「新型コロナウイルス」と診断され、都内の病院で入院中だった、志村けん(しむら けん)さんですが、2020年3月29日の夜、静かに息を引き取りました。
「志村けんが新型コロナウイルスに感染!最新治療も治癒は免疫力頼みだった!」からの続き
死因は新型コロナウイルス肺炎
3月20日、都内の病院に搬送されると、23日の夜には、「新型コロナウイルス」と診断され、24日には、感染症の専門医がいる新宿内の病院に転院し、人工心肺装置をつけて治療中だった志村さんですが、
3月30日、志村さんの所属事務所「イザワオフィス」が、
事実関係として昨晩(3月29日)の午後11時10分、新型コロナウイルス肺炎ということで死亡を確認されたという報告がありました
と、志村さんが死去されたことを発表しました。
(3月21日からすでに意識がなかったことも合わせて発表されました)
兄夫婦のコメント
この発表に対する取材を、東京・東村山にある実家の前で取材に応じた、志村さんのお兄さん・志村知之さんは、
本当はね、もっと生きてほしかった
本当に残念。その一言…まだ70歳…
と、ハンカチで涙を拭われているのですが、
志村さんの兄・志村知之さん。
知之さんによると、悲報が届いたのは、3月29日の午後11時20分頃だったそうで、
連絡を受け、残念で、悲しくて悲しくて。ほとんど眠れませんでした。まさかコロナで亡くなるとは。
と、何度もハンカチで涙をぬぐい、
病院に行っても会えない。顔も見られていない
と、「新型コロナウイルス」に感染していたため、入院中、一度も面会できなかったばかりか、
感染症で亡くなると、死後も顔を見に会いに行くこともできない。火葬も病院が指定した所で行われ、骨上げにも私たちは一切立ち会うことはできない。
と、遺体との対面もできなかった無念さを明かされたのでした。
(遺体は病院から火葬場に直接移され、その後、遺骨だけが実家に届くことになっていることを明かされています)
また、知之さんの妻・サヨ子さんも、
コロナがこんなにひどいことになるとは。本人もさぞかし悔しいだろうと思う
本当なら盛大に送ってあげたいけど、こんなことってありますか…
と、無念さで声を震わせられたのでした。
仕事の意欲を語っていた
ちなみに、知之さんによると、志村さんは、毎年、おおみそかに、知之さんの自宅を訪れるなど、年に2回ほど食事を一緒にされていたそうで、
2019年のおおみそかに会った際には、
来年はNHK(朝ドラ)と映画(キネマの神様)があるから頑張らなきゃ
と、仕事への意欲を語っておられたそうです。
兄とは古希祝いが最後となっていた
また、知之さんが最後に志村さんに会ったのは、2月25日、麻布十番のいきつけの寿司屋で10人程で開かれた、志村さんの古希(2月20日で70歳)祝いの席だったそうで、
知之さんの長男・憲之さんが、志村さんに紫色のちゃんちゃんこを贈ると、
志村さんは、
え、これ着るの?
と、言いながらも着てくれ、
翌年、古希を迎えるサヨ子さんに、
来年はこれを回そう。お前の番だ
と、うれしそうに、おっしゃったといいます。
兄が早すぎる死を悼む
そして、最後に知之さんは、
高校を出てボーヤ(付き人)から始まって、一流の芸能人になった。一生懸命頑張ってきたから、ゆっくり休んで欲しい
と、志村さんを称えながらも、
(3兄弟の)一番下がこんなことになっちゃうとは。何で先にいっちゃったんだろう
と、最愛の弟のあまりにも早すぎる旅立ちに、しきりに涙を拭われたのでした。
ちなみに、「デイリー」の記者によると、知之さんは、次々と訪れる記者にも丁寧に対応し、繰り返し同じ質問が出ても、朗らかに志村さんへの思いを語られたそうで、
結局、2時間近くも対応されていたとのことですが、その温かい人柄とそっくりな顔立ちからも、志村さんの姿と重なったということでした。
「志村けんの遺族は遺体との対面も火葬の立ち会いも許されていなかった!」に続く
親族との古希祝いで、紫のちゃんちゃんこを着る志村さん。