ジャズミュージシャンのデビッド・バークマンさんと結婚後も、仕事のため、ニューヨークと東京を行ったり来たりの生活を続けていた、中島唱子(なかじま しょうこ)さんですが、約10年の遠距離婚を経て、2011年、ようやくニューヨークに移り住まれます。そして・・・
「中島唱子の結婚は?ニューヨーク留学?渡る世間は鬼ばかり!」からの続き
遠距離婚
こうして、2002年、ジャズミュージシャンのデビッド・バークマンさんと4年もの遠距離恋愛を実らせ、結婚に至った中島さんですが、
結婚後もしばらく、仕事(「渡る世間は鬼ばかり」の撮影)のため、ニューヨークと日本を行き来する生活が続くと、葛藤の末、プロデューサーの石井ふく子さんに相談されます。
しかし、石井さんは、
それは家庭の問題だから、自分たちで解決して来なさい
と、取り合ってはくれなかったそうで、
結局は、ご主人のデビッドさんと話し合い、最終的にはデビッドさんに、
自分がピアノをやめてないのに、ショーコに芝居をやめさせるわけにいかない
と、日本へ送り出され、ニューヨークと日本を行き来する生活を続けられたのでした。
ニューヨークでの生活は?子どもは?
それから9年もの月日が流れ、2011年、「渡る世間は鬼ばかり」の最終シリーズが終わると、ついに、中島さんは、結婚後もほとんど別居暮らしだったデビッドさんと、今度こそは一緒に暮らしたいと思い、日本を引き上げることに。
そして、まず、お二人がされたのは、夫婦生活を充実させたいと、「結婚10周年記念 ニューヨークのアパート購入計画」の実行で、
数え切れないほどの物件を見て回り、マンハッタンから北へ車で30分の場所にある、1910年に建てられたアパートに一目惚れすると、即購入。
少しずつリノベーションしていくと、居心地の良い住まいとなったそうで、ニューヨークで家を購入することが夢だった中島さんは、涙が出そうになるほど嬉しかったと語られたのでした。
(ちなみに、お子さんはいらっしゃらないようです)
アンティークと食に強いこだわり
そんな中島さんのニューヨークでの生活ぶりが、2016年8月、バラエティ番組「世界の日本人妻は見た!SP」で紹介されているのですが、
番組によると、中島さんご夫婦は、前述のアパートで、浮世絵、古伊万里の食器、約120年前のフランス製のソファ、1860年~1930年代のフランスのホーロー食器メーカー「BB社」のキャニスターセットなど、アンティークの家具や食器等に囲まれて暮らされているとのこと。
中島さんとご主人のデビッド・バークマンさん。
また、中島さんは、食にも強いこだわりをお持ちで、ニューヨークで最も古いスーパーの一つである「フェアウェイ」(1993年オープン)に行き、冷蔵庫と同じ温度で管理された「ゴールドルーム」で熟成肉を購入されたりされているほか、健康に気を遣うデビッドさんのために手料理を振る舞われているそうですが、
その一方で、デビッドさんには内緒で、ニューヨークの肉料理店の食べ歩きをを楽しまれているとのことで、
2016年1月にオープンした「エンパイアステーキハウス」を訪れると、「ブラック&ブルー」(強火で短時間焼く事により肉汁を閉じ込める伝統の調理法)で調理したポーターハウスステーキを堪能。
さらには、2014年にオープンした「Beer&Buns」を訪れると、400gの神戸牛、120gのアメリカ産フォアグラ、ロシア産ベルーガキャビア、フランス産黒トリュフを加えた、「わがままバーガー」を注文。
いかにもアメリカンなボリュームは言うまでもなく、中島さんが大のお肉好きというのが伝わってきます♪
そのほか、中島さんは、コネチカット州で開かれるパイコンテストで、2年連続優勝するほどの腕前をお持ちだそうです♪
現在は日本で生活
ところで、中島さんは、2018年からは生活の拠点を日本に移されています。
あれだけ、ニューヨークライフを満喫されていたのに、一体何があったのでしょうか。
というのも、ニューヨークでの生活があまりにも幸せだったことから、その充実感の反動で、逆に何か物足りなくなり、心底お芝居がしたくなったというのです。
そんな折、舞台「花の秘密」(2019年1月公開)のオファーが舞い込んだものの、セリフの分量が多く、やりきれるか不安でオファーを受けるかどうか悩み、「渡る世間は鬼ばかり」のプロデューサー、石井ふく子さんに相談されると、
石井さんに、
自分と戦うためにやりなさい
と、背中を押されたそうで、
石井先生の一言に背筋がまっすぐになりましたね。デビッドさんとの暮らしは、そういうプレッシャーとは無縁の穏やかな生活でした。
何か役について考えて頭の中がそれだけになる生活も久しぶりです。「自分と戦うため」に台詞と格闘したり、役と向かい合うことの緊張感は心の底からワクワクするんですね。
同じ充実感ですが、冷房と暖房のように真逆の調整が自分には必要ですね。
と、オファーを受けることに。
そして、デビッドさんも、中島さんの「日本でお芝居を続けていきたい」という気持ちを受け止め、応援してくれているそうで、今度は、デビッドさんが日本に生活の拠点を移されたのでした。
ちなみに、中島さんがこの舞台のオファーを受けた時、デビッドさんは、中島さんをリラックスさせたり、生活の世話がしたいと、すぐに日本へ来たがったそうですが、中島さんは強いプレッシャーを感じていたため、「舞台の仕事(稽古)に集中したいから」と、デビッドさんに来ないように伝えたのだとか。
ただ、デビッドさんも中島さんのプレッシャーを感じ取って、
ショーコには一生、失敗を恐れることも失うものもないんだよ、たとえ日本に活躍する場所がなくても私の側に帰ってくればいいんだから
と、優しく声をかけてくれたそうで、後に、デビッドさんも日本に来られたのでした。
さて、いかがでしたでしょうか。
将来は、「アメリカか日本のどちらかに住む」という究極の選択ではなく、「両方の国に半々の暮らしがしたい」という夢をお持ちの中島さんご夫婦ですが、そんな夢も、中島さんご夫婦ならきっと叶えられることでしょうね。
そんな中島さんからは、今後も目が離せません!!
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