由緒ある家系の政治記者を祖父に、NHKの有名アナウンサーを父に持ち、何不自由なく少年時代を過ごされた、石田純一(いしだ じゅんいち)さんですが、大学生の時、学生結婚すると、妊娠中の奥さんをおいて単身アメリカに行ってしまいます。
「石田純一の祖父は政治記者!父親はNHKの有名アナウンサー!」からの続き
生い立ちは?ぼんぼんだった?
NHKの有名アナウンサーだったお父さんのもと、2人姉弟の長男として誕生した石田さんは、お父さんの仕事の関係で、4歳までワシントンD.Cで過ごすと、
帰国後は、高級住宅街である目黒、そして、世田谷区に移り住まれるなど、お坊ちゃんとして、裕福な家庭で何不自由なく育ったそうです。
ちなみに、お父さんの武さんは、幼い石田さんをよく映画に連れて行き、映画の解説をするなど、優しいところがある反面、子どもたちが口答えをすると、語気を荒げ、しばしば手をあげることもあったそうで、
石田さんのお姉さん・桃子さんは、
子どもがちょっと曲がっていたら絶対困るっていう思いが強かった
と、明かされています。
21歳で学生結婚するも同居せぬまま離婚
そんなお父さんに対し、石田さんは反感を抱きながら成長したそうですが、1972年、早稲田大学商学部に入学されると、21歳の時、19歳だった星川まりさんという女性と学生結婚をされます。
石田さんは当時、東洋哲学に興味を持っていたそうですが、石田さんと同様、インドの精神世界に傾倒していた星川さんに惹かれ、星川さんが妊娠したことをきっかけに結婚されたのでした。
そんな石田さんはその頃、アメリカで演出家の勉強しようと留学を決意していたそうで、星川さんが妊娠中にもかかわらず、渡米。
星川さんはというと、産まれてくる子どもと、「(アメリカに)後で行くから」と言っていたそうですが、ついに、会いに来ることはなかったそうで、それから半年後、「彼氏ができた」と言われ、結局、一度も同居することなく、お二人は離婚されたのでした。
(この時誕生したお子さんがいしだ壱成さんです)
「あめりか物語」でテレビドラマデビューするも・・・
その後、石田さんは帰国されると、1978年には、大学を中退し、演劇集団「円」の研究生となられます。
そして、翌年の1979年には、「あめりか物語」で、テレビドラマデビューされるのですが・・・
活動はパッとしなかったのでした。
祖父がいしだ壱成の父親代わりに
ちなみに、奥さんが妊娠中にもかかわらず、アメリカ留学を決意した石田さんに対し、お父さんの武さんは、
生まれてくる子どものために安定した仕事を見つけろ
と激怒したそうです。
それでも、石田さんは聞く耳を持たず、アメリカに留学すると、アメリカ滞在中に離婚、帰国後は大学も中退されているのですが、
武さんは、自分の息子が妻と幼い子どもをおいてアメリカに行ってしまったこと、離婚したことで孫の壱成さんに両親のそろった家庭を与えられなかったことが心配でたまらず、
毎週のように壱成さんに会いに行っては、父親(石田さん)の代わりにいろいろなところに連れていき、少しでも父親のいない寂しさを埋めてあげられるようにと、幼い壱成さんを気遣っていたそうです。
(石田さんは、そのことを、後に壱成さんから聞いて初めて知ったそうです)