夫・大伴昭さんの「認知症」がひどくなり、徘徊によるトラブルで何度も警察から連絡が来るようになったことから、一人で世話することに限界を感じ、デイサービスを利用するようになったという、芳村真理(よしむら まり)さんは、やがては、大伴さんを介護施設に入所させたそうですが、それでも、毎日のように面会に行き、最期の時までずっと寄り添ったといいます。

「芳村真理は夫・大伴昭の「認知症」による徘徊で疲れ切っていた!」からの続き

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夫・大伴昭は横浜の介護施設に入所させていた

夫・大伴昭さんの「認知症」がひどくなり、デイサービスを利用するようになったという芳村さんですが、その後、介護施設に入所させることにしたそうで、

ケアマネジャーと相談しながら、あちこちの介護施設を見学して回り、約2年かけて、大伴さん好みの介護施設をいくつかピックアップし、最終的に横浜にある施設に決定したそうです。

ちなみに、その施設は、まずはデイサービスで通った際、

女性スタッフが、

大伴のパパ、いらっしゃい

と、テレビの前のテーブルに週刊誌や新聞をいっぱい載せて、まるで会社の応接室のような雰囲気で迎えてくれたそうで、

芳村さんは、これを見て、ここなら夫もハッピーに過ごせるだろうと、この施設の庭付きの部屋を借り、そこで暮らしてもらうことに決めたのだそうです。

(その頃には、大伴さんは、もう、妻である芳村さんのことも、まったく分からなくなっていたそうです)

延命治療はしなかった

その後、施設には、芳村さんはもちろん、息子さんたちも度々訪れ、オシャレと会話を欠かさないように心がけていたそうですが、大伴さんの体力は次第に衰えていき、この横浜の施設で暮らすようになって半年ほど過ぎた頃(2018年11月)、別のフロアーにある医療病棟に移ることになったそうです。

そして、いよいよ、衰弱のため、自分で食事をすることができなくなり、医師から”胃ろう”をつけるかどうか聞かれたそうですが、芳村さんと息子さんたちは、悩んだ末、延命治療はせずに自然のままに任せるようにお願いしたのだそうです。

(それでも、大伴さんの病室は、毎日のように誰かが訪れていたことから、いつもにぎやかだったそうです)

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夫・大伴昭が他界後は一人暮らしも近所に息子と孫

そして、同年12月、「認知症」になる前に好きだったフランク・シナトラの音楽をかけながら、バニラアイスを食べさせると、大伴さんは、その後、子供たちや孫たちに囲まれ、「眠ったのかな?」と思うほど穏やかな表情で、スーッと息を引き取ったそうですが、

それからというのも、芳村さんは、目に入る景色のすべてに色がなくなったように感じるようになったそうで、何もやる気が出なくなってしまったそうです。

(最後は介護施設にお世話になったものの、10年近く自身で介護をし、その間どのような環境でどのような生活をしてもらうことが大伴さんにとってベストなのか、ということをずっと考えていたそうで、大伴さんが亡くなって、その必要がなくなり、それまでの張り詰めていた糸がプツンと切れてしまったように感じたのだそうです)

それでも、大伴さんとの50年に渡る結婚生活がとても楽しかったことから、その思い出に支えられ、一周忌を終えた頃には、再び新しいエネルギーが湧いてきて、それほど寂しいと思わなくなったそうで、

現在は、神奈川県茅ヶ崎にある自宅で一人暮らしをしているそうですが、近所に住む息子さんやお孫さんたちがしばしば泊りに来てくれる中、楽しく過ごしているとのことでした。

さて、いかがでしたでしょうか。

芳村真理さんの、

  • 年齢は?出身は?身長は?本名は?芸名の由来は?
  • 中学時代の疎開先での暮らしが原点
  • 地味な服しかない終戦直後に色のあるセーターを自作
  • 反骨精神で独自のファッションを貫いていた
  • 中学時代もこダサいブルマを勝手に作り直していた
  • 高校時代はストッキングの実演販売で有名デパートから引っ張りだこに
  • 高校卒業後はモデル事務所「FMG」に入っていた
  • モデル事務所に行くと勝手にヘアモデルにされていた
  • ヘアモデルとして引っ張りだこに
  • ファッションモデルでもブレイク
  • 芳村流オシャレになる方法とは
  • 「誰かがあなたを愛してる」でテレビドラマデビュー
  • 幼い頃からお芝居は苦手だった
  • 大島渚にスカウトされ「霧ある情事」で映画デビュー
  • 「俳優座」に合格するもサボってばかりだった
  • 一旦は女優業を辞めるのを踏みとどまっていた
  • 出演作品(テレビドラマ)
  • 出演作品(映画)
  • 映画「くノ一忍法」では体当たりの演技を披露していた
  • 「小川宏ショー」で司会者に抜擢される
  • 司会業に専念するためNHK大河ドラマの準主役のオファーも断っていた
  • 音楽番組「夜のヒットスタジオ」で人気司会者に
  • 出演者(歌手)にリラックスしてもらうため「ちゃん」付けで呼んでいた
  • 出演者(歌手)を応援する気持ちでいた
  • 出演者(若手歌手)をマハラジャ(ディスコ)に連れて行ったことも
  • シャネル、ヴェルサーチ、ヴァレンチノほかハイブランドの衣装を着用していた
  • ファッションはセルフプロデュースだった
  • ジバンシィ本人の前でドレスを後ろ前に着たことがあった
  • 中森明菜のファッションセンスを絶賛
  • 「夜のヒットスタジオ」での自身のファッションについて
  • 井上順と絶妙なコンビで「夜ヒット」の黄金時代を築く
  • 新体制が発足するも・・・
  • 井上順が「夜のヒットスタジオ」を降板
  • 井上順と共演NGの噂は本当か?
  • 「夜のヒットスタジオ」「料理天国」を降板し芸能活動もセミリタイア
  • 光GENJIが降板のきっかけだった
  • 芸能界セミリタイヤ後は「MORI MORIネットワーク」を設立
  • 最初の夫はミッキー・カーチス
  • 子供は息子を1人出産
  • 孫娘は女優の大判花矢
  • 再婚後の夫は「カルティエジャパン」の社長等を歴任した大伴昭
  • 夫・大伴昭の勧めで司会業を始めていた
  • 夫・大伴昭が全面的に仕事をサポートしてくれていた
  • 夫・大伴昭は典型的な昭和の日本男児で亭主関白だった
  • 「夜のヒットスタジオ」のオンエアが終わると飛ぶように家に帰っていた
  • 「料理天国」の料理を家に持ち帰っていた
  • 夫・大伴昭はしばしば自宅に大勢ゲストを招いてホームパーティーをしていた
  • 夫・大伴昭が「遺伝性の認知症」と診断される
  • 夫・大伴昭に家政婦と間違えられる
  • 家政婦と間違えられる度に外で3~4時間つぶして帰宅していた
  • 夫・大伴昭は急に怒り出して暴言を吐くことも
  • お手伝いさんになりきっていたこともあった
  • 夫・大伴昭の徘徊が始まる
  • 夫・大伴昭はあちこちでトラブルを起こしていた
  • 一人で世話をすることに限界を感じ始める
  • 夫・大伴昭を介護施設のデイサービスに通わせる
  • 夫・大伴昭は横浜の介護施設に入所させていた
  • 延命治療はしなかった
  • 夫・大伴昭が他界後は一人暮らしも近所に息子と孫

について、まとめてみました。

夫の両親が2人とも95歳過ぎまで長生きしたので、夫は100歳を超えるだろうと思っていたんです。それが89歳で亡くなってしまうなんて・・・。「ねえ、どうしてこんなに早く逝っちゃったの?」って。

いまだに、彼がこの世にいないという実感が湧きません。仕事柄、海外出張も多い人だったので、今でも遠い国に出かけたままのような気がして。

亡くなってから、時折、夫の夢を見るんですけど、夢の中でも「どこに出張に行っていたの?」と聞いてしまいます。ひとりで暮らす生活もかれこれ2年近く(2021年時点)になりますが、いまだに夫がどこかで生きているような感覚なんですよ。

と、語っていた芳村さん。

女性の社会進出が盛んになった現在こそ、バリバリのキャリアウーマンを続けながらも、ご主人と素晴らしい関係を築いてきた芳村さんの話、これからももっと聞かせてもらいたいものです。

「芳村真理の生い立ちは?中学時代から独自のファッションを貫いていた!」

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