大学在学中の1970年には、星川まりさんと学生結婚するも、一度も同居しないまま、留学先のアメリカ滞在中に離婚された、石田純一(いしだ じゅんいち)さんですが、2度目の結婚生活はどのようなものだったのでしょうか。
「石田純一のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」からの続き
2番目の嫁は松原千明
石田さんは、1989年、女優の松原千明さんと再婚されています。
石田さんは、最初の結婚の反省を生かし、
次に結婚するなら経済力や社会的な地位を確立してからにしたい
と、考えていたそうで、
30代半ば、俳優の仕事も軌道に乗り始めた頃に出会った松原さんと結婚されると、翌年の1990年には、長女のすみれさんが誕生。
その後も、石田さんには寝る暇もないほど、俳優の仕事が舞い込んでくるなど、公私ともに順調で、充実した日々を過ごされていたのですが・・・
当時の石田さんと松原さん。
「不倫は文化」発言で猛バッシングを受ける
1996年10月、写真週刊誌「フォーカス」に、長谷川理恵さんとの不倫がスクープされます。
そして、マスコミから長谷川さんとの不倫について追求された石田さんは、
こともあろうに、
文化や芸術といったものが不倫という恋愛から生まれることもある
と、発言し、猛バッシングを受けたのでした。
2度目の不倫報道で芸能界を干される
それでも、1997年4月には、「スーパーJチャンネル」のメインキャスターに就任するなど、石田さんの仕事は、相変わらず順調そのものだったのですが、
同年8月、再び、「フォーカス」に長谷川さんとの密会現場がスクープされると、さすがに、翌年の1998年4月には、「スーパーJチャンネル」を降板させられたうえ、石田さんは完全に干されてしまったのでした。
離婚理由
一方、松原さんはというと、石田さんの「不倫は文化」発言で、一斉にマスコミが家に押し寄せてきて、普通の生活が送れなくなってしまい、
娘のすみれさんも、私立小学校を受験するも、親子面接を控えた大事な時期での報道のためか不合格となってしまいます。
そして、すみれさんは、公立小学校に通い始めるも、
不倫は文化の子なんだろ
文化の子
と、いじめられたそうで、
松原さんはたまらず、すみれさんが7歳の時(1998年)、すみれさんを守るため、ハワイへ移住。翌年の1999年には、石田さんと松原さんは離婚されたのでした。
松原千明との結婚には何の不満もなかった
ちなみに、当時を振り返り、石田さんは、
(結婚生活は順調だったが)でもその分、僕に油断があったんですね。出演ドラマがヒットして、周りからちやほやされて、女性からもモテるようになった(笑)
昼は連ドラを撮って、夜は映画の撮影という毎日。家にいないのが普通になってしまい、その環境に僕も甘えてしまった。若かったのでイケイケになってしまい、仕事も家庭も恋愛も、俺は何でもできるんだと慢心してしまったんです。
それで、ある女性と不倫関係がずっと続いてしまい、松原さんと娘を傷つけてしまう結果になった。身勝手な言い方ですが、僕は松原さんとの結婚生活に何の不満もありませんでした。
離婚後は自分の行動の甘さを自分で責める日々が続きました。不倫騒動で長らく仕事も失っていたので、経済的にも苦しかった。こう見えて、僕も離婚後はかなりつらい日々を過ごしているんですよ(笑)
と、松原さんとの結婚に不満があったからではなく、ただただ、若気の至りだったことを明かされています。
娘・すみれと10年ぶりに再会
そんな石田さんは、17歳になったすみれさんから、突然、手紙をもらい、10年ぶりの再会を果たされているのですが、
すみれさんは、石田さんに、手紙を書こうと思った理由について、
小さいころはパパに対して怒っていたけど、ちゃんと話を聞いてみたいと思うようになって。大学の学費の相談もしたくて、私から手紙を送ったんです。
10年ぶりのパパはイメージどおりでした。いい人だなと思ったけど、チャラチャラしていて(笑)「ズボン短すぎじゃない?」とか、ツッコんだと思います(笑)
と、明かされており、
以降、父娘の仲はとても良いとのことでした♪
石田さんとすみれさん。
プロゴルファー・東尾理子と再再婚し3人の子供が誕生
そして、2009年、石田さんは、56歳にして、プロゴルファーの東尾理子さん(当時34歳)と3度目の結婚をされると、2012年11月には、息子の理汰郎くん、2016年3月には、長女の青葉ちゃん、2018年には、次女のつむぎちゃんが誕生。
石田さんは、
理子は、壱成やすみれ、松原さんのことも受け入れてくれています。離婚しても、養育費の面も含めて、元妻や子どもたちとは絶対に切れないんです。むしろ絶対に切ってはいけない。それは男のプライドとして持つべき部分だと思います。
でも、理子がそれを受け入れてくれるのは、彼女が過去にいろいろな恋愛経験をして、僕という男を理解してくれるだけの人間的な成熟があったからです。これがお互いに10年前だったら結婚まで至っていないかもしれません。
家庭生活でもそう。理子はすごくきっちりした性格なので「これはどうなの!」と責められることもある。30代までの僕だったら道理や論理で「正しさ」を主張していて、大げんかになってしまっていたはずです。
でも、過去の結婚で学んだことは、そんな理屈は何の意味もないということ。負けるが勝ちじゃないけれど、妻と衝突せずに家庭を上手に運営していける男性こそが「勝ち」だと思うのです。
なぜ3回も結婚したのかといえば、僕の中で「やりきった感」がないからです。理子という素敵な女性と3度目の結婚ができたのだから、男として仕事をする。
夫として妻を支えるのは当然として、遅ればせながら、父として息子(理汰郎4歳)と娘(青葉0歳)の子育ても全力でやりたい。そうして、過去を取り戻している部分があるかもしれません。
今度はヘトヘトになるまで、この最後の結婚生活を「やりきりたい」と思っています。そして、僕と結婚してくれた女性たちには、今でも感謝の気持ちしかありません。
と、語っておられます♪
「石田純一は息子いしだ壱成と16歳で初対面していた!仲は?」に続く