まだ、駆け出しの頃に澄子さんと知り合うと、それ以来、一途に澄子さんを想い、自身のブレイク後、結婚された、萩本欽一(はぎもと きんいち)さんですが、そんな萩本さんと澄子さんの関係は、かなり特殊なものだったようです。
「萩本欽一の嫁の画像!馴れ初めは?ストリッパーだった?」からの続き
子ども誕生も妻の助言で仕事に没頭
萩本さんによると、結婚後、3人の息子さんが誕生し、まだお子さんが小さかった頃には、「家族を顧みない旦那」と言われるのが嫌で、どんなに忙しくても、日曜日だけは休みを取って、子どもを連れて遊びに行っていたそうです。
ただ、澄子さんが、
あなたが無理して楽しそうにしているのはバレバレだし、そういう付き合いをすると、子どもたちがかわいそうだから、やめたほうがいい。そんなことなら、仕事を思いっきりやれば。
と、言ってくれたことから、
それ以来、萩本さんは、子どものことは澄子さんに任せて、仕事に没頭できたそうで、
お母さんはよく子どもたちと計画して夏休みに旅行に行っていたんだけど、たまたま休みが重なったときに「ぼくも行く」と言うと、「つまんないから来るな!」と言われた(苦笑)。
旅先にぼくが来ると、有名人一家として見栄を張るから、彼女たちで立てていた計画が台無しになるみたい。でも、子どもたちはそんなお母さんの愛情をずっと受けていたから、いまでは彼らが病気がちな彼女の面倒をしっかり見てくれていますよ。
ぼくはいつも子どもたちに、「欽ちゃんが死んだら、3兄弟への遺産の配分は、お母さんをどれだけ大事にしたかで変わってくるからね」と言っています(笑)
と、語っておられます。
口出ししない妻
そんな澄子さんに対し、萩本さんは、交際中も結婚してからもデートをしたことがなく、結婚指輪も渡していないそうですが、澄子さんは、萩本さんに多くのことを求めず、語らない人だったそうで、
萩本さんが、レギュラー番組をやめた時も、野球チーム「ゴールデンゴールズ」の監督に就任した時も、大学受験した時も、
「やめときなさい」とも言われなければ、「がんばって」と直接応援されたこともなく、とにかく、口を出さない、邪魔をしない、を徹底し、
萩本さんの舞台を内緒で観に来て、楽屋に顔を出してくれたことがあったそうですが、その時でさえも、
マネージャーさんに呼び止められたから、そのまま帰るのも失礼だから来ただけで、なんの用事もないわよ
と、すぐに帰って行ったそうで、妻らしい言葉をかけてくれたことは、一度もなかったのだそうです。
妻への想い
ただ、そんな澄子も、2018年に入院され、萩本さんがお見舞いに小田原のさつま揚げを持って行ったところ、
ありがとう
と、初めて言ってくれたそうで、
萩本さんは、それが、あまりにもうれしかったことから、またお見舞いに行かれると、
今度は、
本当にありがとう
と、言ってくれたそうで、
萩本さんは、そんな澄子さんへの思いを、
半年ぐらい前に、家で珍しく2人きりだったことがあって。それでお母さんに、「欽ちゃんのどこが好きで一緒になったの?」と聞いてみた。そしたら「好き?」って、すごくイヤそうな顔で言われて(苦笑)。
ただ、彼女はしばらく考えて「“好き”ではないわね。ただ、ずっと“ファン”だった」って。そのときに、彼女のこれまでのスタンスが全部わかったような気がした。
お母さんは、ぼくの一番のファンとして、“たくさんいるファンの人たちを邪魔したらいけない”という人生を送ってきたんだな、と。ぼくがどんどん仕事をして、みんなに喜ばれて、それを見て何も言わずにそっとしておくことが、ぼくにとってベストだと思っていたんじゃないかな。
「ぼくが死んだら“欽ちゃん記念碑”を作って、みんなが遊びに来られるような、テーマパーク風のお墓にしたい」と話したことがあったの。
今まで○○したい、と話すと「好きなようにすれば」と言われていたけど、そのときだけは、ジーッとぼくの顔を見て「あんた、死んだ後のことまで夢見るのね」と言ってきた。
そして、「あんたの最後の夢だけは、私はどかしておいて」って(笑)。ずっとぼくの夢物語を応援してきてくれたお母さんが、最後の夢にはついていかないとハッキリ言った。
「いままで言いたいことはいっぱいあったのよ。でもそれを言うと、あなたの夢が壊れるから言わなかったの」。そんな意思が伝わってきたよ。実際、お母さんはぼくと2人で入るお墓を買っていたみたいなんだけど、もうそれは手放して、1人で入れるようなところに買い換えちゃったみたい。でも、お母さんと出会えたぼくは、つくづく幸せ者だなぁ。
と、明かされています。
最後に、萩本さんは
理想の人生を歩む上で、これほどピッタリの人はいなかった
と、語っておられるのですが、澄子さんと出会えたことが、萩本さんにとって最強の運だったのかもしれませんね。
さて、いかがでしたでしょうか。
萩本さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?本名は?
- 父がカメラの仕事で大金持ちに
- 裕福な少年時代を過ごす
- 小中学時代は恥ずかしがり屋で人付き合いが大嫌いだった
- 父親には母親公認の愛人が
- 箱入り娘で一切家事をしなかった母親
- 母親から父親は立派だと言い聞かされて育つ
- 父親が事業に失敗して失踪
- 借金苦で住まいを転々とし最後は夜逃げ
- 萩本家「解散」
- 借金苦の母親に家を建てるため芸能人を目指す
- 中学2年の先生との出会いがコメディアンへの扉を開く
- 浅草松竹演芸場で修行するつもりが・・・
- デン助への弟子入りを諦め東洋劇場に入団
- 「東洋劇場」入団3ヶ月でクビを宣言される
- 「はい!」でクビが撤回?
- 地方巡業で腕を磨く
- 坂上二郎との出会いは最悪だった
- 坂上二郎と仲直りせぬまま「フランス座」を去る
- 初TVCMで19回連続NGし自殺を図る
- 熱海で成功するも・・・
- 坂上二郎から運命の電話
- 坂上二郎から口説かれる
- コンビ名「コント55号」は他人が適当に?
- ようやく坂上二郎を正式な相方と認める
- テレビ局の注意を無視した動き回るコントでブレイク
- 「コント55号」が大ブレイク
- 「コント55号」活動休止
- 「欽ドン!」
- 「オールスター家族対抗歌合戦」
- 「視聴率100%男」と称される
- 人気絶頂期に全ての番組を降板
- 映画「欽ちゃんのシネマジャック」を制作するも・・・
- 社会人野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」を結成
- 明石家さんまとの関係は?
- タモリとの関係は?
- 「笑っていいとも!」出演を断り続けていた理由とは?
- ビートたけしとたけし軍団が萩本欽一に敵意むき出し
- 萩本欽一のビートたけしへの想い
- ビートたけしは萩本欽一といかりや長介を引きずり降ろすことだけ考えていた
- ビートたけしが聖火リレーの萩本欽一を非難
- 74歳で大学に合格
- 大学中退の理由は?
- 80歳までお笑いに専念
- 別の大学入学も視野?
- 運がよくなる方法を伝授?
- 運を招くにはバランスが重要?
- 不幸な人は運が溜まっている?
- 強運の持ち主を採用
- 「運」にまつわる名言
- 「欽ちゃんのアドリブで笑」に香取慎吾が出演
- 香取慎吾とツイッターのやりとり
- 香取慎吾を後継者に指名?
- 嫁は元ストリッパー
- 再三プロポーズするも断られ続けていた
- 再会後、結婚
- 嫁との馴れ初めを公表
- 子ども誕生も妻の助言で仕事に没頭
- 口出ししない妻
- 妻への想い
について、まとめてみました。
80歳間近とは思えないほど、バイタリティにあふれている萩本さん。そんな欽ちゃんからはまだまだ目が離せません!!
https://www.youtube.com/watch?v=GSFtPflyA5o