1975年、20歳の時、「シェイクスピア・シアター」の旗揚げに参加すると、その後は、唐十郎さんの「状況劇場」に入団したという、佐野史郎(さの しろう)さんですが、「状況劇場」は5年でクビになり、一時は俳優業を廃業し、ミュージシャンに転身していたといいます。

「佐野史郎は若い頃「シェイクスピア・シアター」の旗揚げに参加していた!」からの続き

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唐十郎の「状況劇場」に入団するも5年でクビ

Tシャツ&ジーパンの出で立ちにロックバンドの生演奏でシェイクスピア劇をするのが持ち味だった「シェイクスピア・シアター」が、だんだん、重々しい歴史劇をするようになったことで、情熱を失っていった佐野さんは、旗揚げから5年目の1980年、25歳の時、「シェイクスピア・シアター」を退団するのですが、

その後、憧れの唐十郎さん主宰の「状況劇場」に入団するも、ここでも、入団5年目に、唐さんから、

そんな演技じゃ映像では絶対に通用しない。お前なんか、もういらないんじゃないか?

と、言われてしまい、1984年、29歳の時、「状況劇場」を退団されます。

役者を廃業しロックバンド「タイムスリップ」を結成

そんな佐野さんは、

10年経ってもこのザマか

と、劇団生活10年で、役者として行き詰まってしまったそうで、

がなり散らすばかりの演技よりも、部屋でギターをポロンと奏でていた時の方が、よほどリアルに表現できると感じ、方向転換。

役者人生に終止符を打ち、ロックバンド「タイムスリップ」を結成して、ミュージシャンに転身されたのでした。

(「タイムスリップ」には、妻・石川真希さん、嶋田久作さん、夢野ワンダさんが在籍されていたそうです)

林海象の監督デビュー作に主演としてスカウトされる

ただ、そんな中でも、佐野さんは、唐さんからダメ出しされたことが忘れられず、「状況劇場」を辞める前後あたりから、「映像の演技」とは何かを考え、古い日本映画をがむしゃらに観るようになったそうで、

小津安二郎監督、成瀬巳喜男監督、清水宏監督、川島雄三監督などの作品をサイレント時代から年代順に見ていたそうですが、

ミュージシャンとして活動し始めてからまもなく、ライブハウスで、後に映画監督となる林海象さんから、

自分のデビュー作に主演で出てほしい

と、声をかけられたそうで、

佐野さんがシナリオを読んでみると、モノクロ・サイレントの手法を使った、江戸川乱歩風な世界観だったことから、

おー、まさに今、ずっと見ていたやりたい世界だ

と、すぐに林さんと意気投合し、二つ返事で引き受けられたのでした。

(林さんは、この時、佐野さんが役者だとは知らずに声をかけてきたのだそうです)

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「夢みるように眠りたい」の主演で映画デビュー

そして、撮影が始まると、林さんは初めての監督だったため、「こういう演技をしろ」などの演技指導は一切なく、佐野さんも、「映像の演技って何だ?」と探っている最中だったため、小津安二郎監督のサイレント映画を思い出しながら必死で演じたそうですが、

1986年、こうして、モノクロサイレントの手法を用いて撮影された、昭和30年代頃の浅草を舞台にしたミステリー「夢みるように眠りたい」が公開されると、たちまち評判になったのでした。


「夢みるように眠りたい」より。佐野さんと佳村萌さん。

また、その後、この「夢みるように眠りたい」は、世界の様々な映画祭にも招待されているのですが、「ヴェネツィア国際映画祭」での上映終了後には、2000人もの観客全員からスタンディングオベーションを受けており、佐野さんはとても感激されたそうです。

「佐野史郎は昔冬彦さん(ずっとあなたが好きだった)で大ブレイクしていた!」に続く

「夢みるように眠りたい」より。佐野さんと佳村萌さん。

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