1950年、「キティ台風」で初舞台を踏むと、以降、テレビドラマや映画にも活動の場場を広げるかたわら、チェーホフやT. ウイリアムズなど、翻訳劇の大役に挑むほか、劇作家のつかこうへいさんや清水邦夫さんなどの創作劇へも出演するなど、生涯に渡って、お芝居に情熱を燃やし続けた、岸田今日子(きしだ きょうこ)さん。
そんな岸田今日子さんは、幼い頃は、内気でいつもお母さんのスカートのすそにつかまり、しかもぼんやりとした少女だったそうですが、12歳の時にお母さんが他界すると、その日を境に、誰にも甘えず、精神的な自立をしたそうで、
高校卒業後の進路を考える時期には、舞台美術のようなことならできるかもしれないと、「文学座」付属養成所の募集に応募すると、見事、合格し、18歳の時に舞台美術家見習いとして、「文学座」の付属演技研究所に入所したといいます。
今回は、岸田今日子さんの、生い立ち(幼少期から「文学座付属養成所」入所まで)をご紹介します。
岸田今日子のプロフィール
岸田今日子さんは、1930年4月29日生まれ、
東京府豊多摩郡(現在の東京都杉並区)の出身、
身長156センチ、
血液型はA型、
学歴は、
立教高等女学校付属尋常小学校
⇒立教高等女学校
⇒飯田高等女学校(現在の長野県飯田風越高等学校)卒業
(戦時中、長野県飯田に疎開しており、疎開中に卒業)
⇒自由学園高校卒業
趣味は、読書、映画観賞、俳句、園芸、麻雀、オペラ鑑賞、
ちなみに、「岸田今日子」は本名で、
お父さんは、劇作家の岸田國士さん、
お母さんは、翻訳家の岸田秋子さん、
お姉さんは、詩人で童話作家の岸田衿子さん、
また、俳優の岸田森さんは従姉妹です。
数多くのテレビドラマや映画で不思議な存在感を放ってきた、岸田今日子(きしだ きょうこ)さんですが、お父さんは、有名な劇作家、お姉さんは児童文学家、従兄弟は特撮ものを中心に活躍した俳優でした。 Sponsored Link …
岸田今日子が幼い頃はぼんやりしていて何を考えているのか分からない少女だった
岸田今日子さんは、お父さんで劇作家の岸田國士さんと、お母さんで翻訳家の岸田秋子さんのもと、2人姉妹の次女として誕生すると、
幼い頃は、いつもお母さんのスカートのすそにつかまっているような内気な少女だったそうです。
また、いつもぼんやりとしていて、何を考えているのか分からないような少女だったそうです。
(岸田今日子さんは、小学2年生の時、先生が黒板に式をいくつか書いて、「はい、これは宿題です」と言った時、「宿題」の意味がわからず、(先生が黒板に書いた式を書き写さずに家に帰り)少し不思議に思いながらも、白紙のノートを提出したことがあったといいます)
劇作家の岸田國士さんを父親に、翻訳家の岸田秋子さんを母親に持ち、2人姉妹の次女として育った、岸田今日子(きしだ きょうこ)さんですが、幼い頃は、いつもぼんやりとして、何を考えているのか分からない、内気な子どもだったそうで …
岸田今日子は小学5年生の時に割り算が理解できたことが人生の転機となっていた?
そんな岸田今日子さんは、小学5年生まで、割り算ができなかったそうで、たまりかねた担任の先生が、岸田今日子さんのお母さんにそのことを伝えると、お母さんは唖然(あぜん)としながらも、岸田今日子さんに割り算を教えてくれたそうです。
(岸田今日子さんが通っていた小学校には通信簿がなかったため、両親は岸田今日子さんが割り算ができないことを知らなかったのだそうです)
すると、岸田今日子さんは、割り算が理解できるようになったそうで、このことをきっかけに勉強が理解できるようになったのだそうです。
また、岸田今日子さんは、割り算が理解できるようになったことをきっかけに、自宅の離れにあったお父さんの書斎にこもって本を読みふけるようになったそうで、
岸田今日子さんは、
割り算ができるようになったことが人生の転機だったかもしれない
と、思っているそうです。
岸田今日子は12歳の時に母親が死去したことをきっかけに精神的な自立をしていた
そんな中、岸田今日子さんが12歳の時には、お母さんが結核で他界されたそうですが、
それまでは片時もお母さんから離れていられないお母さんっ子だった岸田今日子さんも、この日を境に、
これからは一人で生きていかなければならない
と、誰にも甘えるということをしなくなったそうです。
岸田今日子は高校時代は美術と音楽が好きだった
その後、まもなくして太平洋戦争が始まると、岸田今日子さんは、お姉さんとともに長野県に疎開し、疎開先で飯田高等女学校に入学して卒業すると、1946年、16歳の時には、東京に戻り、自由学園高校に入学したそうですが、
(自由学園高校は、名前とは違い、スパルタ式の学校だったそうです)
自由学園高校は、美術と音楽は独特の教え方をしていたそうで、岸田今日子さんは、美術と音楽がとても好きになったそうです。
といっても、美術大学や音楽大学に行けるほどの能力はなく、進路を考える時期になると、進路を決めかねていたといいます。
岸田今日子は18歳の時に舞台美術要員として「文学座付属養成所」に入所していた
そんなある日のこと、家で、「文学座」付属養成所の募集チラシを見つけ、舞台美術のようなことならできるかもしれないと受験すると、見事、合格したそうで、
1949年、自由学園高校卒業と同時に、18歳の時、舞台美術家見習いとして、「文学座」の付属演技研究所に入所し、研修生となったのだそうです。
(当初、お父さんには、「文学座」への入所を反対されたそうですが、最終的には、「女優にならない」という約束で、入所を許してもらったそうです)
「【画像】岸田今日子の若い頃は?デビューからの経歴を時系列まとめ!」に続く
幼い頃は、いつもお母さんのスカートのすそをつかんでいるような、お母さん子で内気な子どもだった、岸田今日子(きしだ きょうこ)さんですが、12歳の時、お母さんが他界したことをきっかけに精神的自立を決意すると、高校卒業後は、 …
1950年、意図せず、舞台「キティ颱風」で初舞台を踏むと、以降、舞台を中心に、数多くの映画、テレビドラマにも出演するほか、人気アニメ「ムーミン」では主人公のムーミンの声を務めるなど、様々な分野で活躍した、岸田今日子(きし …