劇団の講師が、NHKのテレビドラマ「高校生時代」(後の「中学生日記」)を手掛けていたディレクターだったことから、「高校生時代」のオーディションを受け、見事合格し、俳優デビューした、伊武雅刀(いぶ まさとう)さんは、本格的に俳優になろうと、高校を中退して、現代演劇研究所「劇団雲」の研究生になるのですが・・・
「伊武雅刀の生い立ちは?NHK高校生時代で俳優デビューしていた!」からの続き
現代演劇研究所「劇団雲」に入団するも1年で退団
NHKドラマ「高校生時代」のオーディションに見事合格し、演技でも手応えを感じたことから、本格的に俳優を目指そうと、演技の基礎を身につけるため、高校を中退して、現代演劇研究所「劇団雲」の研究生になった伊武さんですが、
養成所の研究員はそう簡単には映画に出演させてくれなかったそうで、しかも、一年後には、「君はいらない」と言われてしまいます。
そこで、伊武さんは、今度は、「俳優小劇場」の養成所に入団するのですが・・・
代表からは、
君は声はいいけれど、声だけだな
と言われ、結局、そこも馴染めず、半年で辞めてしまいます。
肉体労働で痔を患いながら苦しい生活
そんな伊武さんは、だったら、自分たちで劇団を作ろうと、仲間たちと小さな劇団を作られたそうで、公演の企画、お金集め、宣伝もすべて自分たちでやるなど、ようやく、何から何まで好きなようにできる時間を持つことができるようになったそうです。
一方、生活のため、工事現場で廃材をネコ車(運搬用の一輪車)で延々と運ぶ、日雇いの肉体労働をしていたため、痔を患うなど、大変苦しい思いをしていたそうですが、
それでも、夢に近づくため、
このまま頑張って続けていれば、いつか芽が出るだろう
と、自分を奮い立たせたのでした。
渡辺貞夫のラジオのパーソナリティに合格
ただ、後に、伊武さんは、
今から思えば、バカな考え方をしておりました。若いから気がつかなかったんですねえ。
と、語っておられるのですが、
そのとおり、一向に芽が出ず、ある時、
結局ね、自分たちのやりたい芝居を好きなようにやっているだけじゃ、単なる「遊び」なんですよ。お客さんのことを全然考えていない。メッセージ性がまるでない。
これでは、単なるマスターベーション。仕事にはなりません。自分だけ気持ち良くっても、プロにはなれないということですね。
と、気づいたそうです。
そして、ちょうどその頃、結婚することになり、生活の基盤が必要になったそうですが、そんな時、渡辺貞夫さんのラジオのパーソナリティのオーディションがあることを知り、受けたところ、ジャズなど全然知らなかったそうですが、声の良さを買われて合格。
すると、声の需要が高まり、コマーシャルのナレーションの仕事も舞い込んできたそうで、きつい肉体労働をやらなくてもお金が入ってくることから、もう、来るものは拒まず、映画スターになるという夢などそっちのけで何でもやるようになったのだそうです(笑)
「宇宙戦艦ヤマト」のデスラー役で人気を博す
そんな中、伊武さんは、お金を稼ぐため、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」のオーディションを受けられるのですが、
当初は、ヤマトの航海班長・島大介役を受けるつもりだったそうですが、オーディション会場に、いろいろなキャラクターが描いてあったのを見て、一転、
その中に青い顔をしたのがいたから、こっちの方がいいと言ってやったらプロデューサーがいいじゃないかと言ってデスラーをやるようになったんです。
でも、その良さも悪さも全く分からなくて、ただ定期的にお金が入るようになったという喜びだけ。そうしたらラジオのCMやアニメの仕事も来るようになって、あれえっという間に食えるようになっちゃったんです。
と、デスラー役で、たちまち人気を博したのでした。
「宇宙戦艦ヤマト」のデスラー
小林克也とのラジオ番組「スネークマンショー」も人気を博す
ただ、それでも、
でも本当は、俳優になりたいわけでしょう。声優で演技はできても、顔が出なければ意味がないわけです。そのうち、夢と現実とのギャップに苦しむようになっていった。お金がいくらあっても辛くなってきたんですよ。
と、意にそぐわぬ仕事ばかりを引き受けていたことから、いい加減、自分が本当に面白いと思う仕事をやってみたい、と思うようになったそうですが、
ちょうどその頃、ラジオの仕事を通じて知り合われた小林克也さんから、音楽プロデューサー・桑原茂一さんプロデュースのラジオ番組で、1976年春からスタートした「スネークマンショー」への出演を持ちかけられたそうで、
お金にも多少、余裕が出てきたこともあり、1976年末、ラジオ番組「スネークマンショー」に加入されると、
プロの構成作家もおらず、3人だけで作ったこの番組は、伊武さんと小林さんによる、過激で当時のタブーぎりぎりの内容のコント、独特の選曲などが音楽シーンにも影響を与えるなど、たちまち脚光を浴び、手売りで苦労していた小劇場のチケットも瞬時にさばけるようになるなど、相乗効果を生んだそうで、
後に伊武さんは、
プロの構成作家もいない、われわれ3人だけで作った番組でね。自分たちが面白いと感じたもの、伝えたいと思ったメッセージを、手作りのおにぎりを作るように丁寧に丁寧に気持ちをこめてね。
「形は悪いですけど、どうですか」と、リスナーにそっと差し出したら、人気が出たんですねえ。好きなものだけをやっていたと言っても、劇団の時のマスターベーションとは、全く違うんですよ。どこかに客観性があった。それがあるかないかで別物になるんです。
新人俳優の演技が人の心を打たないのと同じですね。彼らは自分が気持ちいいだけでやっているでしょう。全体の中の自分の役割を全く理解しないでやっている。それはプロではないんです。
と、語っておられます。
「伊武雅刀は昔スネークマンショーで大ヒット!YMOとコラボも!」に続く
(右上から時計回りに)桑原茂一さん、伊武さん、小林克也さん。