「あしたのジョー」では、ラストシーンをどうするか悩んでいたという、ちばてつやさんですが、自身を投影していたという、ジョーと乾物屋の紀子とのデートシーンを、編集者に読み返すように言われ、閃(ひらめ)いたといいます。
「ちばてつやは「あしたのジョー」でジョーに自身の生き様を語らせていた!」からの続き
「あしたのジョー」ではラストシーンをどうするか悩んでいた
「あしたのジョー」では、ジョーと紀子のデートシーンで、自身を重ねて描いていたというちばさんですが、それから半年ほど経った頃、ラストシーンをどうしようかと悩んでいたそうです。
すると、担当編集者の吉田さんが「あしたのジョー」を全部読み返して、「この回(ジョーと紀子のデートシーン)を読んでください!」と言ってきたそうですが、ちばさんは、自分が描いた作品を基本的に読み返さないため、この時も断ったそうです。
(そもそも、このデートシーンのことは、すっかり忘れていたそうです)
ただ、いつまでたってもラストシーンが決まらなかったため、吉田さんがしつこく食い下がってきて、デートシーンにしおりを挟んだものをちばさんの部屋に置いていったのだそうです。
たった1回のジョーと紀子のデートシーンがラストシーンに繋がっていた
そうこうしているうちに締切が過ぎてしまい、いよいよ追い詰められたちばさんが、仕方なくあのデートシーンを読み返すと、
デートシーンの中の、
燃えカスなんか残りやしない
真っ白な灰だけだ
の、コマを見た瞬間、ふっとラストシーンが頭に浮かんだそうで、
ちばさんは、
改めてこのシーンを読んで、これは自分の考えだと気づくと同時に、ジョー自身が何を思っていたかを理解できたからこそ、あの真っ白に燃え尽きた姿が浮かんできたのです。あのとき、編集さんに提案してもらわなかったら、きっとあのラストシーンは生まれていないでしょう。
プロなら計算をするんでしょうけど、私はそういうタイプじゃないんだろうね。ジョーや段平、力石、紀子、葉子という人間たちの日記をつけているつもりで描いていたから。
人間群像だよね。ジョーを中心とした人間たちの生き様です。『コイツはどこへ行っちゃうんだろう』と思いながら、描いていたよ。梶原一騎さんもそうだったと思う。
キャラクターの設定はある程度決まっていたけど、最後がどうなるかは決めていなかった。そう思うと、たった一回のデートが『あしたのジョー』の大事な核になってくれるとはねえ。
と、語っています。
「あしたのジョー」の「乾物屋の紀子」や「サチ」はちばてつやのオリジナルキャラクターだった
ちなみに、「あしたのジョー」は、原作者・梶原一騎さんとのタッグでしたが、ちばさんが作ったオリジナルキャラクターも数多くいたそうで、「乾物屋の紀子」もそのうちの一人だったそうです。
というのも、梶原さんは骨太な作風を得意としていたため、紀子のような、いわゆる普通の女の子は出てこなかったそうで、ちばさんは、実家が乾物屋だったことから、子供の頃の風景をそのまま使い、紀子を登場させたのだそうです。
(ただ、ちばさんの家は、男ばかりの兄弟だったため、紀子のような女の子はいなかったそうですが)
また、梶原さんのシナリオでは、ドヤ街の住人だけで、乾物屋一家ほか、サチのようにジョーを慕う子供たちも指定されていなかったそうで、これらもちばさんのオリジナルキャラクターだったそうです。
ジョーとサチ。
「ドヤ街」のモデルは満洲から引き揚げ後、長く暮らした東京・墨田区の向島だった
また、「あしたのジョー」で描かれている「ドヤ街」は、ちばさんが満洲から引き揚げてきた後、長く暮らした墨田区の向島(むこうじま)がモデルになっているそうですが、
当時、橋の下、路地裏、公園の隅には、真っ昼間からお酒を飲んでいるおじさんがいたほか、隅田川は、ドブ川のように臭く、手足のもげた人形、新聞の切れ端、コンドームなどがよく流れていたそうです。
そして、向島の対岸には「山谷(さんや)」という、社会から取り残された人々が吹き溜まりのように集まって暮らす独特の地域があったのだそうです。
「ちばてつやのデビューからの漫画アニメ作品を画像で!」に続く