役者を廃業し、ミュージシャンに転身してまもなく、林海象さんにスカウトされ、「夢みるように眠りたい」の主演で映画デビューした、佐野史郎(さの しろう)さんですが、その後しばらくは、下積み生活が続いたといいます。

「佐野史郎の映画デビューは「夢みるように眠りたい」の主演!」からの続き

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「ぼくらの7日間戦争」「その男、凶暴につき」で注目を集める

佐野さんは、劇団員時代から、生活のため、ビルの掃除や窓拭き、テレビ局のセットを作るアルバイトをしていたそうですが、1986年に「夢みるように眠りたい」の主演で映画デビューし、映画がヒットした後も、すぐに仕事は増えなかったそうで、その後も、アルバイトをしつつ、映画を中心に地道にキャリアを積んでいたそうですが、

(「夢みるように眠りたい」はサイレント映画だったことから、セリフがしゃべれるかどうかも分からない無名の俳優の佐野さんに、(特にテレビ業界からは)声はかからなかったのだそうです。)

1988年、校則に厳しく憎たらしい教師・八代謙一役に起用された、映画「ぼくらの七日間戦争」(宮沢りえさん主演)が大ヒットを記録すると、その後は、佐野さんにも注目が集まり、


ぼくらの七日間戦争」より。

翌年の1989年、北野武監督映画「その男、凶暴につき」で、保身のために事件を闇に葬る警察署長役を演じられるほか、「嫌なやつ」の役が次々に舞い込むようになったそうで、

佐野さんは、

北野武監督の「その男、凶暴につき」の警察署長役とか。あの辺からちょっとエキセントリックな役が増えていったんですけど、それまでは「TOMORROW 明日」(黒木和雄監督)みたいに好青年役が多かった。「夢見るように眠りたい」の流れなんでしょうけど

「ぼくらの7日間戦争」の大ヒットで、宮沢りえさんが国民的な人気を得たこともあり、ぼくの役もキャラクターがはっきりしていたから、テレビドラマの人たちも声をかけやすくなったのかな。今振り返ればね

と、語っておられます。


「その男、凶暴につき」より。(左から)ビートたけしさん、浜田晃さん、勝部演之さん、佐野さん。

冬彦さん(「ずっとあなたが好きだった」)で大ブレイク

こうして、「嫌なやつ」役の演技で注目を集めるようになった佐野さんは、1992年、37歳の時には、テレビドラマ「ずっとあなたが好きだった」で、東大卒のエリート会社員でマザコン男の桂田冬彦役を演じられているのですが、

その怪演ぶりが世間に強烈なインパクトを与え、ドラマは最高視聴率34.1%を記録。佐野さんは、一躍、大ブレイクしたのでした。


ずっとあなたが好きだった」より。

ちなみに、今でも、ある年代の間では、佐野さんのことを、「冬彦さんを演じた俳優」と言ったり、マザコンを指す時の言葉として、「冬彦さんみたい」と言われているほど、佐野さんは強烈なイメージを残されています。

賀来千香子が主演だった

ところで、この「ずっとあなたが好きだった」、すっかり、佐野さんが主演と思われていますが、もともと、賀来千賀子さん主演の純愛ドラマの予定だったそうで、佐野さんはあくまで脇役で、単に身勝手な夫という設定だったのだそうです。

(プロデューサーの貴島誠一郎さんによると、「ロミオとジュリエット」みたいな話になるはずだったそうです)

それが、冬彦が指から血を出したシーンの時、母親役の野際陽子さんがアドリブで冬彦の指を吸ったことから、急きょ、冬彦はマザコンの設定に変更されたそうで、

その後は、

冬彦(佐野さん)が回転木馬に乗って、

ほかの男に僕の子どもを抱かせるなんて・・・あああ~許さないぞ~

と、絶叫したり、

真夜中に、歪めた下唇を突き出し、

あんなやつには渡さないからね~。むぅ~、むぅ~

と、唸り声をあげるほか、

会社から家に帰ると、部屋にこもってパソコンやゲーム、時々、昆虫採集の標本を眺めたり、SMクラブに通うシーンを加えるなど、

脚本家の君塚良一さんが、冬彦の異常な性格、奇怪な行動をクローズアップするよう、大幅に脚本を書き換えて、冬彦の出番を増やしたそうで、

君塚さんは、後に、自著の中で、

自分は愛についてのドラマを書いたつもりである。佐野が評判になったため、当初作っていたプロットから大幅に変更し脚本を書き直して冬彦の出番を増やした

と、綴っておられます。

回転木馬には急遽乗っていた

ちなみに、冬彦さんといえば、回転木馬に乗るシーンがあまりにも有名ですが、

佐野さんは、

あのシーン、リハーサルでは木馬はなかったんだけど、収録日にスタジオのセットに置いてあって(笑)。山があれば登る。あったら乗るしかないということで、急に乗ることになったんです

と、明かされています(笑)

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「冬彦」という名前の由来は運命的だった

また、「冬彦」という名前は、プロデューサーの貴島誠一郎さんが、当時、上司だった田代冬彦さん(後のTBS編成局長で秋野暢子さんの元夫)から命名したものだったそうですが、

実は、この田代さん、佐野さんが以前在籍していた「シェイクスピア・シアター」の同期で、いつも佐野さんとは一緒にいて仲良かったそうですが、貴島さんは、それを知らずに命名していたそうで、なんとも、運命的な命名だったようです。

(ちなみに、この「ずっとあなたが好きだった」のヒット受け、翌年の1993年には、同じく、佐野さん、賀来千香子さん、野際陽子さんのトリオで、テレビドラマ「誰にも言えない」が放送されているのですが、こちらも、関西地区では、最高視聴率39.2%の高視聴率を記録しています)

「佐野史郎のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く

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