1950年、意図せず、舞台「キティ颱風」で初舞台を踏むと、以降、舞台を中心に、数多くの映画、テレビドラマにも出演するほか、人気アニメ「ムーミン」では主人公のムーミンの声を務めるなど、様々な分野で活躍した、岸田今日子(きしだ きょうこ)さん。
今回は、そんな岸田今日子さんの若い頃からの活躍や経歴を、デビューから時系列でまとめてみました。
「岸田今日子の生い立ちは?12歳で母親が死去!18歳で文学座付属養成所に入所!」からの続き
岸田今日子は10代の時に意図せず「キティ颱風」で看板女優・杉村春子の娘役に抜擢されて初舞台を踏んでいた
1949年、18歳の時、高校卒業と同時に、舞台美術家(裏方)見習いとして、文学座付属演技研究所に入所し、研修生となった岸田今日子さんですが、
1950年の卒業時、裏方志望を含めた全員参加のオーディションが開かれると、見事、舞台「キティ颱風」で、「文学座」の看板女優・杉村春子さんの娘役に抜擢されたそうで、意図せず、舞台デビューを果たしたそうです。
とはいえ、岸田今日子さんは、この舞台での稽古が楽しくてたまらず、演じることの楽しさに目覚めたそうで、この時、はっきりと、女優として生きていくことを決意したのだそうです。
岸田今日子は20代の時に「狐憑(こひょう)」で正式に舞台デビューするほか、「にごりえ」の端役で映画デビューもしていた
22歳の時に「狐憑(こひょう)」で正式に舞台デビュー
ただ、実は、ここでも、お父さんには出演を猛反対されていたそうで、演出家の長岡照子さんに説得してもらい、「(女優になるつもりはなく)1回だけ」という約束で、許してもらったそうで、
(岸田今日子さんは、これまで、大会などで一度も賞をもらったことがなく、褒められたことすらなかったそうで、「キティ颱風」のオーディションで選ばれた際には嬉しくてたまらず、絶対に出演したかったそうです)
その後も、お父さんは、このままずるずると女優の道に進むことを許してくれず、本気でやるのなら少なくとも3年はパリで勉強するように言われたのだそうです。
こうして、岸田今日子さんは、一旦、「文学座」を離れて、東大仏文科に聴講生として通うなど、本気でフランス語の勉強を始めたそうですが・・・
やがて、お父さんが結核にかかってしまい、フランス留学は断念。
結局、1952年、22歳の時、再び「文学座」に入れてもらうと、晴れて、「狐憑(こひょう)」で正式に舞台デビューしたのだそうです。
(お父さんは、1954年に他界されています)
23歳の時に「にごりえ」の端役で映画デビュー
そして、1953年、23歳の時には、「にごりえ」の端役で映画デビューも果たすと、以降、岸田今日子さんは、舞台を中心に、映画、テレビドラマ、声優、と幅広く活動したのでした。
(「にごりえ」では、まだ、「文学座」の新人だったため、ノンクレジットだったそうです)
「にごりえ」より。岸田今日子さん(中央)、久我美子さん(右)。
岸田今日子が30代の時は舞台「サロメ」や映画「破壊」「砂の女」で主演するほか、アニメ「ムーミン」でムーミンの声優も
30歳の時に三島由紀夫演出の「サロメ」で主人公のサロメ役
そんな岸田今日子さんは、1960年、30歳の時には、三島由紀夫さん演出の「サロメ」で主人公のサロメ役に抜擢されています。
舞台美術見習いとして「文学座」に入所するも、研修生全員が参加したオーディションで、見事、看板女優・杉村春子さんの娘役に抜擢されると、そうそうたる俳優たちと稽古をしたことで、お芝居の楽しさに目覚められた、岸田今日子(きしだ …
「サロメ」を伝える当時の新聞記事
32歳の時に「陽気な幽霊」「バイオリンを持つ裸婦」「黒の悲劇」などの大作で主演
そして、1962年、32歳の時には、
- 「陽気な幽霊」
- 「バイオリンを持つ裸婦」
- 「黒の悲劇」
などの大作で次々と主演を務め、次代の新劇界を担う新進女優として、注目を集めたのでした。
32歳の時に映画「破戒」で「毎日映画コンクール助演女優賞」を受賞
また、岸田今日子さんは、映画でも、1962年、32歳の時には、「破戒」で「毎日映画コンクール助演女優賞」を受賞しています。
「破戒」より。岸田今日子さんと市川雷蔵さん。
34歳の時に「砂の女」で実力派女優としての地位を確立
また、1964年、34歳の時には、安部公房さんの同名小説を映画化した「砂の女」で、昆虫採集に来た男を砂穴の家に引きずり込む未亡人を怪演して、「ブルーリボン助演女優賞」を受賞し、岸田今日子さんは、実力派女優としての地位を確固たるものにしたのでした。
「砂の女」より。岡田英次さんと岸田今日子さん。
39歳、42歳の時にアニメ「ムーミン」で主人公・ムーミントロール役
そんな岸田今日子さんは、女優活動のほか、1969年度版と1972年度版のアニメ「ムーミン」では、主人公・ムーミントロールの声も務めています。
その独特の風貌を活かし、ミステリアスな役、悪女役、純真な役など、悲喜劇問わず幅広い役を演じ、個性派女優として活躍された、岸田今日子(きしだ きょうこ)さんですが、女優活動以外にも、「ムーミン」の声優や、エッセイ・童話の翻 …
岸田今日子が40代の時には「マクベス」でヒロイン(マクベス夫人役)
岸田今日子さんは、1963年、43歳の時には、「文学座」幹部の運営に限界を感じていた、芥川比呂志さん、仲谷昇さん、小池朝雄さん、神山繁さん、山崎努さんとともに、「文学座」を脱退すると、
「劇団 雲」の結成に参加し、1966年、36歳の時には、「じゃじゃ馬ならし」、1973年、43歳の時には、「マクベス」などの翻訳劇でヒロイン(マクベス夫人)を演じています。
「マクベス」より。神山繁さんと岸田今日子さん。
岸田今日子が50代の時には「欲望という名の電車」でヒロイン(ブランチ・デュボア役)
そして、1975年、45歳の時には、「劇団 雲」も解散し、芥川比呂志さん、仲谷昇さん、橋爪功さんらと「演劇集団 円」の設立に参加すると、1989年、59歳の時には、「欲望という名の電車」でも、ヒロイン(ブランチ・デュボア役)を演じています。
また、その一方で、別役実さん、太田省吾さん、清水邦夫さん、つかこうへいさん、平田オリザさんらの新作劇にも積極的に出演すると、その独特の風貌を活かした、ミステリアスで艶めかしい役、純真な役、悪女役など、悲喜劇問わず幅広い役を演じ、個性派女優として活躍したのでした。
1952年、「狐憑(こひょう)」で正式に舞台デビューすると、「サロメ」「陽気な幽霊」で注目を集め、「砂の女」で実力派女優としての地位を確立した、岸田今日子(きしだ きょうこ)さん。今回は、そんな岸田さんのデビューからの出 …
岸田今日子が60代の時には「妄想の森」で「日本エッセイスト・クラブ賞」を受賞
岸田今日子さんは、女優業のかたわら、エッセイや翻訳など執筆活動でも才能を発揮しており、1998年、68歳の時には、「妄想の森」で「日本エッセイスト・クラブ賞」を受賞しています。
岸田今日子は75歳の時に脳腫瘍による呼吸不全で死去
こうして多方面に渡って精力的に活動していた岸田今日子さんですが、2006年1月に激しい頭痛を訴え、病院で精密検査をしたところ、「脳腫瘍」であることが判明し、この時、すでに手術ができない状態だったそうで、
投薬治療が行われるも、その甲斐なく、同年(2006年)12月17日、「脳腫瘍」による呼吸不全のため、75歳で他界されたのでした。
「演劇集団 円」の個性派女優として、数多くの舞台、テレビドラマ、映画に出演されたほか、エッセイスト、童話作家としても才能を発揮された、岸田今日子(きしだ きょうこ)さん。今回は、そんな岸田さんのご家族と死因についてご紹介 …
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