「ビルマの竪琴」「東京オリンピック」「犬神家の一族」など、ジャンルにとらわれることなく、精力的に映画を制作された、市川崑(いちかわ こん)さんですが、実は、その影で奥さんの大きなサポートがありました。今回は、市川さんの奥さんについてご紹介します。
「市川崑の死因はタバコ1日100本のヘビースモーカーではなかった!」からの続き
妻との出会いは助監督時代
市川さんは、いつ頃かは不明ですが、一度、結婚され、離婚されたようで、その後、1948年、33歳の時、茂木由美子さん(後に脚本家・和田夏十(わだ なっと))と再婚されています。
実は、戦後まもなく、社会主義運動が起こったことで、1945年12月、「東宝」では「東宝従業員組合(従組)」が結成されると、従業員の9割(5600名)が加入し、たびたび、ストライキを行って会社(「東宝」)と対立していたのですが、
労働時間の制約ほか様々な従業員の権利を認めさせる一方で、肝心の映画撮影はままならず、他社の半数程度しか製作できなかったこともあり、
1946年11月には、ストも反対だが、会社側にもつかないと表明した、大河内傳次郎さんに賛同した十大スターが「十人の旗の会」を結成して組合を離脱。その4ヶ月後の1947年3月には、「新東宝映画製作所」を設立するのですが、
当時、助監督だった市川さんは、この「新東宝」側に、
映画というのはもっと自由な方がいいのではないか
と、所属されたそうで、
そこに、由美子さんがアメリカ兵相手の通訳として所属していて、知り合ったそうで、
(女優を見に大勢のアメリカ兵が撮影所に訪れてきたため、急遽通訳が必要になり、身内で少し英語が話せた由美子さんが、駆り出されたそうです。)
お二人は、
わりと理屈ぽいなとは思いましたけれどもね。僕なんかは理屈を言えるほうではないから、逆にそう思ったのかもわからないけれども。
わりと理屈ぽいとは思ったけれども、ちゃんと情感もあったし。お互いに結婚を失敗したということで、意思が共通したというのかな。
と、お互い、結婚に失敗した過去があったことで意気投合されたのだそうです。
監督に昇格してから結婚
ただ、まだ助監督だった市川さんは、経済的に安定しておらず、監督になるまで結婚を待ってもらっていたそうで、
交際から1年半ほどして、監督になった時に、
では、結婚しましょう
と、由美子さんにプロポーズ。
結婚式は挙げなかったそうですが、二人で神社にお参りをして、5000円貢納し、その後、市川さんが借りてきた土地で、新婚生活をスタートされたのだそうです。
監督第1作目「花ひらく」は妻のアイディアから
ところで、市川さんの監督第1作は、「花ひらく」(1948年4月)なのですが、女性ものの映画を制作しようという企画が持ち上がり、当時、すでにスター女優だった高峰秀子さんが、
新しい女性モノを撮るなら市川監督にやってもらいたい
と、市川さんを指名されたのだそうです。
ただ、当の市川さんはというと、女性ものと言われても、どういうものを撮っていいか分からず、困ってしまい、デートの最中、由美子さんに相談すると、
ちょうどその時、由美子さんが、野上弥生子さんの「真知子」という本を読んでいたことから、「こういうのはどうか」と勧めてくれたそうで、それをすぐ読んだ市川さんも素晴らしいと思い、映画化の権利を取り付けたのだそうです。
妻が脚本の才能を開花
そして、市川さんは、そのシナリオを八住利雄さんに書いてもらうのですが、気に入らないところがあり、
ここのセリフをちょっと変えたいな
と、由美子さんに言ったところ、
由美子さんは、サラサラと書いてくれたそうで、それは、たった1行か2行のセリフだったのですが、市川さんには、神の啓示に思えるほど、素晴らしいセリフだったそうで、
この人はこんなのを書けるんだ
と、思ったそうです。
そこで、市川さんは、監督第2作目の「三百六十五夜」(1948年9月)を撮影する際にも、再び、由美子さんに
ここをちょっと変えたい
と、脚本を持っていくと、またしても、スラスラと書き直してくれたそうで、
このことがきっかけとなり、次の作品、またその次の作品と、夏十さんが、市川さんの気に入らない箇所を直してくれるようになり、そのうち、由美子さんの方から、「これは‥」と気に入らない部分を、スラスラと書き直してくれるようになったそうで、市川さんは、すっかり由美子さんに甘えてしまうようになったのだそうです。
ちなみに、市川さんは、そんな由美子さんの才能を、
僕はシナリオから相談していたわけですね。素材があってこういうシナリオにしたいと。
だから素材に対してアドバイスをしてくれることがポイントだったんですけれども、だんだん本格的にトップシーンからラストシーンまで2人でシナリオを話し合って、夏十さんがサラサラっと書く。
あの人は丁寧なんだけれども書くのが早いんですよ。タッタッタッと書いてくるから「これはいいや」と思って、僕は全部素晴らしいと思い込んでいた。事実そうだったのですからね。
と、絶賛されていました。
「市川崑監督は脚本のほとんどを妻の和田夏十に委ねていた!」に続く
若かりし日の市川さんと由美子さん。