近年は、ダンディーなおじさまとして女性からも人気の、岩城滉一(いわき こういち)さんですが、実は、子供の頃はヤクザに憧れ、高校時代はバイクグループを結成されていました。今回は、そんな岩城さんの生い立ちから「クールス」結成までについてご紹介します。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
岩城さんは、1951年3月21日生まれ、
東京都のご出身、
身長175センチ、
血液型はA型、
学歴は、
中野区立本郷小学校
⇒中野区立第ニ中学校
⇒日本大学附属鶴ケ丘高校
⇒帝京大学中退
趣味は、ギター、ガーデニング、ゴルフ、バイク、クルマ、スカイダイビング、マリンスポーツ、ウェイクボード、スキューバダイビング、
特技は、手品、クレー射撃で、クレー射撃は国体クラスの腕前だそうです。
(2020年6月現在、クレー射撃場を経営されているそうです)
本名は?韓国人?
岩城さんは在日韓国人で、本名は「李 光一(イ・グォニル)」、「岩城滉一」は通り名だったそうですが、2017年4月5日、帰化して日本国籍を取得されたようです。
ちなみに、岩城さんは、自身が在日韓国人であることを隠さず、「クールス」時代には、同じ在日韓国人だった、ロックバンド「キャロル」のジョニー大倉さんとともに、
俺たち二人は在日だよ。だから何だってんだ。同じ人間じゃねーか、なめんなよ。
などと、マスコミや雑誌にすごんでいたそうです。
また、芸能界入りする際にも、事務所や映画会社に、自身が在日韓国人であることを公言されていたそうです。
幼い頃はヤクザに憧れていた
さて、岩城さんは、鉄工場を営むお父さんのもと、4人兄弟の3番目として誕生しているのですが、お父さんはとても怖い人で、一家はお父さんを中心に回っていたそうです。
そして、そんなお父さんが営む鉄工場には、ヤクザ風の人が多数出入りしていたそうですが、岩城さんは、小学生の頃には、ヤクザ風の男気のある人や刺青に憧れ、ヤクザになりたいと思われていたそうで、
中高生の頃には、ヤクザファッションである3つボタンのスーツを愛用し、他校を襲撃してはケンカをするような不良少年だったそうです。
ただ、大学に進学してからは、「男は金を持ってないと駄目だ」との考えから、バイクで原稿を運ぶアルバイトや水商売に励むなど真面目に働き、また、働くことが好きだったそうです。
舘ひろしとの出会い
そんな岩城さんは、高校時代には、両親に内緒でバイクの免許を取得するなど、バイクに乗ることにハマり、20代前半の時には、バイク好きの仲間と一緒にバイクチームを結成し、東京都内をバイクで乗り回していたそうですが、
そんなある日のこと、都内の飲食店で食事をしていると、別のバイクチームを組んでいた舘ひろしさんと鉢合わせしたそうで、一瞬、緊迫した空気が流れ、岩城さんが身構えたそうですが、
舘さんが、
あのバイク、きみたちの?
と、店の外に岩城さんらのバイクがずらっと並んでいるのを見ながら、話しかけたことがきっかけで、二人は、好きなバイクの話題で意気投合。
少数精鋭で面白いチームを作ろう
と、原宿・表参道を拠点に、舘さんをリーダー、岩城さんをサブリーダーとする、バイクチーム「クールス」を結成されたのだそうです。
「クールス」
ちなみに、元メンバーでミュージシャンの水口晴幸さんによると、「縁起の悪い日がいい」と、1974年12月13日の金曜日に(西洋では、キリストが十字架にかけられた13日の金曜日は不吉な日であるとされており、日本では、ホラー映画「13日の金曜日」(1980)の影響で、この考えが広まりました)東京・青山にあったハンバーガー店に集まり、
このチームはリーダー(舘)の独裁により運営される
と、書かれた血判状に、メンバー17人が、ナイフで右手中指に傷を入れて、血判を押し、チームが結成されたのだそうです。
(舘さんは、なんと、この時、バイクの免許をまだ持っておらず、無免許で運転していたそうで、岩城さんがそんな舘さんに免許を取るように勧め、岩城さんのバイクで二人乗りをして教習所に通い、舘さんは無事免許を取得されたそうです)
「クールス」が黒で統一していたのは舘ひろしの趣向
また、「クールス」のトレードマークといえば、「黒い革ジャンに黒いジーンズ、リーゼントヘア、黒のバイク」なのですが、このようなコンセプトを作ったのは、舘ひろしさんだったそうです。
舘さんは、高校時代、ラグビーをされていて(ラグビー部のキャプテンだったそうです)、ニュージーランドのラグビー代表「オールブラックス」のファンだったそうですが、そのことから、「オールブラックス」の黒いユニフォームを真似て、このスタイルで統一したのだそうです。
「岩城滉一は昔キャロル(矢沢永吉)の親衛隊クールスのサブリーダーだった!」に続く