わせてないなと思ったそうで、

80歳になるともう動けないから、あと2年、お笑いを一生懸命やろうって

と、大学を中退した理由も明かされています。

ちなみに、自主退学を発表した後、ツイッターには、

欽ちゃんらしいね

との、コメントがあったそうで、

萩本さんは、

そうでしょ? 欽ちゃんらしくない? 大学中退。

と、嬉しそうに話されていたそうです。

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別の大学入学も視野?

また、萩本さんは、別のインタビューでは、

年を取ればとるほど、いい笑いはできなくなる。だから、あと2年ぐらいは笑いをとことんやろうと思って。いま、腹を抱えて笑えるほどのテレビ番組を作るのは難しい。

でも、約50年前、コント55号(故・坂上二郎さんとのお笑いコンビ)のときのぼくは、そんな番組が作れていた。いまでも、二郎さんがいたらできると思うんだけど、もういないから、ぼくの“相方”を育てるために、80歳までの2年を使おうと。

と、明かしつつも、

ただ、仏教の授業で“まっとうな人間”になることを学んでいる最中に、“笑いを作れ”と言われても、なかなか頭が切り替えられず、アイデアも湧いてこない。それで、いちど大学はお休みしよう、となったの。

これじゃあ、自分がこれまで愛してきた業界に失礼だな、と思って。でも、大学は“趣味”としてほんとうに楽しかったから、「80歳まで笑いの世界に戻るから、大学の進退は80歳になってから考えさせてくれ」と大学の事務職の方に相談したら、「休学費を払うか、退学するかいま決めてください」と言われてやむをえず……。

次はまた、ほかの大学でも受けようかしら。2年後に行くかどうかはわからないけれど、日本には大学がたくさんあるし、どこに行こうか考える楽しみが増えちゃったよ。

と、再び大学に戻ることも考えておられるご様子でした。

「萩本欽一が開運本を出版!運の法則とは?共演者も運で採用してた?」に続く

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