早稲田大学と東京大学でアルバイトをしつつ、アルバイト仲間だった早稲田の初代落研会長と一緒に、漫才をしたり芝居を書くなど、熱心に演劇活動を続けていた、伊東四朗(いとう しろう)さんですが、ストリップ劇場に幕間の喜劇を観に通われていたところ、運命的な出会いが訪れます。

「伊東四朗は人相の悪さで就職試験がことごとく不合格だった!」からの続き

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喜劇役者・石井均に声をかけられる

早稲田大学と東京大学でアルバイトをしつつ、お芝居や歌舞伎をよく観に行かれていた伊東さんですが、同時に、新宿のストリップ劇場「フランス座」にも通われていたそうです。

といっても、踊り子のショーを観に行っていたわけではなく、渥美清さん、由利徹さん、石井均さんらが出演する、ストリップの合間の短い喜劇をいつも楽しみに観に行かれていたそうですが、

そんなある日のこと、いつものように観劇し終え、劇場を出ようと階段を降りていると、階上の楽屋のガラス窓が、突然ガラッと開き、石井均さんが出てきて目が合い、

よう、寄っていけ

と、声をかけられたそうで、

伊東さんは、それはもう躍り上がるほど喜んで楽屋に入れてもらうと、色々話をしたのだそうです。

(石井さんは、当時、コメディアンとして頭角を現し始めていた頃で、若手の注目株だったそうです)

劇団「笑う仲間」の舞台に端役で役者デビュー

実は、伊東さんは、いつも同じ客席で観劇していたことから、「あいつ、また来ている」と、舞台関係者の間で有名になっており、石井さんから声をかけられたそうですが、

このことがきっかけとなり、伊東さんは楽屋に入り浸るようになると、ある時、石井さんから、

今度、一座を旗揚げするから、そっちにも遊びに来るか

と誘われたそうで、もちろん、伊東さんは遊びに行くことに。

すると、今度は、

お前も(舞台に)出てみるか

と、誘われたそうで、

伊東さんは、1958年、21歳の時、石井さんを中心とする劇団「笑う仲間」で、
幕開けに、公衆便所からジッパーを上げながら出てきて、口笛を吹いて去っていく、セリフのない青年役で初舞台を踏まれたのでした。

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正社員を蹴って劇団「笑う仲間」に研究生として入団

ちなみに、たったそれだけの役だったにもかかわらず、伊東さんは、楽しくて楽しくて仕方なく、その後、石井さんからも、「この仕事、やってみるか」と誘われたそうで、

また、ちょうど、伊東さんも、

(早稲田大学の生協で)時給三十円で蓋を開けるだけの人生もどうかな

と、思うようになっていた時だったそうですが・・・

そんな折、アルバイト先の早稲田大学の生協から、保険も有給休暇もある正社員の話が舞い込んだそうで、

そこで人生について初めて悩んだんです。どうしようか、俺の人生、ここで変わるぞって。

と悩んだそうです。

しかし、結局、お芝居のほうに傾きかけた気持ちは抑えることができす、

悩んだ挙句に〝口笛〟の方をとっちゃった。

と、伊東さんは、石井さんの劇団「笑う仲間」に研究生として入団されたのでした。

「伊東四朗は昔三波伸介としてキャバレー回りをしていた!」に続く

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