1970年に芸能界デビューすると、翌年の1971年には愛らしいルックスで雑誌のグラビアを飾り、たちまちアイドル的な人気を博した、五十嵐淳子(いがらし じゅんこ)さん。今回は、そんな五十嵐さんの芸能界入りの経緯や活躍などについてご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

五十嵐さんは、1952年9月20日生まれ、
埼玉県浦和市(現・さいたま市浦和区)岸町の出身、

身長162センチ、

血液型はA型、

学歴は、
川村中学校・高等学校中退(中高一貫校)

ちなみに、「五十嵐淳子」は本名(結婚後は中村淳子)で、旧芸名は「五十嵐じゅん」です。

銀座のクラブで働いていたところをスカウトされて芸能界入り

五十嵐さんは、電気店を営む両親のもと、長女として誕生すると、1970年、高校在学中、モデル・クラブ「ジャパンファッションモデルセンター」のオーディションを受けて合格し、モデルとして活動を開始。ただ、高校が芸能活動禁止だったため、高校を中退。

その後は、銀座の高級クラブ「西園寺」でホステスとして働き始めたそうで、さらに、その後、別の銀座のクラブ「徳大寺」で働いていたところをスカウトされて芸能界入りしたそうです。

ちなみに、高校の同級生には、元女優の海老名美どりさんがいるのですが、海老名さんによると、五十嵐さんは、開校以来一番の美人として評判だったそうです。

(当時、銀座のクラブは、芸能人の登竜門と言われ、芸能人の卵が大勢働いていたそうで、五十嵐さんのほかにも、(年代は様々ですが)風吹ジュンさん、高沢順子さん、樹れい子さん、かたせ梨乃さん、池上季実子さん、エルザさん、安西マリアさん、和由布子さんなどが、銀座のクラブの出身だと言われています)

グラビアで人気を博す

そんな五十嵐さんは、「五十嵐じゅん」名義で芸能活動を始めると、その愛らしい顔立ちでたちまち注目を集め、1971年には、雑誌のグラビアなどで引っ張りだことなり、アイドルとして人気を博します。


当時の五十嵐さん。

また、グラビアモデルのかたわら、1970年には、「二人の世界」でテレビドラマデビューすると、

NHK大河ドラマ「新・平家物語」」(1972)
「夏姿花の忠臣蔵」(1972)
「いま炎のとき」(1972)
「あしたに駈けろ!」(1972)
「地獄の辰捕物控」(1972)
「北都物語 – 絵梨子のとき -」(1975)


「北都物語 – 絵梨子のとき -」より。永井秀和さんと五十嵐さん。

と、立て続けにテレビドラマに出演しています。

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映画「阿寒に果つ」ではヌードも

そして、1975年には、渡辺淳一さんの同名連載小説を原作とする映画「阿寒に果つ」のヒロインに抜擢され、ヌードシーンを演じるなど、体当たりの演技を披露しているのですが、

実は、渡辺淳一さんの小説「阿寒に果つ」を読んで感銘した五十嵐さんが、

映画かテレビドラマになる時は私をヒロインにして欲しい

と、渡辺さんにファンレターを送っていたそうで、それがきっかけでヒロインに抜擢されたといいます。

(ただ、残念ながら、興行的には振るいませんでした)

「五十嵐淳子のデビューからの出演ドラマ映画CMを画像で!」に続く


「阿寒に果つ」より。五十嵐さんと三浦友和さん。

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