NHKに入社して15年、仕事で忙しい毎日の中、ふと、自分の仕事や生き方に迷い、もっと演技を勉強しようと、「文学座」の研究生になるほか、舞台に出演するようになった、黒柳徹子(くろやなぎ てつこ)さんですが、ついに、演技の勉強のため、ニューヨークに旅立ちます。

「黒柳徹子の若い頃は文学座研究生だった!」からの続き

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ニューヨークでの生活

黒柳さんは、帝国劇場の舞台「スカーレット」に出演中、作曲家のハロルド・ローム夫妻に誘われて、1971年9月、38歳の時、ニューヨーク留学へと出発すると、

ニューヨークでは、ローム夫妻が身元引受人になってくれるほか、住まいとして、セントラルパークの西隣になるストゥーディオまで用意してくれたそうで、


ニューヨーク留学時代の黒柳さん。(黒柳さんは、部屋の一角にゴザを敷いて、そこを「松の間」と名付けていたそうです)

やがて、黒柳さんは、そんな、ローム夫人のフローレンスさんのことを、「ニューヨークのお母さん」と呼ぶようになったそうです。

初めての一人暮らしにショックを受ける

そんな黒柳さんは、ニューヨーク生活において、たったひとつだけ、

朝は、絶対にインスタントじゃないコーヒーを淹れて飲む!

と心に決めていたそうですが、

いざ、ニューヨークで一人暮らしを始めてみると、朝、出かける前にむいたリンゴの皮が、家に戻った時、ひからびたままキッチンのテーブルの上に残っていることに、

どうして誰も片付けてくれないの?

と、一瞬、愕然。

しかし、しばらくて、

一人暮らしってこういうことか

と気づき、

そんな新しい生活は、

汽車が本線レールからちょっと外れて、引き込み線に入るのだ

と、考るようになったそうで、

黒柳さんは、後に、

引き込み線にじーっと止まっている汽車は、時に寂しげに見えるし、レールを走ってる汽車からすれば、置いてきぼりを食っているように思えるかもしれない。

でも、それが寂しかったり心細かったりしても、急いで走っているときには気づかなかった景色を発見したりできるかもしれない。新しいことが起こって、自分なりに居心地よく過ごせるかもしれないのです。

と、語っておられます。


ニューヨーク留学時代の黒柳さん。

「メリー・ターサイ演劇スタジオ」で演技を学ぶ

ところで、黒柳さんは、ニューヨークに渡ると決まった時に、舞台「スカーレット」の演出家・ジョー・レイトンさんの妻エブリンさん(元女優)から、

私の先生を紹介するわ! いい演劇スタジオなの!

と言って、週に3回、「メリー・ターサイ演劇スタジオ」に通う段取りをつけてもらっていたそうで、ニューヨークでは、「メリー・ターサイ演劇スタジオ」に通われているのですが、

(黒柳さんは、スタジオが開設されて以来、初の東洋人だったそうです)

黒柳さんは、はじめて、メリー・ターサイ先生がプロの俳優にレッスンをつけているのを見て、

先生は、黒い洋服しか着なかった。いつも同じ服で、ストッキングも、靴も、オーバーコートもすべて黒。細い銀の首飾りと腕輪を数え切れないほど身につけていて、先生が動くと、シャラシャラと静かな音がしました。年は……70歳ぐらいじゃなかったかしら。

私は、そのとき、つくづくアメリカが羨ましいと思いました。だって、プロになっても、まだ教えてもらえるんですから。当時、同じクラスの生徒には、60歳のブロードウェイのトップスターもいました。60歳になっても、まだ習いにいける先生がいるなんて!

と、感銘を受けたそうです。

また、先生は、

俳優というのは、気の遠くなるほどの想像力を持っていなくてはならない

俳優はみんな嘘つきです!

と、一つの役柄について、どれだけ想像力を働かせることができるかをとても重視していたそうですが、

実際、先生自身が、人生に起こるいろいろなことを知っていたため、質問に対する答えがとにかく明確だったそうで、

例えば、ある女優が、チェーホフの「三人姉妹」を演じていた際に、

ああモスクワに帰りたい

と、セリフを言うと、

あなた、今窓の外を見ていたけど、窓の外には何があったの?

と、その女優に質問。

でも、その女優が何も答えられずにいると、

あなたが今、何も考えないでセリフを言ったこと、私ははっきりわかりました。自分の家に帰りたいのなら、誰だってその町や家のことを思い出すでしょう?

俳優は嘘つきなの。きちんとした裏付けがある上で言葉を発しないのならば、セリフなんて空っぽよ。セリフをそのまま言っちゃダメ。

あなたの中に、風景や思い出が存在していなきゃダメ。すべてのセリフにきちんとイメージを作りなさい。

と、諭したそうで、

それ以来、黒柳さんは、役を演じる時には、役作りとして、できるだけ資料に目を通すほか、ビデオを観るなど、演じる人の人生、生きてきた環境など、隅々まで想像するようになったのだそうです。

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女優を続けていくことへの迷いが吹っ切れる

そんなある日、黒柳さんは、モノローグ(独白)のレッスンで、アメリカの有名な戯曲「わが町」の主人公・エミリーの、

私、気づいてなかったの。時がこんなに早く過ぎていくなんて。お互いの顔を見合わす暇もないくらい。さようなら、ママのひまわりも、私の栗の木も、さようなら、私の小さな町、なにもかもが、なつかしい……

というセリフを、先生から、

セリフを言わなくていいから、今のセリフの綴りをABCDと、アルファベットで言ってみて。感情だけはきちんと込めてね

と、指示されます。

(これは、ロシアのスタニスラフスキーという俳優兼演出家が編み出した、演劇の勉強法の一つなのだそうです)

そこで、黒柳さんは、エミリーの英語のセリフを、ABCのアルファベットだけで追っていったのですが、エミリーが「本当の幸せとは何か」を気づいた時の感情を伝えようと必死で、そのモノローグをアルファベットで言い終わると・・・

なんと、そこにいたみんなが泣いており、先生が、

俳優というのは、セリフを伝えるのに一生懸命になるあまり、感情の動きを表現し切れないことがある。本当に感情を表現できたら、人をこれだけ感動させられるのよ、テツコ!

と、褒めてくれたそうで、

このまま女優を続けていいのかと、密かに迷っていた黒柳さんの気持ちも、徐々に吹っ切れていったのだそうです。

「黒柳徹子がたまねぎ頭の理由は?すっぴんやロングのセンター分け画像も!」に続く

ニューヨーク留学時代の黒柳さん。

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