石田純一の若い頃はトレンディドラマでブレイク!


厳しかったお父さんに反発し、学生結婚 ⇒ 妊娠中の妻をおいてアメリカ単身留学 ⇒ アメリカ滞在中に離婚 ⇒ 帰国後は大学中退して俳優と、自由奔放に生きていた、石田純一(いしだ じゅんいち)さんですが、俳優として下積み中だった1980年、お父さんが突然、倒れてしまいます。

「石田純一の生い立ちは?ぼんぼん?21歳で学生結婚していた!」からの続き

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父親が脳卒中で倒れる

1978年には、演劇集団「円」の研究生となり、1979年には、「あめりか物語」でテレビドラマデビューするも、イマイチパッとしなかった石田さんは、その後も、俳優として芽が出ずにいたのですが、

そんな中、1980年、お父さんの武さん(当時54歳)が仕事中に「脳卒中」で倒れてしまい、命は取り留めるも、左半身に麻痺が残ってしまい、NHKを退職せざるを得なくなってしまいます。

入院中の父親のためゴールデンを断り、昼ドラ「夢追い旅行」に出演

それでも、石田さんは、お父さんに合わせる顔がなかったことから、お父さんとの間にできた溝を埋めることができずにいたそうですが、そんな中、ついに、石田さんに、ゴールデンタイムのドラマへの出演オファーが舞い込みます。

ただ、お父さんが入院している病院では、夜はテレビを見ることができなかったため、石田さんは、そのオファーを断り、同じ時期にオファーを受けていたお昼の連続ドラマ「夢追い旅行」に出演(準主役の岩船一郎役)することを選択したそうで、

お父さんは、病室で、画面に映る息子の姿をじっと観ていたといいます。


「夢追い旅行」より。石田さんと波乃久里子さん。

「抱きしめたい!」「想い出にかわるまで」などトレンディドラマでブレイク

こうして、お父さんのため、ゴールデンタイムのドラマへの出演オファーを断った石田さんですが、出演されたお昼の連続ドラマ「夢追い旅行」で一躍脚光を浴び、

翌1985年には、クイズ番組「TVプレイバック」に解答者として出演されると、さわやかなルックスや、軽快な語り口調で人気は急上昇。

その後も、

「抱きしめたい!」(1988)
「追いかけたいの!」(1988)
「君の瞳に恋してる!」(1989)
「想い出にかわるまで」(1990)


「抱きしめたい!」より。右は岩城滉一さん。


「君の瞳に恋してる!」より。


「想い出にかわるまで」より。石田さんと松下由樹さん。

と、立て続けにトレンディドラマに出演すると、その人気を不動のものにされたのでした。

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父親危篤も撮影を優先

そんな中、1989年、お父さんが危篤との知らせが。

ただ、石田さんは、

仕事に穴を開けたら父は喜ばない

と、お父さんの入院している病院が撮影現場の途中にあったにもかかわらず、病室には立ち寄らなかったそうで、

撮影後に駆けつけた時には、すでにお父さんは他界。お父さんの最期を看取ることはできなかったのでした。

ちなみに、お父さんの遺品の中からは、石田さんの駆け出しの頃のチラシや雑誌の記事の切り抜きが見つかったそうで、

石田さんは、

ケンカしても根っこではつながっていた

と、亡きお父さんを偲ばれたのでした。

「石田純一のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く

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