憧れの歌舞伎役者にはなれないことを知って、女優になろうと決心し、母・富司純子さんのつてで、テレビドラマに出演するも、自分の姿と演技に愕然(がくぜん)とし、一旦、女優になることも忘れようとしていたという、寺島しのぶ(てらじま しのぶ)さんですが、高校3年生の時、女優の太地喜和子さんに文学座に入ることを勧められ、大学進学後、文学座の入所試験を受けると、見事合格したといいます。

「寺島しのぶは太地喜和子の言葉で女優になる決心をしていた!」からの続き

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文学座の入所試験ではハンドボールの倒れ込みを披露し見事合格していた

寺島さんは、文学座の入所試験を受けると、最後の試験科目では、審査員から、

はい、じゃ、自分をアピールするパフォーマンスをやってください

と、言われたそうですが、

審査員たちは、寺島さんが七代目尾上菊五郎の娘だということを知っており、寺島さんのパフォーマンスにはたいして期待しておらず、「菊五郎さんのお嬢さんだから、きれいな唄でも歌って、終わるんだろう」と思われているように感じたそうで、

その瞬間、何かが弾け、いきなり、その場に前傾姿勢でバターッツと倒れ込み、

これがハンドボールの倒れ込みです。ありがとうございました。失礼します!

と、言うと、

審査員たちが口をあんぐり開けているのが見え、

よっしゃあ!

と、手応えを感じたそうで、

結果、寺島さんは、見事、合格したのだそうです。

(文学座の入所試験を受けることは、家族の誰にも相談しなかったため、文学座に入りたいと言った時には、両親はびっくりしたそうですが、反対されることはなく、むしろ、お母さんは、「文学座」の中心女優だった、杉村春子さんを尊敬していたことから、「文学座なら」と喜んでくれたそうです)

文学座で芝居のおもしろさを覚える

こうして、1992年、文学座の研究生となった寺島さんは、太地喜和子さんに話を聞くまで、文学座や杉村春子さんについてまったく知らず、演劇に関しても何も知らなかったそうですが、

発声方法、腹式呼吸といった基礎的なことから、文学作品や脚本の読み方など、一から10まで教わるうちに、芝居というものが面白いと思えるようになってきたそうで、

昼は厚木にある大学へ行き、夜の6時から9時まで、信濃町にあった研究所に通うという忙しい毎日だったそうですが、一日一日が充実し、毎日が楽しく仕方がなかったそうです。

(文学座には、とにかく役者をやりたいという人、才能云々よりもハッタリだけは一人前という人、劇団を転々としている人など、同期生が個性的で、とても刺激的だったそうですが、そんな、みんなの共通点は、負けず嫌いだったことだそうです)

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文学座で60人中4人の正式な座員に昇格

ちなみに、文学座は、研究生、準座員と昇格していき、最後に、正式な座員になるそうですが、その間、一年ごとに査定があり、どんどんふるい落とされていくというシステムになっているそうで、

時には、ダブルキャストで同じ芝居をやらされ、二人のうちのどちらかが発表会で落とされるということもあったそうですが、寺島さんは、見事、正式な座員となったのだそうです。

(60人いた同期生のうち正式な座員となったのは寺島さんを含めたった4人だけだったそうです)

「寺島しのぶは蜷川幸雄に「屈折している」と言われていた!」に続く

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